GJ部会:7月部会報告「アフリカ開発とエボラ緊急支援の最前線」

日時:令和元年7月20日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館、401号室
演題:「国際協力最前線―感染症との戦い」
講師:芳野あき氏
プロフィール:コロンビア大学 メールマン公衆衛生大学院
公衆衛生修士、コロンビア大学 国際関係公共政策大学院 行政管理修士(経済政治開発)、学習院大学文学部哲学科学
士(美学美術史)大学卒業後、JTBにて企画営業、ジョンソンエ
ンドジョンソンでプロダクトマネージャーとして医療マーケーテイング業務に関わる。30代を区切りに国際協力開発業界にキャリアチェンジを図り、NYコロンビア大学にて公衆衛生学と行政                 管理学の修士号を取得。以降10年間、サブサハラアフリカ(シエラレオネ、ウガンダ、ナイジェリア、ソマリア、コンゴ               民主共和国)、ボリビア、南アジア(パキスタン、ネパール)の国連機関やJICAにて、公衆衛生専門家(主に感染症対策)                 として緊急支援や開発プログラム管理、調査評価業務に関わる。
2013年~2015年パキスタンにて世界ポリオ撲滅への日本政府援助に関わり、ビルメリンダゲイツ財団、世界銀行との協調               のもと、65億円の借款案件を担当。

2016年~2019年1月 コンゴ民主共和国の国連移住機関(IOM)の保険衛生事業を立ち上げ、プログラムの統括を務め、               三度に亘るエボラ出血熱の緊急対応をリードした。

「アフリカ開発とエボラ緊急支援の最前線」

イントロ
 世界の秩序は大きく変化しつつある。多くの途上国が経済発展を遂げる中で、過去20年間で世界全体における極度の貧困率は半減、貧困削減に向けた世界的な取り組みは大きな前進を遂げた。近年は、テクノロジーの発展により、途上国と呼ばれてきた国が、かつて先進国がたどった軌跡や過程を飛び超え、従来とは違う発展のパターンを辿る事例や、イノベーションを生み出すソーシャルビジネス等、これまでの枠組みを超えた新しい動きが生まれてきている。今や、サブサハラアフリカでは、ほぼ全員の成人が携帯電話をもつようになり、銀行口座を持たずとも、Mpesaのような携帯電話を介して簡単に送金できるシステムが普及するようになった。他方で、世界的に拡大する経済格差や、格差を生む社会構造に対して人々が感じる不安感は、扇動的な思想や社会運動を勢いづかせる要因にもなっており、新たな課題も生まれている。このように世界全体の秩序が大きく変化する今、我々に求められる活動や支援とは何なのか?どうしたら住民や地域の自立と主体性、発展を促し、より効果的な支援を行うことができるのか?

本日は、8月に横浜で行われるアフリカ開発会議も予定されていますので、直近に関わったコンゴ民主共和国(以下、コンゴ民)のエボラ出血熱の封じ込めの取り組みなどを例にあげながら、皆さんと一緒に、アフリカの開発を考えて行きたいと思います。

私の履歴
 私は日本生まれの日本育ちで、幼少の頃に海外と接点があったのは、商社勤務の叔父が、オーストラリアや米国に赴任するのを見てきてきたくらいです。海外と言われても欧米諸国ぐらいしか想像ができなかった中学生のある時、家の本棚にあった「人間の大地」(太田道子著)をふと手にして読んだことがその後、途上国に関わるきっかけになりました。エチオピアの飢饉、アフガニスタン難民、本の中に書かれていた国々は、聞いたこともないような国ばかりであった上に、自分の知らない世界の反対側ではどうも大変なことがおこっているらしいという何か大切なことを知ってしまったという瞬間でした。そんなことから、欧米以外の世界を見て見たいと思い始め、高校では交換留学でメキシコに行く機会を得て、そこで初めて自分がマイノリティーになる経験をしました。留学した年は確かコロンブスがアメリカ大陸を発見して500年目の年でしたが、メキシコの人々はその年を「発見ではなく侵略の始まり」と捉えていたことも非常に興味深く、日本で教えられた世界の歴史は欧米的な視点に偏るということを初めて実感しました。また先住民の人は社会的にも経済的にも優位ではないことを目の当たりにし、メキシコ留学を通じて、格差が生まれる構造ということに漠然と関心を持ち始めました。帰国後は日本の大学に進学し、ジェンダーと表象文化を学ぶ中で、表象されているものの大半がその時の権力者などに都合の良いように描かれ、それを何百年たった今でも「見せさせられている」ということに気がつかないと、ついつい見ているだけなのに、自分たちもその時の権力者の視点に立ってしまうというトリックがあることも大変勉強になりました。この視点は、その後、植民地などの歴史に翻弄された途上国に関わるようになってからも「支援の方法は、強者の目線だけのアプローチではないか。これによって徳をするのは誰か?」と立ち止まり、自分がやっていることは本当に支援をすべき人の目線も見えているかと問い直すのに役に立ちました。社会人になってからは、民間企業で10年勤務し、30歳を手前にして、10代で興味を持った途上国の世界に関わって見たいと思い、米国ニューヨークの大学院留学(公衆衛生、行政管理学)をきっかけに、大きなキャリアチェンジをすることになりました。その後10年間は、シエラレオネ、パキスタン、ナイジェリア、ソマリア、コンゴ民などの内戦や紛争を経験した国々を渡り歩くことになりました。

