「米欧回覧実記輪読会」カテゴリーアーカイブ

米欧回覧実記輪読会:4月度開催報告 第四十九巻「ベルギー総説」

日時:2022年4月13日(水)13時~15時
場所:ZOOMによるオンライン
内容:第四十九巻「ベルギー総説」
ナヴィゲータ:冨田兼任

面積、人口、略史、政体
面積約3万km2(ほぼ九州並み、日本の1/12)、南はフランス、東南はルクセンブルグ、普領アルザス、プロイセン西部、東・北はオランダに接する、山脈・河川が国境を分かつのではなく、故に強力な陸軍が要る。
人口500万人【現在は1000万人】、気質は剛健勇敢。紀元前ローマに征服されたが、その後フランスと混血が進み、南フラマンと呼ばれた。1660年頃オーストリア領ネーデルランド(低地)、1814年ウィーン会議でオランダに統合されたが1830年独立を宣言、1831年ザクセン・コ―ブルグ公レオポルドが王位に就き、1839年各国より独立承認を得るところとなった。(日本との間では1866年修好通商条約締結、1870年在東京公使館・1873年在ブリュセル公使館開設)
政体は立憲君主制、国王の権限は、議会の招集解散、官僚の任免、軍統帥等広範囲に及ぶ【現在も立法権、行政権を有するが、一切の行為は関係大臣の副署が必要】
立法府は上院、下院の2院制【現在は上院60名、下院150名】、行政府は外務、大蔵、司法、内務、陸軍の6省で、内一人が宰相となる。

鉄道、産業、貿易、風俗
国土は平坦で鉄道建設は欧州大陸随一、幹線は官営で748㎞、支線は民営で1345㎞、合わせて2093㎞(1869年統計)
土地は粘土質で肥沃ではなく、畑が多く、フランスと似ている。工業では、製鉄業、紡織業が発達、ガラス工業、製陶業も盛ん。
主たる貿易港はアントワープのみで、主として内陸交易に依る。
言語は、南はフランス語、東南ルクセンブルグに接する地域はワロン語、東・北はフレミッシュ語。宗教はカトリック信者が多いが、他宗教も禁じてはいない。

連邦国家制【現況】
北部フランドルと南部ワロンの間で歴史的に対立してきた。為に、1963年言語境界線として、北部蘭語圏、南部仏語圏、首都両言語併用圏を設定した。
1993年の第4次国家制度改革で、国家経営所管の「連邦(Federal State)」、文化教育所管の「(言語)共同体(Community)」、地域経済所管の「地域(Region)」の連邦国家制に移行した。なお、「連邦」「共同体」「地域」の間に上限関係は無い。州は10、市区町村は589ある。

(冨田兼任記)

 

 

米欧亜632日の旅:4月度セミナー開催報告「第4回英国編(2)」

日時・場所:4月 16日(土)10.00-12.30 on ZOOM
範囲:第2巻英国編後半(エディンバラ・ハイランド・ニューキャッスル・ブラッドフォード・シェフィールド・バーミンガム・ロンドン・フランス向け出航)
期間:明治5年9月10日(1872年10月12日)~明治5年11月16日(1872年12月16日)
ナヴィゲーター:村井智恵・遠藤藍子・植木園子・冨田兼任・吉原重和・岩崎洋三

【特記事項】
①  前回のグラスゴーからはスコットランドなので、スコットランドの非公式国歌「Flower ofScotland」を流した。
②  予定時間内では詳しく触れられない大変興味深い資料の一部*を前もって案内に添付してお送りした。
*安川繁成「英国議会実見録」 https://www.digital.archives.go.jp/file/644080.html

