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2026年1月度回覧実記輪読会開催報告

明治6年5月7日ミュンヘンを出立した使節団一行は、アルプス山中を経て8日深夜(即ち9日3時)フィレンツェに着き旅装を解いた。

イタリア入国

 ミュンヘンを南下し、オーストリアインスブルックを経てブレンナー峠を超えイタリア国境の町アラに入る。この辺りチロル地方は歴史に翻弄された地域でもある。元々はオーストリア(ハプスブルグ家)領であったが、1805年ナポレオンに敗れドイツ(バイエルン王国)領となった後住民は蜂起し、その後1815年ナポレオン敗北後の「ウィーン会議」で再びオーストリアに復帰した。アラからはアディジーェ川に沿って南下する。木曽の山中を思い起こさせる風景が車窓に広がり、久米は欧州の林業について考察、明治政府はドイツ流林業政策に学んで「国有林制度」を誕生させた。

一行はその後、ヴェローナ、ヴィチェンツァ、パドヴァを経てフィレンツェに入った。

イタリア総説

歴史、地勢、気候、産業、貿易、人種、教育、通貨について概説。

歴史的には、紀元前の都市国家ローマまで遡るが、その後異国民国家が続いた後、8世紀ごろからヴェネツィアをはじめとする都市国家群雄割拠の時代に入る。そして1861年サルディニア王を国王とするイタリア王国に統一された。地勢は北部アルプスの南にポー川、アディジーェ川のロンバルディア平原が広がる。さらに南はイタリア半島となり東はアドリア海、西は地中海に面し、温暖な気候、肥沃な土地に恵まれる。久米は「沃土之民堕」と評して、農業は土地活用が不十分とみるが、それでも果樹類は豊富である。産業は、繊維業が盛んで、工芸品はすぐれたものが多い。貿易は仏英が主で墺瑞が続く。人種的には、古代ローマ人子孫を中心に様々な民族が混在する。音楽や芸術を楽しむ国民性である。教育は、イタリア王国統一後普及してきたが、地域間で就学率に格差がある。宗教はカトリック、貨幣は「リラ」で仏「フラン」と同価である。度量衡も仏と同じである。

(冨田兼任記)

 

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