植民地化の影響とアフリカの開発
 これらの国々に赴任してまず実感したことは、植民地化の影響は、アフリカや南アジアの発展に大きく影響したという過去の事実としてではなく、未だにそれが色濃く影響を及ぼしている進行形の事実であるということです。現在の西洋的な基準で見ると、アフリカには多くの失敗国家や貧困国が存在しますが、その背景には19世紀後半から20世紀に起こった「アフリカ分断」に始まる植民地化が大きく影響していることが浮かび上がってきます。リベリアとエチオピアを除くアフリカ全土がたった7つのヨーロッパ列強により分割され、多様な民族言語グループが存在していたにも関わらず、欧州列強の政治や経済政策に沿った形で勝手に境界線を引かれた。民主言語グループに関係なく同じ地域に組み込まれ、他者との差別化につながる「人種」の概念が入った結果、アフリカ人同士の争いがはじまったわけです。コンゴ民、スーダン、ルワンダなどの大量虐殺の悲劇は記憶に新しい。また、アフリカの天然資源の略奪は、欧米諸国のアフリカ植民地化の大きな理由でしたが、それは外交やビジネスという形に変えて、欧州にとって条件が良い交渉が未だに継続されていることも事実です。また、アフリカ諸国が自立的な経済発展の離陸が起こり始めていたところに、欧米による強制的な発展が持ち込まれたため、アフリカ独自の発展の道筋が変えられてしまったことも今の発展に影響を与えています。また、植民地化は、搾取により欧米列強が富の増幅をしたわけですが、現地に残された社会経済システムが、現在も続くアフリカの貧困の大きな原因であることも周知の事実である。その中でも私がアフリカを理解する上で、腑に落ちたことが一つあります。アフリカ諸国に限ったことでもありませんが、60年代にようやく独立したばかりの国々なのに、なぜ国民が政府に対する不信感がこんなに強いのか?常々これは一体どこから来たものなのかと考えていましたが、その理由の一つとして、植民地化の影響によるアフリカ人同士の間で起きている土地所有の格差が影響しているのではないかと考えるわけです。植民地化の強制移住により、人々は従来の土地を喪失したわけですが、欧州諸国は奪った土地をその後アフリカに売りつけ、アフリカ諸国は欧州諸国から借金をし、ようやく土地を取り戻しましたが、未だに旧宗主国に負債を抱えています。その取り返した土地のほとんどが政府の所有となり、その後も土地が公平に分配されることはなかったことがポイントです。これにより、アフリカ人同士の間で土地所有の格差が生まれてしまい、土地を独り占めした政府関係者たちは、その後も国民の信頼を勝ち得ることはなく、その利権を持ち続けるために新たな内紛や、援助の効率化を阻害するような状態が生まれてしまっているわけです。私が赴任した、シエラレオネ、ソマリア、コンゴ民なども例外ではなく、天然資源をめぐる内戦と欧米諸国の関与を経験し、政治腐敗、蔓延する汚職、脆弱なガバナンス、脆弱な経済社会基盤、高い失業率、緩やかな経済発展と貧困が共通した課題です。そのような中でも、これまでのやり方では残された課題は打破できないとして、近年ではアフリカ諸国からも経済発展の支援を求められていることもあり、これまでの既存のドナーの資金や援助機関の取り組みだけでなく、ゲイツ財団などの民間の巨額の資金が入って来て、援助のあり方も徐々に変わりつつあることを実感しています。今のグローバルの一つの主な課題は「格差是正」です。平均的な指標の数値を良くするだけではなく、国の発展の恩恵を受けられず取り残される人たちを優先して支援をし、格差が拡大しないようなシステムを構築するということです。グローバルヘルスにおいても、2013年ごろから「Universal Health Coverage(全ての人が、生涯を通じて必要な時に、基礎的な保健サービスを負担可能な費用で受けられること)」の推進が進められ、医療保健の分野のみならず、保健サービスや制度を可能にするような、法律、政策、行政等への取組みも求められています。

