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2023年1月度実記輪読会開催報告:第五十二巻「オランダ国総説」

日時:2023年1月21日 10:00~12:30
場所:ZOOMによるオンライン開催

国土、歴史

面積約3.28万km2、ルクセンブルグ(当時オランダ王家所有)も含めれば約3.54万km2。国土の四分の一が海面下にあり、堤防を築き干拓により国土を拡げた。

1568年スペイン統治からの独立を果たすため八十年戦争勃発、1648年ウェストファリア条約で「オランダ連邦共和国」として独立が承認された。1810年ナポレオン軍により一時仏に併合されるが1815年ナポレオン敗退後のウィーン会議で「ネーデルランド連合王国」として復活した。日本とは1609年交易が始まり、長崎出島を拠点に貿易のみならず文化・技術の交流が進められた。

 

産業、貿易

低湿地の国土の為、農業より牧畜が盛んで「ヨーロッパの牧場」と呼ばれ良質の乳製品を輸出する。漁業も盛ん。鉱産物には恵まれておらず、建築資材も輸入頼みだが、都市の街路は石で舗装、堤防・建物・船舶が強固な石造・鉄製であるのは国民の奮励努力の賜物である。

貿易の巧みなことは欧州一。運河・水運が発達し水上輸送はオランダ人が得意とするところである。主な輸出国はドイツ42%、英国25%、ベルギー13%である。

 

人種、宗教、貨幣

 人種はドイツ人種に属するチュートン系、容貌は美しく慎重、勤勉な性質である。学術に秀でており商業も巧みである。清潔好き、倹約に努め、無駄を省く。

プロテスタントを国教とし、ルター派とカルヴァン派が多い。通貨は南ドイツと同じ「グルデン(ギルダー)」で、12グルデンが1ポンドに相当する。

 

オランダ到着

 明治6年2月24日、午後3時40分ベルギー・アントワープを出発、4時40分オランダ領ローゼンタールに着き、接伴委員の元駐日オランダ公使ポルスブルグ氏他の出迎えを受け、夜8時30分ハーグに到着した。

 

(冨田兼任記)

 

 

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