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2025年9月度回覧実記輪読会開催報告

日時:2025年9月20日(土) 10:00~12.00 (ZOOMに依るオンライン開催)

範囲:第七十一巻「北ゼルマン後記 下」

明治6年5月4日~5日フランクフルト・アム・マインに滞在、ザクセン地方の諸国を概観する。

ザクセン地方の諸公・候国

元々ザクセン地方には王国があったが、1681年エルンスト王が死去すると子供たちに領地を分け与えたため、諸公国・候国ができた。その際土地を分割したため、領地は飛び地になることが多い。領地は君主の私有地であり、君主は地租から自らが必要な分を差し引き、残りを国の歳費に充てた。

ザクセン・マイニング公国の首都マイニンゲンには今も宮廷劇場が残る。

ザクセン・コーブルグ・ゴータ公国は、欧州王家間で絢爛たる姻戚関係を結んでいたことで有名である。エルンスト1世(~1844年)の妹ヴィクトリアは英ヴィクトリア女王の母、弟はベルギー王レオポルド1世、息子アルバートはヴィクトリア女王の配偶者である。

シュワルツブルグ・ルートシュタット侯国、シュワルツブルグ・ゾンデルハウゼン侯国はいずれも800平方㎞程度の山岳地方の小国、方やザクセン・ワイマール大公国、ザクセン・アルテンブルグ公国は、3700平方㎞、1330平方㎞の領地を有する大国、またワイマール東部の新ロイス、旧ロイス侯国は小国である。

大公は、王の下位、公爵の上位に位置する爵位である。

ザクセン王国

ザクセン王国は、旧東ドイツのドレスデン・ライプチヒを含む17,4256平方㎞人口225万の大国であった。王家は欧州一の古い家柄、ザクセン・スイスと称される豊かな自然、リヒャルトワグナーに代表される文化豊かな国で、マルティン・ルターの出身地でもある。

フランクフルト・アン・マイン

フランクフルトは、プロイセンのフランクフルト・アン・デル・オーデルと区別するため、アン・マインを付けて呼称する。使節団は、パルメンガルテン、動物園、ナウマン社を見学した。ナウマン社とは明治政府が明治通宝別名ゲルマン紙幣製造の契約を結んでいた。一行は、近郊の温泉保養地、ヴィースバーデンやバーデンバーデンにも出かけている。

 

(冨田兼任記)

 

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