*マクヴェイン日記 https://sites.google.com/site/archisslh/mcvean/diaries_letters

【使節団の行動】
・ブランタイヤ卿所有地案内。邸出立、エディンバラ着、ロイヤルホテル投宿(9/10)
・近郊の山回覧、城見物。大裁判所、産業博物館、大学、宮殿(ホリルード・ハウス)、機関車工場(9/11、9/12)
・インディア・ラバー製造所、製紙工場。灯台3箇所(9/13、9/14)・ハイランドに向けエディンバラ発、ブレアソール城、キリ―クランキー渓谷、ピトロクリ、ダンケルド着、バーナムホテル投宿(9/15)
・アソール城、ランブリング渓谷、アールキャンベル渓谷、キリン着、投宿(9/16)
・キリン発、トロサクス、ロッホカトリーン、インバースナイド滝、ロッホローモンド、バロッホで乗車、エディンバラ帰着(9/17)
・ジョンズ・エビルコバル教会礼拝出席(9/18)
・エディンバラ発、ガラシールズ着、ラシャ工場。メルローズ着、教会遺構見学。ニューキャッスル着、ステーションホテル投宿(9/19)
・アームストロング兵器工場、ゴスフォース炭鉱(9/20)
・取引所、タイン河岸工場群、ソーダ工場、防波堤建設現場。夜天文台(9/21)
・ニューキャッスル発、ブラッドフォード着、ヴィクトリアホテル投宿(9/22)
・ソールテアのアルパカ紡織工場、ハリファックスの毛織物工場(9/23、9/24)
・山口林久米3名でボールトンアベィ見学(9/25)
・ブラッドフォード発、シェフィールド着、ウィルソン邸投宿(9/26)
・製鉄所。チャッツワースハウス。刃物工場、ヴィッカース社製鋼工場(9/27、9/28、9/29)
・シェフィールド発、ビール工場、バーミンガム着、クイーンズホテル投宿(10/1)
・コベントリー行。紡織工場、時計工場、教会、ワーリック市長招宴(10/2)
・手形交換所、ガラス・針・ペン先・ボタン工場、コベントリー市長招宴(10/4)
・釘・ガラス・金銀銅器工場、市役所、小銃工場、夜宴会(10/5)
・ウースター行。オールソップ邸、陶磁器工場。バーミンガムへ戻りホテルを辞しビーストンへ向かう。ビーストンキャッスル、トールマッシュ邸投宿(10/6)
・トールマッシュ邸内を見た後、ストークオントレント行。ミントン磁器工場、ビーストンキャッスルへ戻り、トールマッシュ邸泊(10/7)
・ノースウィッチ行、岩塩抗、鹹水製造工場、トールマッシュ邸泊(10/8)
・トールマッシュ邸を辞しチェスター行。裁判所、教会、チェスター発、夕刻ロンドン着(10/9)
・パークス、アレキサンダー、スチュワート氏(オリエンタルバンク頭取)、ロンドン在住官吏、華族を招きホテルで招宴。(10/15)
・招宴、グランヴィル外務大臣訪問、(10/20、21、)
・レディング行。ビスケット工場、市主催招宴、ロンドン帰着(10/25)
・外務省で折衝。高等裁判所・病院。博物館。印刷所(10/27、28、29、30)
・ベクトン行、ガス製造工場、グリニッチ行、軍艦用機関製造工場(11/2)
・ウィンザー行。ウィンザー城でビクトリア女王に謁見 (11/5)
・大臣、高官、各国使節、在ロンドン企業トップを招き招宴(11/7)
・サントリンガム行。皇太子に面会、昼餐(10/21)
・木戸、大久保ポリスコート訪問(11/12)
・パークス、アレキサンダー、アストンを招き別れの宴(11/15)
・ロンドン発。ドーバーにて乗船、英仏海峡を渡りカレー着、夕刻6時パリ着、凱旋門近くの元トルコ公使館に投宿(11/16)

【出席者所感】
・「素晴らしいレベルの高い会ですね。使節団の参加者の日記を集め読んだり、被訪問国の記録を集めたり、貴重な調査レポートになっていますね。素晴らしいの一言です。ありがとうございました。終わってからユーチューブでひとしきりスコットランド民謡のネットサーフィンをしました。ロッホローモンドの歌、とてもいいですね。日本人の情感にピタリと来ます。」
・「大変内容の深い研究・調査ありがとうございました。ここまで深く掘り下げた調査はないと思います。仕事でイギリスの会社、大学とのおつきあいもあり、関係各地の場所と歴史をより深く確認できました。また、いろいろなエピソードも盛り込んでいただきましたので刺激的でしたし記憶力の増加に役に立ちました。次回のウエビナーも楽しみにしています。」

文責:岩崎洋三

米欧亜632日の旅:3月度セミナー開催報告「第3回英国編(1)」

日時・場所:3月 19日(土)10:00-12:30 on ZOOM
範囲:第2巻英国編前半(リバプール上陸、ロンドン、北部巡覧(リバプール・マンチェスター・グラスゴー)
期間:明治5年7月13日(1872年8月16日)~明治5年9月10日(1872年10月12日)
ナヴィゲーター:村井智恵・遠藤藍子・植木園子・冨田兼任・吉原重和・岩崎洋三

