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実記輪読会:3月度部会報告「第16巻 北部巡覧の記 下」

日時:2019.3.13 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
明治5年(1872年6月15日)
・5月10日 ナイアガラのホテルを出発、オンタリオ湖に沿って来た線路を戻る。10時にロチェスターを通過、シラキュースを経てサラトガの「グランドユニオンハウス」着

・5月11日 サラトガ湖を廻り山上で休憩、その後車で薬泉に行く。

・5月12日 サラトガを出発、ボストンに向かい夜8時にボストン着

・5月13日 ボストン市内回覧、2時から太平楽会に赴く。

・5月14日 ボストン港を船で回覧、2時から再度太平楽会に赴く。

・5月15日 ボストンを9時に発ち昼にスプリングフィールド着、小銃製造場に至る。夜12時にNYCへ帰着。

・5月16日 セントラルパーク回覧、夜9時過ぎの汽車でワシントンへ戻る。

画像資料はこちらをクリックして下さい。

吉原記

 

 

 

GJ研究会:2月部会報告「Open Government, Open Data. Open Governance」

日時:2019.2.9  13:30~16:30
場所:国際文化会館 401号室
演題:「Open Government, Open Data. Open Governance」
講師:奥村裕一氏 (東大公共政策大学院教授、元通商産業省官僚)

1)オープンガバメント
近年世界各国でインターネットの双方向性を活用することで積極的な政府・地方自治体の情報公開(オープンデータ)や行政への市民参加を促進する「政府のオープン化(オープンガバメント)」が急速に進展している。講演はオープンガバメントの歴史から始まった。 インターネットの普及を背景に米国のオバマ政権(2009年)の初署名がオープンガバメントのきっかけを作り、その実施について3原則が策定された。

①行政の透明性 ②国民が行政に参加 ③行政と国民が協働

この制度で強調されたことは米国の民主主義の強化と政府の効率性や有効性の向上であり、 このトレンドはこれからの政府と行政のあるべき姿として世界的に受け入れられた。
特にEUや日本でも「オープンガバメント」を積極的に推進している。

2)オープンデータ
行政が持つデータを民間へ積極的に公開する流れが急速に高まっている。 行政が持つデータは個人情報など情報公開法で不開示となっている情報を除き、全て市民と共有する。
これがオープンデータの原則である。 2013年G8サミットで「オープン・データ憲章」が合意された。 オープンデータは世界の潮流になっている。

オープンデータの基本形は
①オープンデータを政府・自治体の標準とする
②データの量と質を改善 ③全ての者に利用可能とする

その目的は、データを公開することは民主主義プロセスの強化であり、民間のデータ活用はイノベーションにつながり、産業育成になる。
日本政府は平成28年度に「官民データ活用推進基本法」を定め、政府及び地方自治は「オープンデータ」に取り組むことが義務づけられた。 この取組により、国民参加官民共同の推進を通じて諸課題の解決、経済の活性化、行政の高度化、効率化などが期待されている。近々、次期国会に向けて「デジタル・ファースト法案」が検討されており、今後デジタル化が急速に進展することが予想される。

3)ポリシーラボのアプローチ
「オープンガバメント」を実現するための新しい政策形成の手法である「ポリシーラボ」が潮流になっている。 英国、デンマーク、米国でこの手法が普及しており、日本も導入を考えている。 行政の政策形成の新しいアプローチで「デザイン思考」と言う新しい手法で課題解決を考える。「デザイン思考」とは人間中心デザインのプロセスを行政サービスの経営に取り入れ、 行政サービスをより人にとって共感を得られるサービスにデザインすることである。ポリシーラボの考え方は日本の地方自治体にも影響を与え、滋賀県は行政運営の政策形成にデザイン思考を活用している。県知事が率先して「県民の本音を起点にした共感に基づく政策形成」を小冊子で発表している。