エボラ出血熱流行の緊急援助
 アフリカ開発の課題とその取り組みなどを駆け足でお話しして来ましたが、後半は、私の専門分野の感染症や公衆衛生の経験を取り上げ、特に直近で関わったコンゴ民のエボラ出血熱の緊急援助などの場合には、歴史的背景や根底にある開発課題がどのように影響するのかということをお話ししたいと思います。私は2年半のコンゴ民の滞在のうち、3回もエボラ流行を経験しましたが、2018年8月からは始まったコンゴ民主共和国の東部北キブ州におけるエボラ出血熱のアウトブレークは、現在までに1600人以上の死者が報告され、2014年の西アフリカのアウトブレークに続く、史上2番目に大規模な流行となっています。1年が経過した今でも決定的な打開策が見出せておらず、封じこめが難しい状況が続いています。

エボラのような感染力の強いウィルスの場合は、大都市に広がらないように小さな地域で早期に封じ込めることが感染症対策の第一戦略ですが、マバラコという小さな村で死亡例が出始めた去年の5月ごろは、給料未払いに抗議して地方保健省のスタッフが出勤していなかったため、その報告が遅れ、ようやく症例が確定され、正式なアウトブレークが発表されたのは8月1日のことでした。この報告の遅延も、コンゴ民の脆弱な保健システムが如実に現れた一例と言えます。さらに、流行の中心地となる北キブ州は人口700万人の密集地で、その3分の1が地下資源の採掘地となっています。資源をめぐる25年続いた内戦後も、東部では未だに100以上の武装勢力が活動しており、治安が悪いためなかなか援助開発者の立ち入りも難しく、支援が届かない地域でもあります。しかし、地形や治安が悪いながらも、隣国のウガンダ、ルワンダ、ブルンジなどとの国境を超えた人や物の移動も活発に行われ、今回のアウトブレークにおいても、流行の広がりが南の大都市に南下していき。商業の中垂都市であるブテンボ、100万人の国際都市ゴマにも流行が広がって、隣国ウガンダでも数件ですがエボラが報告されています。

通常、エボラの最初の症例が確定されると、保健大臣が緊急事態を報告し、直ちに国家、地方の両レベルで緊急対応技術委員会が設置されます。緊急宣言が出されると、ドナーや援助関係者、保健省などの関係者が、サーベイランス、コニュニケーション、調達などの7つの専門分野に分かれてチームを組み、組織を超えて一緒に仕事をしていきます。ミーティングも毎日何度も行われ、成果を確認しつつ、感染の状況に応じて優先順位や戦略の改定をしていきます。わたしは移民を専門とした国連組織に所属していたので、サーベイランスの委員会の中でも国境管理や検疫強化のサブ委員会の調整をリードしていました。

アウトブレークが起こると、国境だけでなく、流行地からほかの主要な都市へ感染が拡大しないように、ルートを遮断するようなポイントに臨時で検疫所を設置します。日本の成田空港で想像するようなサーモカメラで通るだけで自動的に体温を測るような効率の良い検疫ではなく、ワンタッチの体温計を使用し検温、体調の問診、行き先などの確認を行います。コンゴ民は、9つの国と国境を接し、陸路、水路、空路で国境が通じているほか、正式な国境ポイント以外からの抜け道も多く、多くの人は非正式ルートを使うため、移動を把握することは容易ではありません。また、こちらの写真をご覧になっていただけるように、国境ではものすごい数の人がいろんなものを頭や背中に背負って国境を越えるため、検疫の動線を作るのも一苦労です。それでも定量的、定性的データの収集を行い、人口移動の経路とボリュームを把握し感染経路と拡大の予測を立て、ハイリスクな場所には、臨時の検疫所を設置し、24時間の検疫に切り替えるなどをして検疫強化をするわけです。また、国境管理のもう一つの重要な役割として、隣国とのコーディネーション会議をもち、ハイレベル、技術レベルにおける情報共有と共同した対策の強化をしていくわけです。また、エボラは感染力が強く拡大も早いことから、緊急活動の体制をいかに素早く組め、感染が移り変わるごとに体制も柔軟に変更していけるかが鍵となります。私がリードした22名のエボラ緊急対応チームも、医師、疫学、水・衛生、調達、コミュニケーション、アドミニストレーションなどで構成されるチームを編成し、保健大臣やドナーとの調整をする首都のキンシャサのチームと流行地で現場の対応を行うチームを分けて活動を管理していました。しかし緊急対応開始後から現場では度重なる襲撃と阻害を受け、設置した検疫所が夜のうちに壊されたり、国境なき医師団が運営する治療センターなどは火災の襲撃で焼き払われるなどの襲撃も続きました。この地域はもともと武装勢力が多く活動し、治安が悪いことに加え、長年の紛争により政府や国連に対する住民の不信感が強く、政府や外国人が多く関与するエボラ緊急支援もその例外ではありません。治安の悪い場所でようやく援助活動ができるような体制を整えても、周りの住民からの襲撃が止まないわけことも多々あるわけです。「エボラは外国人が持ち込んだ疫病」「治療センターに行くと体をバラバラにされる」などの信じこみが未だに根強く残るため、脱走したり、家族が取り返しにきたりと、我々が想像もしないことがドラマのように次から次へと起こるわけです(笑)。先に触れた、脆弱な保健システムや、人の移動に加えて、このような社会習慣、コミュニティの不信感などが加わり、未だに決定的な対策が見出せておらず、封じ込めが難しい状況が続いています。