【特記事項】
・今回から冒頭に訪問国の国歌を流すこととし、英国国歌God Save the Queenの歴史にも触れた。
・グラスゴーで使節団を歓待したブランタイル卿の名を取ったストラスペイ(スコットランドのダンス)の動画を紹介
【使節団の行動】
・クインズタウン港、下船客下ろし出発(7/13)
・リバプール上陸後、ロンドン行。バッキンガムホテル投宿(7/14)
・グランビル外相邸訪問、饗応。サウスケンジントン博物館見学(7/16)
・ブライトン行、博物館、学校、水族館見学、ロンドン帰着。(7/17)
・ロンドン市長来訪(7/18)
・ブランドフォードフォーラム行、当地宿泊(7/23)
・陸軍調練見学後、ポーツマス行、当地宿泊(7/24)
・ムンディ提督官邸、海軍演習。造船所、艦船見学(7/25、26)
・陸軍訓練見学、ポーツマスを発ちロンドン帰着(7/27)
・リーゼントパーク動物園。バッキンガム宮殿。国会議事堂(7/28、8/1、8/2)
・プリンスアルバート卿博覧会、サー・フランクリン氏未亡人主催パーティ(8/4)
・ウィンザー城(8/5)
・テームズ川上りウールウィッチ行。兵器製造所・同博物館、造兵廠。ロンドン帰着(8/8)
・王宮厩舎(8/9)
・ベーコンヒル行。大観兵式見学、参加歩兵騎兵砲兵35,000人(8/10)
・マーサーズノールにて招宴、(8/11)
・ロンドン塔、電信局、郵便局(8/16)
・サイデンハイム行。クリスタルパレス見学(8/17)
・パークス邸訪問、饗応。宮内長官別荘、茶菓接待(8/18)
・大久保山口副使造幣局見学。大英博物館(8/21、8/25)
・一行9人ロンドン発北部巡覧に出立。リバプール着、ノースウェスタンホテル投宿(8/27)
・市庁舎見学、市長主催招宴、ドック見学夜観劇(8/28、8/29)
・博物館。マージ―川上りバーケンヘッド行。造船所、商船学校。招宴(8/30)
・教会見学後、クルウ行。鉄道工場、リバプール帰着、招宴(9/1)
・マンチェスター行。ガラス工場。当地クイーンズホテル投宿、観劇(9/2)
・綿紡績工場、製鉄所、巡回裁判所、監獄。市内庭園、郊外村散策(9/3、9/4)
・禁酒団体来訪。更紗プリント工場、綿織物工場、マッキントッシュ社ゴム工場、市長主催招宴。観劇、特別公演(9/5)
・衣料品百貨店、軽罪裁判所、学校、取引所、衣料品倉庫。招宴(9/6)
・マンチェスター出立。ビショップトン着、ブランタイヤ卿邸宅投宿。(9/7)
・グラスゴー行。鉄工所、機関車工場、商工会議所、邸帰館(9/8)
・グリーノック行。造船工場、邸帰館(9/9)

【出席者所感】

・「とても内容の充実したプレゼンで様々な事を考えながら拝聴させて頂きました。何しろ明治維新の何たるも判らず、ここ一年毎回実記の輪読や、研究会・セミナーへの参加を通して随分と得難い知識を教えて頂けました。今回のご発表を通じて浮き彫りになった、下関戦争、そして長州fiveや、薩摩留学生を背後で操っていた英国商社の手法の巧みさに感嘆すると同時に、彼等に易々と国体を乗っ取られてしまった明治維新とは、一体何だったのか、と改めて思う次第です。」

・「ユーチューブ拝見しました。回覧日記だけでなく、木戸や富田などの日記や、音楽、現状の風景まで、動画でいれてある、その編集能力には感銘しました。国歌の話しやスコットランドのダンスの話しもとても良かったです。多くの方々にとって貴重な番組を残されましたね。公開したら大きな評判になるでしょう。私には次号が待たれます。」

文責:岩崎洋三

 

 

米欧亜632日の旅:2月度セミナー開催報告「第二回米国編2」

米欧回覧実記輪読会主催

セミナー・シリーズ「米欧亜632日の旅」第二回米国編2開催報告
日時:2022年2月19日(土) 10:00-12:30
場所:ZOOM
範囲:第1巻米国編(2)ワシントン発、北部廻覧の旅、ボストンから第2の訪問国英国向け出航まで、明治5年5月4日(1872年6月10日)~明治5年7月3日(1872年8月6日)
ナヴィゲーター:村井智恵、遠藤藍子、植木園子、岩崎洋三、吉原重和、冨田兼任

【特記事項】
・岩倉具視に同行した私設秘書山本復一の「周球雑記」を紹介、今後その真意解読も課題になった。
・同志社グループが10人近く出席してくださり一段と賑やかな会になった。

