歴史部会8月度開催報告「大久保利通を語る」

日時:2022年8月
場所:ZOOMに依るオンライン開催

「大久保利通を語る」
会員各位より、各々の大久保像を語ってもらい、その実態を浮き彫りにする?
彼は良い男なのか、悪い悪い男なのか?
悪い男 国を思う誠心からの 要するにワル
冷徹なリアリスト 冷厳なリアリスト 冷酷なリアリスト
骨の髄までの政治家 堅忍不抜、国を背負った真の政治家
日本を兎も角にも、日本国を大変革しようとした男
基本的長期的国家構想は、特段持ち合わせなかったと思うが、重要な局面で、決意したら絶対枉げない胆の男、意思の男

大隈の大久保評「大久保は辛抱強い人だ。喜怒哀楽を顔に表さない。言葉少なく、沈黙 常に他人の説を聞いている “よかろう”と言ったら最後、必ず断行する 決して変更しない 百難を廃しても遂行する 熟慮断行の人(司馬遼太郎)

大久保の決断の歴史
雲にのぼり海にひそむも時ありて龍のうごきのやすくもあるかな 大久保利通
囲碁で島津久光に接近 10手 先を見る目
佐幕から、薩長同盟への転換
徳川慶喜の大政奉還に、危機感を抱き、小御所会議で慶喜排除
鳥羽伏見を利用して、慶喜を朝敵に 王政復古の大号令
不義の密勅は勅命に非ず 錦の御旗
天皇の可視化(行幸で国民の前に、軍服軍馬、東京遷都)
明治6年の政変(留守政府急進派の排除、内務省充実発展)
暗殺の朝、10年は創業期、10年は内地・民産 10年守勢

明治6年の政変
台湾出兵時の西郷から大久保への手紙、「この度の台湾に罪を問う挙は、到底私には条理ある理由は見当たらない」
征韓論ではありえない。韓国がない。李氏朝鮮500年の時代。
西郷の平和的使節としての派遣の可否で西郷には征韓論の意思なし。
内治派と征韓論の対立も、その後の台湾出兵、江華島事件を見れば矛盾が多すぎる。江藤への過酷な制裁も。
西郷と大久保が閣議で論争して、結局西郷派遣が決まりそれに不満の大久保、岩倉の辞表を受けて三条が発狂?、岩倉が太政大臣代理で、二案を奏上し、派遣中止となったと言うが、これは政治を止めたがっていた西郷と大久保の狂言で、留守政府急進派の排除が目撃と考えれば、すべてが明快に解釈できる。

大久保の回覧から得てきたもの
回覧中に大久保は6人コンパートメントにおり、ほとんど沈黙していたが、岩倉・木戸・久米などの話は、しっかり聞いている。すなわち、憲法への漸進的アプローチ、ドイツモデルへの傾倒、帰国後のこの国のかたちへの共通認識を得た。
一度、もう年寄りは引退すべきかとの弱気をはいたが、その後の各国の近代西洋の実体を見るうちに、初めて自前の国家構想を得て帰国した。自分のやり方で、確実に日本の近代化を軌道に乗せなければ死んでも死にきれない。=大久保の真骨頂。それは、政変後のたて続けの彼による諸建言にも表れている
一君政治、富国強兵、殖産興業、民力養成
内務省には旧幕臣や佐幕派からも人材を集めた。(西周、福沢諭吉、松浦武四郎にも声をかけた)(慶喜赦免)
大久保の建議から考える大久保の政策
立憲政体に関する意見書(明治6年11月)
殖産興業に関する建議(明治7年5月)
家禄奉還中止の建議(明治8年3月)
勧業寮定額見込書(明治8年)
海外直売の結社設立の建議(明治8年)
内国勧業博覧会開催の建議(明治9年2月)
国本培養(勧業施設)の建議(明治9年4月)
貸付局・資本手形発行建議(明治9年5月)
地租軽減の建議(明治9年12月)
行政改革の建議(明治9年12月)

文責(吉原)

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