4)オープンガバナンス
奥村先生が自ら実践している地方自治体がオープンデータを活用し、地域課題を解決するコンテスト「チャレンジオープンガバナンス(COG)」が2016年から毎年開催されている。 全国の地方自治体から市民/学生に解決してほしい地域課題を募集し、デザイン思考やデータ分析を活用して課題を掘り下げ、自分達で解決策に取組むことを基本としている。 2018年度は38自治体から応募があり、今年の3月に最終公開審査と表彰が行われる予定。
過去のコンテストで入賞した色々な解決アイデアが披露され、中でも川崎市の地域全体で子育てを応援する街作り「ファミリーサポートから里親へ」の感動的な課題解決の話は印象に残った。今年も素晴らしい課題解決のアイデアが出ると期待している。
(文責: 小泉勝海)

 

GJ研究会:11月部会報告「多角的貿易体制の直面する問題点」

日時:2018年11月17日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401号室
演題:「多角的貿易体制の直面する問題点」
講師:小田部陽一氏(元在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部
特命全権大使)

要旨: 日本では、日EU EPATPP11、についての明るいニュースがあるが、国際的には、トランプ政権によるアメリカファースト政策により、貿易戦争とも呼ぶべき状況に陥り、WTO(世界貿易機関)も危機に直面している。こうした状況もあり、世界経済見通しも下方修正となっている。
 「強固で持続可能かつ均衡ある成長」実現のため、貿易の役割が大きいことは言うまでもない。戦後、世界貿易については、GATT8回に及ぶラウンド交渉を経て、1995年にはWTOが発足するなど、着実に進展し、加盟国も当初の23から165になった。しかし、先日のAPECの会合に見られる通り、「多角的貿易体制」という言葉を入れることに米国が反対して宣言がまとまらないという異例の事態が生じている。米国の通商拡大法232条による鉄鋼、アルミ製品への追加関税賦課決定、自動車、同部品への追加関税検討、さらには、通商法301条に基づく対中追加関税など、いわば、無法状態ともいうべき状況は大変憂慮される。同時に、中国についても、知財権の取り扱い、国営企業への補助金など、問題が多い。
 WTOについては、その三本柱の各々が挑戦を受けており、改革が必要。まず、貿易自由化については、WTO発足後限られた成果しか無く、また、ドーハラウンド交渉は頓挫。その理由の一つとして、加盟国が多すぎて、コンセンサスが得られない点があり、この解決のため、案件によっては、一部の国の賛成でも合意可能とすること等が議論されている。また、中国等の新興国の負うべき義務という大きな問題がある。第2に、協定履行の監視について、通報制度がきちんと実施されていない点がある。最後に、紛争処理メカニズム である。これが一番深刻である。現在、上級委の7名の委員のうち、在籍は、3名。これは、米国がこれまでの裁決で、同国の関心案件で敗訴することがあったため、委員の再任をブロックしていることによる。来年2人が、改選の時期に当たるため、これが拒否されると、残るのは、委員ただ1人となり、機能不全となる。。
 また、WTOでの交渉が進まない中で多くのFTAができたが(日本も、既に、17件のEPAを締結)している。各々の関係が複雑になり、しばしばスパゲッティ ボールと呼ばれるが、自分は、TPP,EU EPAは、将来の貿易体制の階層となる、いわば、ラザニアとなることを期待している。

かってアンチグローバライゼーションの動きあったが、今は、グローバルサプライチェーンの時代。多角的貿易体制こそ、今後の世界にとっても、日本にとっても、重要。先日、来日のアゼベドWTO事務局長と食事の際、「自由貿易は、空気や水のようなもの、なくなったときに、その貴重さが分かる」と話したところ、その後パリで開かれた第一次世界大戦終結100年記念平和フォーラムのパネル会議で、この言葉を紹介したとのことであった。

その後、米中問題、中国の行方、カショギ氏の殺害、日露関係など幅広い問題につき、活発な質疑応答を行った。
(文責 塚本 弘)

 

米欧回覧実記輪読会11月部会報告:第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

日時:2018年11月14日(水)13.10-15.00
場所:日比谷図書文化館セミナールーム
第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