ジレンマとやりがい
 我々が仕事で扱う貧困や途上国の問題のスケールは気が遠くなるほど大きいと感じることがよくあります。国際援助が国の成長を抑制してしまう危険性もある上に、先のエボラアウトブレークの例にも見るように、決定的な解決策が見出せなかず、成果が思うように出ないことも多く、支援が常に喜ばれるとも限らないわけです。また、このような仕事は、多数の組織との調整が必要となり、組織を超えたチームワークと高い外交的なスキルも要します。さらに緊急支援対応は、先が予測しにくい状況が続き、スタッフの継続雇用や、安全確保、メンタル、体力の持続も難しいことも多く。それでも、国際協力の仕事の面白さは、目の前のイシューだけでなく、根底にある社会問題、背景も考えながら取り組むことにあると思っています。一度知ってしまったらほっとけないことがますます増えてきました。多国籍の人々との関わりや一体感、世界の変化を現場で体験できることもこの仕事ならではだと感じています。また、途上国では、歴史や社会に翻弄されながらもたくましく生きる人々との出会いが多く、圧倒的に恵まれた自分の育った日本の環境をありがたく感じるとともに、だから自分も頑張らねばと勇気付けられることが多々あります。

アフリカを経験して
 アフリカを経験して、欧米諸国による植民地の歴史やアフリカ関与の背景を実感として理解することができるようになり、米国偏重の日本人が“欧州的視点”を持つ機会にもなりました。また、植民地であった国を経験して、支配された側の視点も見えてくるようになりました。

凄まじい中国のアフリカ進出
 私がアフリカに関わるようになり10年以上が経ちますが、どの国に行っても中国の大規模な進出が見受けられました。中国は景気減速などの苦しい立場にありながらも、アフリカ諸国との関係強化を優先し、向こう3年間で6.6兆円のアフリカ支援を表明しています。アフリカ諸国にとっては、債務返済能力が追いつかず、負債が増大するリスクも承知で、中国支援によるインフラ投資の資金確保を図りたい。他方、中国側は、アフリカの地下資源の獲得、新興国としての需要の取り込み、さらにトランプ政権以降の米国の孤立化は、中国にとってはドル基準の影響を受けない経済圏拡大を目指すなど、経済圏展開のチャンスであると捉えていることが明確です。私が赴任していたコンゴ民においても、前大統領ジョセフカビラ氏は中国人民解放軍国防大学へ留学の経歴があり、国連コンゴ民主共和国ミッションへ中国人民解放軍の平和維持部隊を派兵し、さらに中国企業モンブデンは世界最大の銅コバルト鉱山を買収するなど積極的な経済投資も進めています。

TICAD7に向けて
 アフリカ開発会議は日本が主導で立ち上げて1993年から現在まで3年ごとに開催されており、前半(1993-2008年)は、貧困削減、人間の安全保障、国家開発などがメインに議論されましたが、2008年以降は、アフリカの高度成長に伴い、経済成長と民間投資の促進が関心の的となってきました。今年も8月末に横浜で7回目のTICADが開催されることを機会に、今後のアフリカ開発における日本の役割は何かを見直すきっかけになるでしょう。積極的なアフリカ進出を進める中国とは戦略的な棲み分けを模索し、長期の視点にたってアフリカ開発に資する支援に注力すること。また、日本はアフリカとは歴史的な直接のつながりは薄いとはいえ、グローバルの戦略に沿いながらも、アフリカ諸国との独自のつながりを持ち、支援の戦略を打ち立てていける時期に来たのではないでしょうか。ご静聴いただきありがとうございました。

芳野 あき(よしのあき) 国際協力/公衆衛生専門家

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です