歴史部会:9月開催報告『日本の国境はどう画定して来たのか』

日時:令和元年9月30日 13:30~17:00
場所:国際文化会館 404
演題:『日本の国境はどう画定して来たのか』
プレゼンター:小野博正
参加者:17名

日本の領土は世界60位の広さだが、排他的経済水域(EEZ)で見れば、世界第6位で熱帯から亜寒帯までの地域を包括する世界でも珍しい自然環境に恵まれた国である。

現在の日本は、北方領土、尖閣列島、竹島など近隣諸国との国境問題を抱えているが、一体日本の国境は、何時、いかようにして確定されたのか。江戸時代の初期には、蝦夷(北海道)も琉球(沖縄)も、更には小笠原諸島(無人島)も日本地図にはなかった。

日本の領土に対する目覚めは、1792年ロシアのエカテリーナ2世の書状を携えて、使節のラクスマンが根室に来航したのに始まる。1789年のフランス革命は、世界中に国民国家の意識を目覚めさせ、どの国家も国境画定の必要性が生じていた。一方で、日本近海は格好の捕鯨海域で、操業する欧米船から薪水食糧供与を求めて、幕末には開国交易を要求する使節の来航が頻発した。

蝦夷地は、アイヌ人の住む自由の土地で、1604年徳川家康は、松前慶広の求めに応じてアイヌとの独占交易権を与えたが、日本領土の意識は薄かった。しかし、度重なる欧米船来航に対処して、近藤重蔵、最上徳内の択捉島探査、伊能忠敬の測量、間宮林蔵の樺太調査、松浦武四郎の蝦夷地調査などの先人の努力があって、1875年に榎本武揚(全権公使)による樺太・千島交換条約に結実して、北海道(松浦命名)の日本領有と国境が画定する。(1945年の終戦直前の参戦で,四島がソ連により占拠・実効支配されて現在に至る)

琉球(沖縄)は、長い日清両属(清国と冊封関係で、一方薩摩藩に支配される)を経て、やはり欧米の干渉と交易要求があったが、幕府時代に実効支配を継続し、明治になって新政府は、琉球漁民の台湾生蕃による殺害事件を奇貨として台湾出兵を強行し、台湾が清国所属なら責任を取って賠償せよと迫り、暗に琉球は日本の領土と民と交渉を進めて、1879年の琉球処分を経て、日本領土化を確定する。(1945年敗戦で米国信託統治となり、1972年沖縄返還が実現するが、現在の沖縄基地問題は、戦後の日米安保条約と日米地位協定・秘密協定により日本は基地の自由と制空権が実質奪われて現在に至る)

小笠原諸島は欧米人の先住者がいたが、徳川時代に、幕府役人の巧妙な外交交渉により、1862年日本の領土を欧米に認めさせ、先住欧米人は日本に帰化している。

ハワイのカラカウラ大王が1881年来日し、明治天皇に日本ハワイ連邦化の提案をしたが、日本はこれを熟慮の上に断わる幻のハワイ連邦構想もあった。(文責:小野博正)

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