【使節団の行動】

・北部巡覧の旅に向けワシントンDC出発(5/4)
・ニュージャージー州ジャージ-シティよりハドソン河を渡りニューヨークに入る、市内見物(ブロードウェイ、マンハッタン島南端、シテーホール、繁華街、イーストリバー河岸、セントラルパーク)、夜ブロードウェイで観劇(5/5)
・イーストリバーから乗船、バッテリパークを廻りハドソン川を北上、ウェストポイント(80km北)で、陸軍士官学校、ウェストポイントハウスおよびコーゼンズホテルに投宿、士官学校歩兵操練(5/6)
・生徒教練、砲兵隊演習、士官学校墓地(5/7)
・ハドソン川対岸(東岸)に渡り、汽車にて北上、オルバニー、シラキュース、ナイアガラ村着、インターナショナルホテル投宿(5/8)
・ナイアガラ滝(ゴート島、アメリカ滝、カナダ滝、ワールプール)、夜元大統領フィルモア氏を招きホテルにて招宴(5/9)
・ホテルを出立、着た路程を戻る、ロチェスター通過、サラトガスプリングス着、グランドユニオンホール投宿、(5/10)
・サラトガ湖、薬泉(5/11)
・ホテル出立、北上しフェアヘーブンでヴァーモント州に入る、マサチューセッツ州に入る、ウォルサム村通過、ボストン着、リヴェアハウス投宿(5/12)
・市内見物(公園、ビーコンストリート)、太平楽会(5/13)
・ボストン港回覧、太平楽会(5/14)
・ボストン発、スプリングフィールド(西154㎞)着、小銃工場、富豪邸宅で果物饗応、(ボストンに戻り)饗宴、ボストン発、ニューヨーク着(5/15)
・セントラルパーク、ニューヨーク発、ワシントンDC帰着(5/16)
・炎暑(38℃)続く、DC市内のジョージタウン散策、(5/28)
・独立記念日、市内各所で催し物や花火打ち上げ(5/29)
・病臥中のフィッシュ国務長官見舞うためウェストポイント行(6/4)
・ガリソンの別荘に居るフィッシュ国務長官見舞う、ニューヨークに帰着、セントニコラスホテル投宿(6/5)
・ワシントンDCに向け出立(6/6)
・ワシントンDC帰着(6/7)
・大久保伊藤サンフランシスコ着の電報受領(6/9)
・国務省で会議(6/15)
・大久保伊藤寺島外務大輔ワシントンDC帰着、国務省で会議(6/17)
・大統領謁見、出向を告げる、岩倉国務長官邸訪問(6/4)
・ワシントンDC発、フィラデルフィア市クック邸に逗留、饗応(6/22)
・クック邸散策、饗応(6/23)
・クック邸出立、フィラデルフィア着、コンチネンタルgホテル投宿、市内回覧(図書館、造幣局、カレッジ、公園)、饗宴、舞踏会(6/24)
・インデペンデンスホール、機関車製造工場、監獄、フィラデルフィア発、ニューヨーク着、セントニコラスホテル投宿(6/25)
・アスター図書館、YMCA、障害児病院、「シュワルト」百貨店、トリビューン新聞社、電信会社、大学(6/26)・「フランクリン」百貨店、ロードアイランド州に向けドックより乗船(6/27)
・プロビデンス港着、汽車に乗り北上、ボストン着、ホテル投宿、市内回覧(学校、消防署)、饗宴(180人集まり盛会)(6/28)
・ローレンス(北70km)、綿花紡織工場、市庁で昼餐、ボストン帰着(6/29)
・水道貯水池(市内)ブルックス邸(近郊)訪問(7/1)
・二手に分れ、木戸伊藤隊はハドソンタウン(西50㎞)に赴きタウンホール、 製靴工場、縫製工場視察、大久保山口隊はプロビデンスに赴き金銀器製造工場、鉄針工場、製材所視察(7/2)
・ホテル出立、ボストン港よりオリンポス号に乗船、英国に向け出国(7/3)
・杉山福井吉雄冨田ベネット氏(アーリントンホテル主人)邸に移る(4/6)
・福地冨田ニューヨークへ、ウェストミニストレルホテル投宿、大蔵少輔吉田清 成大鳥啓介(国債募集の為ロンドン出張の途上)と面会(4/28)
・田邉安藤書記官帰朝(4/29;冨田日記)
・杉山福井吉雄冨田ベネット氏(アーリントンホテル主人)邸に移る(4/6)
・福地冨田ニューヨークへ、ウェストミニストレルホテル投宿、大蔵少輔吉田清 成大鳥啓介(国債募集の為ロンドン出張の途上)と面会(4/28)
・田邉安藤書記官帰朝(4/29;冨田日記)

【出席者所感】
・昨年12月から本年2月まで開催されていた京都歴史資料館特別展、岩倉使節団150年記念「岩倉具視と米欧回覧」の紹介があった。
・今までの実記と違い新たな角度で見直すことが出来、とてもためになります。友人にもYouTubeを見るように言っておきます。
・プレゼンテーション終了後、アメリカにおける使節団について、時間を忘れて歓談できたのは良かった。

(文責:岩崎・冨田・植木)

 

 

米欧亜632日の旅:1月度セミナー開催報告「第1巻米国編(1)」

米欧回覧実記輪読会主催セミナー・シリーズ「米欧亜632日の旅」開催報告

当会設立25周年、岩倉使節団150周年の記念事業として「米欧亜632日の旅」と題して、岩倉使節団12カ国632日に及ぶ行動を、「岩倉使節団総合データベース」も駆使して新しい光を当てようと、セミナー・シリーズを本年1月から11月まで毎月開催することとしましたが、その第1回が下記の通り開催されました。

日時:1月15日(土) 10.00-12.30
場所:ZOOM
範囲:第1巻米国編(1)品川発・横浜出港、サンフランシスコ到着~ワシントン到着まで
明治4年11月10日(1871年12月21日)~明治5年5月4日(1872年6月9日)