2月25日パテントオフィス(特許庁)、26日印刷局、3月10日スミソニアン協会視察。スミソニアン協会は1846年英国人科学者ジェームズ・スミソニアンが資金を寄贈し設立された、現在では19ある博物館・美術館・国立博物館からなる世界最大の博物館群で1億3650万点の文化遺産や標本を所蔵する。キャピタル(国会議事堂)とワシントンモニュメントを東西に結ぶ広大な広場(モール)の両側に博物館・美術館が立ち並ぶ。現在では、特に航空宇宙博物館の人気が高く、ライト兄弟が最初に空を飛んだ飛行機、リンドバーグの大西洋横断飛行機、月面に最初に降りたアポロ11号宇宙船(カプセル)の実物等が展示されている。

3月13日市の招待でポトマック川を下りマウントバーノンに赴いた。船中では奏楽、饗応を受け、気候も良く船上から川の両側に咲く花梅桃桜李を愛で楽しい時を過ごした。マウントバーノンは初代大統領ワシントンが異母兄の未亡人より譲り受けた広大な敷地(プランテーション)に旧宅の他、農場、納屋、鍛冶屋等があり、ワシントン大統領とマーサ夫人の墓廟もある。旧宅・墓廟は銅版画を見る限り現在の姿とほぼ同じである。3月16日ジョージタウン(ワシントン市西部にある住環境の良い地区、因みにジョージタウン大学は河野外務大臣の母校)の天文台、17日財務省(ホワイトハウス東隣)、20日海軍造船所を視察。

富田命保日記によれば、2月25日は杉山・福井・吉雄氏と共にアーリントン墓地に行ったとある。本体(実記ではではパテントオフィス視察)とは離れ別行動をしていたようだ。片や3月13日は海軍所よりポトマック川を下りマウントバーノンに行き夕刻6時に帰館とあり同一行動であったことが分かる。一行は様々な行動形態を取っていたようで興味深い。(冨田兼任記)

米欧回覧実記輪読会:10月部会報告

日時:2018年10月10日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム

「第十一巻「ワシントン」市ノ記 上」

使節団は1月21日ワシントンに到着、アーリントンホテルに投宿。大統領夫人から歓迎の花束が届いていて感激する。ホテルはホワイトハウスの北側ラファイエットパークから北北東に伸びるヴァーモントアベニューにあった。【実記の、ホワイトハウスは公園一つ隔てた(ホテルの)西隣、の記載は正確ではない。方角的にはホワイトハウスはホテルから見ると南側になる】また、通りを隔てたジョンソンハウスを事務所として使ってよいと米国側が便宜を図ってくれる。

1月25日ホワイトハウスでグラント大統領に謁見。大使・副使は衣冠、5人の書記官は直垂、皆帯剣し、大使が天皇の国書を大統領に手交した。27日キャピタル(国会議事堂)訪問。下院において議長と大使がスピーチ交換の後、中央ドーム下部(ロトンダ)を見学、コロンブス上陸・ワシントン大統領選出・独立宣言起草等十枚の絵画を見る。2月3日国務省で第1回条約改正交渉会議開催、しかし、国家元首の委任状なしでは交渉できない、と指摘を受ける。このため、2月12、13日と大久保副使、伊藤副使が相次いで委任状を取りに帰国の途に就く。2月17日廃兵院を訪問、2月24日米側が正副大統領、各省長官臨席の下招宴を開く。

なお、輪読会では現地で撮影したキャピタル内部(ロトンダ等)、(上述の“西隣”を頼ったため)誤認したホテルの最上階から財務省越しに見たホワイトハウス等現地の様子を写真で紹介した。

吉原氏より米欧回覧実記に加え当時の新聞記事、大使信報そして木戸日記の記載も含めて、日付を縦軸、各日記の記述を横軸とした比較表が提示された。今後これら史料に富田命保日記も含めてこの比較表に記載してゆくことで、多面的に使節団の行動の記録を把握できることが期待される。なお、この時期富田命保日記によれば、1月28日、29日は旅費の精算、とりわけ官費で賄っていた同行學生の私費分の精算を含め手数を費やして旅費精算に従事したとある。

富田記

 

