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2025年11月度回覧実記輪読会開催報告  

日時:2025年11月15日(土) 10:00~12:30 (ZOOMによるオンライン開催)

範囲:回覧実記 第七十二巻「南ゼルマン」ノ記

明治6年5月5日フランクフルトを発しミュンヘンに着いた。7日にはミュンヘンを発ちイタリアに向かった。

南ドイツの成り立ち

南ドイツはライン同盟とも呼ばれる。4~6世紀にかけアジアから侵略したフン族に押されたゲルマン一派のゴート族がアルプス山脈の南北一帯を支配するようになり、土地所有の大貴族がやがて封建国家を形成していった。

8世紀の皇帝シャルマーニュ、17世紀のルイ14世、19世紀のナポレオン一世の時代一時フランスの支配下に置かれるも、1815年ナポレオン失脚に伴うドイツ連邦(盟主;オーストリア)成立、1870年普仏戦争勝利に伴うドイツ帝国(皇帝;北ドイツプロイセン王)成立と、北ドイツ、オーストリアと鼎立してきた。

南ドイツの諸国

南ドイツには、バイエルン王国(首都ミュンヘン)、ビュルテンブルク王国(シュツットルト)、バーデン大公国(マンハイム)、ヘッセン大公国があった。バイエルンが最も勢力が大きかったが、いずれの国も肥沃な土地、ビールやワイン等の地場産業、温和な気候等、豊かな国々であった。

フランクフルト出立

5日9時ホテルを出て、日本より紙幣製造を発注していたナウマン社を視察後、10時半フランクフルトを発ち、“鉄路、繍霞【刺繡のような薄霞】ヲ分ケテ馳行シ”、午後2時半ヴュルツブルグ、午後9時半ミュンヘンに着いた。

冨田冬三日記によれば、同日山口副使は田邊杉浦市川と共に、仏「メッツ」「ストラスブルグ」に向けて出立している。

ミュンヘン出立

6日、ミュンヘン市内の王宮、美術館を訪れた。美術館は世界6大美術館の一つに数えられ、ヨーロッパの巨匠たちの有名な絵画を収蔵する。

バイエルン王の中でも有名なのはルートヴィッヒ2世で、リヒャルトワーグナーの庇護者かつノイシュバンシュタイン城、バイロイト祝祭劇場など建築と音楽に破滅的な浪費を繰り返し「狂王」と呼ばれ挙句の果てに臣下から避けられ自殺に追いやられた。

浪費の挙句死後壊すように命じたノイシュバンシュタイン城が、今日ドイツ有数の観光資源となっているのは歴史の皮肉と言えようか。

7日夜半ミュンヘンを発ち、イタリヤへ向かった。

(冨田兼任記)

 

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