英書輪読会:7月部会報告「日本のフルベッキ 第IV章 A GLANCE AT OLD JAPAN」

日時:令和元年7月10日 15:00~17:00
場所:日比谷図書文化館4F セミナールーム
ナヴィゲーター: 市川三世史
内容:Verbeck of Japan Chapter IV. A GLANCE AT OLD JAPAN: 日本寸見Page 69~79

IV 章は、フルベッキの来日(1859.11.17)までの、赴任先である当時の日本の状態を述べている。

-マルコポーロの東方見聞録(1298年)を見るまで、ヨーロッパ人に日本の存在は未知であった。この見聞録は原本が失われ、内容に大差のある140種類の写本が出ている。だが「黄金の国ジパング」の見出しに、ヨーロッパ人は大きな興味を持った。

-1540-1620 年にある宗派のキリスト教が一時的に流行し、日本中部、南部、南西部、北の仙台まで約100万人の信者を獲得し、宣教師の組織、その後の災害と殉教者の詳細な歴史も素晴らしかったとされている。当時の日本の人口は約3000で一世紀にわたり変化していない。

-1604年に徳川家康はキリスト教の弾圧、外国人の追放、長崎へのオランダ人の囲い込み、すべての外国の理念と影響の排除を始めた。一方で当時の琉球、蝦夷への支配力は微々たるものであった。韓国は元寇の乱の後は、日本の属領とみなされていた。

-1637年には島原の乱において、多くの殉教者が出ている。

-権威の名目上の中心は京都に、武力と財政の中心は江戸にあった。江戸の権威は遠方に及ばず、地方の貴族と大名は世襲の領地を固守していた。この二頭政治あるいは権力の分割に政策的に反対し、大君に敵対する、数千名におよぶ人々もすでに存在した。

-宣教師は仏教を悪魔の宗教とみなし、キリスト教のみが人を救う道であると説いた。仏教の聖職者はこれに団結して対抗し、江戸幕府も極刑をもってクリスチャンを裁いた。

-武家は全人口の十分の一から構成され、知的な文化と精神的な規律を持っていたが、キリスト教にとり最大の、友人となる信者でありかつ敵となる暗殺者であった。

-オランダ船はニュース、科学、装置類、ヨーロッパの原産物、土壌的および精神的な病原菌をもたらした。オ

ランダ語と書物を通じて知識の獲得に努め、医業を営み、さらに新約聖書の中国語版、または中国の船員が持ち込む中国の宣教師の出版物を通じて、キリスト教を求める数百人もの日本人も存在した。そして長崎は外国に対して開かれた唯一の地であった。

-フルベッキと武装した外交官の護衛は、仏教信者と残虐なスパイと、国家の命ずる剣の存在を感じ取ったため、これに対抗する手段を見出す必要があった。

-日本には1000年におよぶ文学で明らかにされた知性があったが、いまだに、国家の思考の種類と品質の総合力

は、古代の大国、または主要ヨーロッパ諸国の仕事と比肩できるランクではないとみられた。
( 市川 三世史)

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