歴史部会:10月部会報告「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」

日時:2018年10月15日 13時30分~16時30分
場所:国際文化会館 4階会議室
演題:「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」
講師:大森東亜(会員)

今回のテーマは、当会で今秋、幕末維新と関係の深い佐賀への歴史旅行が計画されているため取り上げられた。はじめに佐賀藩と佐賀県の地理的特性、歴史的変遷と鍋島氏登場、さらに廃藩置県から佐賀の乱を経て、佐賀県誕生(平成29年人口83万人)までを辿る。

鍋島閑叟は、1814年九代藩主斉直の子として江戸桜田屋敷で誕生し、十七歳で家督を継ぐまで江戸で過ごす。従兄の島津斉彬など縁戚関係は多面に亘る。家督相続時、藩財政は窮乏下にあり、諸役の倹約令、年貢徴収改革ほか磁器づくり、石炭採掘など産業振興に努める一方、借財整理にも取組み、閑叟は「算盤大名」の異名もとる。佐賀城二の丸が焼失するも正室の実家(将軍家)からの城再建費支援などもあり、藩財政を持直す。

佐賀藩は福岡藩とともに長﨑御番を交代で務める。1808年フェートン号事件がおきる。英船が蘭船を装って長崎港に不法侵入し薪水等を求めた事件である。佐賀藩と長崎奉行が対応不適切とされ、長崎奉行関係者が切腹したほか、閑叟の父藩主斉直は謹慎処分される。この出来事もあって閑叟は、長崎御番のため砲台整備、西洋砲術導入、海軍育成、軍艦製造に終生尽力する。閑叟自らオランダ艦やイギリス艦に乗船し、艦船購入のほか蒸気機関工場の設計図などもオランダに求めている。

砲台築造、反射炉建築のため伊豆江川太郎左衛門のもとへ本島藤太夫らを派遣し研究させる。3年がかりで国産初の反射炉をつくり、洋式大砲を鋳造し、幕府の注文も受ける。

事業完成を評価され幕府からの借入10万両は免除される。完成まで度重なる失敗もあったが、閑叟は「西欧人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり、挫けずますます研究せよ」と励ましたという。幕府の長崎海軍伝習所閉鎖後、閑叟は佐野常民の建言を受け、藩に三重津海軍所を開設し、航海、造船等のほか、国産初の蒸気船も完成させる。

幕末から維新にかけて閑叟は旗色を鮮明にせず、「肥前の妖怪」という小説を司馬遼太郎に書かせる。しかし、その背景に慶喜の大政奉還と引換えに朝廷を戴き、内戦を避け、外国から日本を守るという強い思いがあったと小説『かちがらす』(植松三十里)では記す。いずれにしろ閑叟を中心とする佐賀藩は幕末維新期、大砲と海軍により維新政府成立に寄与する。幕末維新期に活躍した佐賀藩士は閑叟を含め7賢人が挙げられているが、『米欧回覧実記』の久米邦武もこれら賢人に加えたい。佐賀藩士には現代に至る社会制度に地道に寄与した人物が少なくない。それぞれ特記事項を記すと、大隈重信は政党政治、議会政治に貢献し、早稲田大学を創設する。久米は「神道は祭天の古俗」とする論文を書き、帝国大学教授を追われるが、日本史学実証研究に従事する。佐野常民は火器研究後、パリ博覧会に赴くほか、日本赤十字を創設する。副島種臣はペルー船「マリア・ルーズ号」事件で、清国人奴隷を解放するなど日本外交のパイオニアとなる。大木喬任は江藤新平とともに東京遷都を建策するとともに、初期東京府知事となり東京の治安と活性化、さらに文部行政、民法編纂に貢献する。江藤は学制、刑法等司法制度整備にあたる。島義勇は箱館戦争に従事する一方、閑叟の助言をもとに札幌の条里制、北海道開発にあたっている。。