【特記事項】
①  データベースに載せた初公開の新資料、近藤鎮三昌綱「欧米回覧私記」、冨田冬三命保「渡欧日記」とさらには木戸日記、周球雑記、など他の記録と米欧回覧実記を比較し、使節団の行動を辿った。
②  会員の参加に加え、会員外の参加も多かった。
③ナヴィゲーター 村井智恵、植木園子、遠藤藍子、岩崎洋三、富田兼任、吉原重和

【使節団の行動】
・品川出発、オランダ公使招宴、横浜泊(11/10)
・家族、知人による門出の宴(11/11)
・横浜出港(11/12)
・日付変更線通過(11/21)
・サンフランシスコ上陸、グランドホテル投宿(12/6)
・市長来訪、岩倉大使ベランダより市民の歓迎に応える(12/7)
・馬車製造所、毛織物工場、ウッドワード公園、夜観劇・舞踏会(12/9)
・サンフランシスコ湾遊覧、ヴァレーオの造船所(12/10)
・鉱山機械製造工場、歓迎パレード見物人2万人。大島・瓜生鉱山技術視察のためニューアマーデンに向け出発(12/11)
・ミルズ邸(南30km)にて昼食饗宴、シャロン邸・ロールストン邸訪問(12/12)
・オークランドに渡り湾東岸を走りサンノゼへ、西岸を走り帰着(12/13)
・女学校、小学校、電信局。夜歓迎宴、300人出席、伊藤「日の丸演説」(12/14)
・ベルモント(南45㎞)のロールストン邸で歓迎宴(12/16)
・大雪で鉄道不通の報。競馬見物、クリフハウス(12/17)
・コーエン邸(オークランド)(12/18)
・葡萄酒工場、別動隊(文教調査員)オークランドの学校視察(12/20)
・馬具製造所、荷揚げ倉庫(12/21)
・ホテル出立、オークランドに渡り鉄道乗車、サクラメント着、オールリンズホテル投宿(12/22)
・機関車製造工場、州議会議事堂、夜招宴(12/23)
・サクラメント発、サミット(海抜2100m)通過、車中泊(12/24)
・トラッキーでネヴァダ州に入り、テコマを過ぎユタ準州に入る(12/25)
・オグデン経由、ソルトレークシティ着、タウンゼントハウス投宿(12/26)
・温泉(郊外)(12/27)
・準州役所、ジェニングス邸で接待、モルモン教会、博物館、夜観劇(12/28)
・キャンプダグラス要塞、モロ-将軍より兵営で饗応(12/29)
・マウンテンホールスクール(9歳~18歳)、商業学校(12/30)
・ソルトレークシティ長逗留、観劇、教会、饗応等で時を過ごす(1/1~1/13)
・ソルトレークシティ発、エヴァンストン駅(州境)で停車、車中泊(1/14)
・ワイオミング準州に入る、クレストン(海抜2330m)通過(1/15)
・シャーマンサミット(海抜2746m)通過、ネブラスカ州に入る(1/16)
・コロンブス、オマハ着、ユニオンパシフック鉄道終点、シカゴ鉄道に乗換、カウンシルブラフでアイオワ州に入る、グレンウッド、ヴィリスカ(1/17)
・バーリントンでイリノイ州に入る、シカゴ着、トリーモント及びグランドセントラル両ホテルに投宿、市長およびシェリダン将軍の歓迎を受ける(1/18)
・市内視察;大火跡、水道施設、消防演習、河底トンネル、小学校、繁華街、シカゴ出発、インディアナ州に入る(1/19)
・オハイオ州に入る、ペンシルベニア州に入る、ピッツバーグ(1/20)
・フィラデルフィア、デラウェア州に入る、ウィルミントン、メリーランド州に入る、ボルティモア、ワシントンDC着、接客掛ゼネラル・メイヤ出迎え、アーリントンホテル投宿(1/21)
・宿泊先ホテルに大統領夫人から歓迎の花束届く(1/21)
・造幣局(1/22)
・ホワイトハウス訪問しグラント大統領謁見(1/25)
・国会議事堂、スピーチ交換、夜観劇(1/27)
・国務省訪問しフィッシュ国務長官面会(2/3)
・ホワイトハウスにて大統領饗宴(2/4)
・国務省にて条約改正交渉、夜ホテルにて招宴(2/6)。同左、夜観劇(2/19)
・フィラデルフィア市の招待に肥田理事官派遣、スペイン公使主催招宴(2/7)
・寺院。廃兵院、黒人学校(2/9、2/17)
・大久保伊藤両副使帰朝(2/12、2/13)
・大統領以下枢要人物招き宴会(2/24)
・特許庁。活版印刷局。女子修道院(2/25、2/26、2/28)
・各国公使、デロング夫妻、ダルグレン総督未亡人を招宴(3/1)
・フィラデルフィア市接待掛を招宴(3/4)
・黒人奴隷解放記念パレード(3/9)
・スミソニアン協会。メソニックテンプルで舞踏会(3/10、3/11)
・海軍造船所(市東部)、マウントバーノン(南30km)、ワシントン大統領旧宅、船にて昼餐(3/13)
・天文台。財務省、紙幣印刷局(3/16、3/17)
・陸軍付属電信局(3/18)
・海軍造船所。中央郵便局、農業振興局・農事試験場(3/20,3/23)
・アナポリス(東60㎞)、海軍兵学校。夜観劇(3/27、4/1)
・義勇兵演習場。アーリントン国立墓地。精神病院(4/17、4/24、5/1)
・北部巡覧の旅に向けワシントンDC出発(5/4)

【出席者所感】
□新資料について
・近藤・冨田日記面白かった。
・私日記が(実記で書かれていないところを)色々埋めてくれている。・素晴らしいプレゼンだった。これからも参加したい。
・様々な角度から使節団の行動を見ている。フレッシュに感じた。
□データベースについて
・データベースのリンケージが素晴らしい。HPで是非公開すべき。
・使節団が身近になった。データベースはある意味、知の革命であると感じた。

(文責:岩崎・冨田・植木)

米欧亜632日の旅:2月度セミナー開催報告 第四十八巻「パリ その7」

日時:2022年2月9日(水)13:00~15:00
場所:ZOOMによるオンライン開催
担当:富田
内容:第四十八巻「パリ その7」

明治6年(1873年)1月23日から明治6年2月16日パリに留まり市内外各所を見学した。

1月23日:クリストフル社工場
コンセルワトワル近くのクリストフル食器工場を見学。湿電法(ガルバン法、電気メッキ)で金銀メッキの食器を製作。銃剣も作っている。象嵌七宝は日本のものを手本に模造し、ウィーン万博では賞を獲得した。 

同日:唖学校、25日:盲学校
啞学校は大裁判所(シテ島に在る)西南の5階建ての大きな校舎。500人在籍、学費1000フランを払えない者は免除される。盲学校はナポレオン一世の墓所の近く、こちらも大きな校舎。凸字を発明したアウイ氏が1784年に創立、こちらも学費の免除あり。男子200人、女子100人が寮に在籍。盲人は指耳の感覚が研ぎ澄まされ特に女性はきれいな歌声と称賛。 

1月28日:プロテスタント教会関係者来訪
ロンドンで英国聖書協会を訪ねた際にベッテルハイム訳日本語版聖書のゲラを見せられた。その後ウイーンの印刷工場で完成した聖書をパリにいる英国聖書協会の代理人であるプロテスタント教会関係者がこれを届けに来たもの、と吉原氏から注釈があった。

31日:答礼宴
各省(外務・大蔵・工部・文部・海軍・陸軍および公使・市長)長官を招く。

2月2日:ブーローニュ公園散策
雪晴れの公園を馬車で散駆。動物園見学。

4日:経済学者ブロック教授宅訪問、招宴
使節団が道中唯一面会した学者。統計学、財政学専門でティエール大統領とも懇意であった、と言われる。

10日、13日:香水工場、薬莢工場
前者はパリ東南の郊外、後者はサンクレーにある。

16日:ティーエール大統領招宴
翌17日パリを発った。

使節団は郊外に出掛けるほかはほとんどパリに滞在した。当時のパリはナポレオン3世による大改造が終わった後でパリコンミューンによる破壊の爪痕も残っていたと想像されるが、今のパリに近い姿が既に出来ていたと思われる。そこで、文献(大都市政策研究機構「大都市政策の系譜;オスマンのパリ大改造」)を参照し、パリの景色について見てみる。

  • 時代背景
    1840年代パリは既に100万人を超えていた。当時のパリは中世以来の城塞都市の名残が残り、汚物も流れる狭い道路、密集する高いアパート等非衛生な環境にあった。一方で乗合馬車の登場で交通渋滞が発生し、道路網の整備は焦眉の急であったが、1830年に発足した七月政府は緊縮財政を掲げ公共投資には消極的であった。
  • ナポレオン3世とオスマンの登場
    1852年第二帝政を確立したナポレオン三世は、亡命生活を送っていたロンドンでその都市計画に感銘を受けパリの大改造を考え、オスマンをセーヌ県知事に任命し、直ちに着工するよう命じた。

3.パリ大改造の概要

  • 道路事業
    オスマンは、①古い道路の拡幅、②幹線道路の複線化、③重要拠点の斜交化の3原則を掲げ、まず東西南北の「パリ大交差路」を貫通させた。前者は凱旋門からバスティーユ広場に到るリヴォリ通り、後者は東駅からシテ島を通りリュクサンブブール東端に到る通りである。シテ島は民家を撤去し公共建築物(裁判所等)を集中的に集めた。エトワール凱旋門広場は放射状に12本の大通りを同心円状の道路で結んだ。
  • 公園事業
    過密状態のパリに新鮮な空気の補給源として西にブーローニュの森、東にバンセンヌの森を配置し、ビュットショーモン、モンスリー、モンソーの3つの都市公園、シャンゼリゼを始めとする24の広場を整備した。
  • 上下水道事業
    1832年のコレラ流行を期に上下水道、汚水処理が急務であった。上水道は150㎞離れた川から飲用水を導き、非飲料水は既存の水源であるセーブ川などから引いた。下水道は末端小管渠か幹線管渠に到るネットワークを計画、巨大な地下溝を整備した。
  • 都市景観
    デクレ(政令)手法を取り入れ収用した土地には、外観の統一制を考え、ファサード、階高、天窓、バルコニー等様々な規制を開発業者に課した。新ルーブル宮、新オペラ座、市庁舎、鉄道駅など記念碑のような視覚効果を演出した。

 

4.各国に与えた影響
パリの大改造は「オスマニザシオン(オスマン化)」と称され都市改造の手本とされウィーン、バルセロナ、ブリュッセル、ベルリンなどの都市改造に多大な影響を与えた。日本でも井上馨の「日比谷官庁集中計画」(1886年)等々に影響を与えた。

(冨田兼任記)

実記輪読会:12月度開催報告 第四十七巻「パリ その6」

日時:2021.12.8 13:00 ~ 15:00
場所:ZOOMによるオンライン開催
内容:第四十七巻「パリ その6」

明治6年(1873年)1月21日から明治6年1月22日パリに留まり市内外各所を見学した。

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月21日:ゴブラン織工場
パリ13区(南東)にあるゴブラン工場を見学。ゴブラン織りは京都の綴れ錦に似た絵画のような精密、細微な織物。木綿糸を縦糸、色糸を横糸とし、同色の色糸は十数種類の濃淡があり、この微妙な色合いで陰陽明暗を付けまるで絵画のように織り上げる手法。セーブル磁器と同様に国営工場で伝統技術の保存に国を挙げて努めている、と久米は賞賛。

同日:チョコレート工場
チョコレートはカリブ海西インド諸島の植民地「マルテニーク」「グアダループ」カカオ豆を原料として作る。関連して、植民地であるアフリカのアルジェリア、セネガル、アメリカ(中南米)のマルテニーク、グアダループ、アジアの安南(ベトナム)等の産物について概括し、貿易による利、特に英仏の利、について考察する。

1月22日:パリ天文台
14区(南東、13区から時計回りで隣接する区)にあるパリ天文台に行く。リュクサンブール公園から真南に下った通りの突当りにある。ルイ14世の1671年に竣工、数々の功績を遺す。1851年フーコーが振り子を使って「地球の自転」を証明する公開実験を行ったことでも有名。使節団は、1859年作製の「フーコーの太陽儀」を見ている。

同日:最高裁判所
1区シテ島の3分の1を占める建物の中にある。裁判の様子、牢獄も見学している。使節団訪問時は陪審制(陪審員は罪の認定のみ判断)であったが、その後1941年参審制(参審員が裁判官と同格で罪の認定、量刑判断まで行う)に変わっている。

同日:伊藤副使によるエルブーフのラシャ工場視察
セーヌ河下流で大西洋に面するセーヌ・アンフェイエール県エルブーフのラシャ工場を視察した伊藤副使が同日パリに帰還した。当地はラシャ製造の一大大生産地で、市民のほとんどがラシャ製造に関連する職業に就いている。

(冨田兼任記)

実記輪読会:11月度開催報告 第四十六巻「パリ その5」

日時:2021年11月10日(水)13:00~15:00
内容: 第四十六巻「パリ その5」
ナヴィゲーター:富田兼任

明治6年(1873年)1月19日から明治6年1月21日パリに留まり市内外各所を見学した。
パリの鉄道駅
パリの主要鉄道駅六つを紹介する。実記に関連しているのは次の四つ。
北駅:カレー方面
東駅:アルザス方面(実記は「カレーから東駅に着いた」と記すが北駅着と思われる。)
モンパルナス駅:ヴェルサイユ方面
リヨン駅:マルセーユ方面
この他に、
サンラザール駅:ノルマンディー方面、モンサンミッシェル行きもこの駅、オステルリッツ駅:トゥール方面

1月19日:フォンテーヌブロー宮殿
汽車(リヨン駅発)でフォンテーヌブロー宮殿に行く。パリの東南60km。元々は王族の狩猟宿であったが、16世紀のフランソワ一世から19世紀のナポレオン一世に至る王・皇帝が増築を重ね幾多の建築様式が残る大宮殿となった。内部は、回廊、壁、天井に始まり各部屋も装飾、調度品で絢爛豪華に彩られる。ナポレオン一世がワーテルローの戦いに敗れ将兵に別れを告げた場所でもある。
風雨激しかったため却って帰途、安臥して帰れる汽車の有難みを痛感する。

1月20日:建築学校【土木学校】、鉱山学校、リュクサンブール宮殿
土木学校は1747年設立の最古のグランゼコール(高等専門大学校)、鉱山学校は1783年設立で、エコールポリテクニーク(理工科学校)と共に最難関とされ、高級官僚、産業界経営層を多数輩出してきた。土木学校では模型、図面、鉱山学校ではフランス全土地質図、鉱物見本等の充実ぶりに感心する。
リュクサンブール宮殿は、セーヌ左岸サンジェルマン・デュ・プレの南側にある。イタリアメディチ家からフランス王室に嫁いだマリー・ド・メディシス(1753-1642年:ルイ13世の母)の居城で、使節団訪問時から国会上院議場となっていた。広大な庭園(25ha)には現在歴代王・王妃を始め文化人、自由の女神像等60体の彫像がある。

1月21日:フランス銀行
チュイルリー宮殿近くのフランス銀行に行き、紙幣製造、預金証書記録、金庫等視察。

(冨田兼任記)

実記輪読会:10月度部会報告 第四十五巻「パリ その4」

日時:2021年10月13日 13:00~15:00
内容:第四十五巻「パリ その4」
ナヴィゲーター:富田兼任

明治6年(1873年)1月15日から明治6年1月18日パリに留まり市内外各所を見学した。

フランス18世紀~19世紀の歴史(実記関連)
実記に関連するフランスの歴史と関連史実を概観する。
1789年:フランス革命 ルイ16世処刑(93)
1804年:ナポレオン皇帝即位 第一帝政(~15)ナポレオン
1814年:ナポレオン退位 エルバ島流刑
1815年:ナポレオン「百日天下」 セントヘレナ島流刑、復古王政(~48)ルイ18世シャルル10世ルイ・フィリップ
1830年:七月革命
1848年:二月革命 ルイ・ナポレオン大統領当選
1852年:ナポレオン三世皇帝即位 パリ大改造着手 第二帝政(~70)ナポレオン三世
1867年:徳川昭武遣欧使節団(~68) パリ万国博覧会
1870年:普仏戦争 ナポレオン三世降伏 第三共和政(~1940)ティエ-ル大統領他
1872年 岩倉使節団訪仏

1月15日:ヴェルサイユ 陸軍士官学校 ヴェルサイユ宮殿
汽車でヴェルサイユに行き陸軍士官学校見学。ルイ14世后マダム・マントノンが建てた女学校をナポレオン1世が士官学校にした。フェンシング、体操場、射撃場、厩を視察。
帰途、ヴェルサイユ宮殿を一覧。その壮大さは随一と称賛。1871年普仏戦争でドイツがここに本営を置き、鏡の間でプロイセン王ウィルヘルム一世が皇帝に推戴された。

1月16日:市内下水道
パリ市内の下水道を見学。天井も高く隧道形式の施設は、上に上水道電線が走り両岸にはレールが引かれ車が通り壮観である。1832年のコレラ大流行を契機に建設が進みナポレオン三世のパリ大改造に合わせ整備が進んだ。

1月17日:モンワレヤン砲台
市郊外西方にある。凱旋門から3km、ヴェルサイユから9km離れた地にある。1500名が駐屯する。武器庫、兵舎、厨房、パン工場を回覧。射撃訓練を視察。

1月18日:ヴァンセンヌ城(要塞)
市郊外東方にあり、モンワレヤンと東西で対峙する。場内300、場外12000名の兵士が駐屯する。武器庫、兵舎回覧。場外の運動施設見学。帰途、軍の病院を視察。

(冨田兼任記)

実記輪読会:9月度部会報告 第四十四巻「パリ その3」

日時:2021年9月8日13:00~15:00
場所:ZOOMに依るオンライン

内容

明治6年(1873年)1月9日から明治6年1月14日パリに留まり市内外各所を見学した。

1月9日:ナポレオン3世逝去

ナポレオン3世は1815年伯父ナポレオンボナパルト失脚で亡命を余儀なくされたが、1848年王政終焉と共に第二共和制大統領となり、1852年皇帝に即位、普仏戦争で捕虜となるまでの22年間、パリ大改造、労働福祉政策等フランスの国力増進に多大の貢献をしたと久米は称賛する。普仏戦争終結後ロンドンに亡命し復権を模索したが、膀胱結石手術後の結果が思わしくなくロンドンにて客死した。

1月10日:墓地(不詳)、ビュットショーモン公園、製鉄所

市外東方の墓地に行く。パリコンミューンの際300名の兵士がここで命を落とした。ビュットショーモン(小さなはげ山)公園はパリ市内19区(北東部)の下町にあり、パリ改造で石切り場を近隣に住む労働者の憩いの場として整備されたもの。ナポレオン3世の美挙の一つと久米は称える。

帰路市内の製鉄所を訪れる。フランスの工場は英国に比べ小さいが、英は大から小へ、仏は小から大へ発展させてゆくという方針の違いであり、決して仏が劣るものでない、と久米は考察する。

1月11日:西方郊外のセーヴル陶磁器製作所

パリを出て西方に進みセーヌを渡りサンクルー経由その南にあるセーヴルの国立陶磁器製作所に行く。現在は大きな博物館(一部製作部門も残す)となっている。焼物の土質、釉薬はじめ欧州、中国、有田に至るまで陶磁器について広く久米が解説する。

1月12日~14日:(天気の記述のみ)

 

(冨田兼任記)