これら佐賀藩士たちの活躍には藩校弘道館の果たした役割が大きい。弘道館は1781年に創設され、92年にわたり独自の教育活動を展開し、時に約千人も学んだといわれる。弘道館の優秀な佐賀藩士は江戸期の最高の学問所昌平黌に学び、幕末25年間で昌平黌の学生505人のうち40人おり、仙台藩、薩摩藩の各21人に比較して抜きんでたとの調べもある。岩倉具視も佐賀藩の教育を評価して子弟を佐賀藩に委託している。
文責:大森東亜

 

 

 

I-Café :9月部会報告

日時:2018年10月7日(日)14時~17時
場所:西荻窪「響」

9月30日(日)開催予定だったi-Caféは、大型台風接近のためを一週間延期し10月7日(日)西荻窪『響』で開催された。日程変更で、第二部ミニコンサート出演者変更の事態になったが、i-Café常連のソプラノお二人のご協力で無事凌げたのは幸いだった。(プログラム添付)

第一部 映像とお話

DVD『岩倉使節団の米欧回覧』で使節団のサンフランシスコ到着から、ワシントンへの鉄道の旅を見た後、今年の新年会で、『フランスはなぜ「ブランド」になるのか?』を語り大好評だった芳野まいさんをお招きして、『政治とファッションたとえばジャッキー・ケネディと題して、歴史上もっとも若いアメリカ大統領の夫人として絶大な人気を誇った彼女が、どのようにそのスタイルを「作り」「伝え」、政権の価値を高めていったか、豊富な図版や映像を駆使してお話いただいた。ジャッキーが大統領夫人になった途端に、個人的趣味より、大統領の政治活動をサポートするファッションに徹し、なおかつファッションをリードしたとのお話は大変説得力があった。

第二部 ♪ミニ・コンサート

i-Café常連のソプラノ森美智子さんと武藤弘子が、ピアノの植木園子ともども一週間の準備で『アメリカの映画音楽から他』と題して、『ウェストサイド・ストーリー』『オズの魔法使い』『ティファニーで朝食を』などから懐かしい歌をご披露いただいた。i-Café Singersも『峠のわが家』『なつかしきケンタッキーのわが家』などアメリカ民謡を歌わせていただいた。

第三部 交流会

ワインと軽食をいただきながらの交流会は、いつになく大変盛り上がった。(岩崎記)

当日のプログラムはこちらから

GJ研究会:9月部会報告「日本の通商政策とアセアン」

日時:2018915日(土) 13:30~14:30
場所:国際文化会館
演題:「日本の通商政策とアセアン」
講師:岩田 泰 氏(経済産業省通商政策局総務課長) 

米国のトランプ大統領か世界に向かってグローバル化を拒絶し、持論の保護貿易など「米国第一主義」を主張し続けている現在、我が国にとり今ほど近隣友好国のアセアンとの関係強化が国策としても重要になって来たことはない。経済産業省の組織の中の中枢とも云える通商政策局の総務課長として、また広く培われたキャリアからの視点でお話を頂いた。 

<最近の通商情勢>に付いて’80代貿易問題が世界的に吹き荒れていた時、グローバルに問題を解決する為にGATTがあり、次に来るメカニズムとしてGATTウルグアイラウンドが’86に始まり延々と続いたが‘95WTO設立につながった歴史を振り返ることから講演の口火を切られた。

ウルグアイラウンドがなかなか収束しなかった時期に、それを補完する意味で地域ごとに纏まって貿易の自由化をやろうとNAFTAEUが誕生した。アジアに目を向ければAFTAASEAN自由貿易地域)が’92に合意に達した。当時、米国のスーパー301条がよく議論になっていたが、現在は再び米中間の紛争が政治問題化している。

WTOが設立されてからは通商問題が政治問題化しないようになってきていたが、その間、日本のアセアン各国に対する通商政策は、主に*経済協力と*既に進出していた多くの日本企業に対する事業環境整備である。アセアン各国同士の経済格差のみならずアセアン各国の国内でも格差があり、国によっては国内産業保護を主張する声と自由貿易推進を主張する声との対立が見られたが、アセアン各国のリーダーは、強い意志で繋がって協力し合い共同体を創って行かなければ生きていけないという問題意識の下、強い政治的リーダーシップで共同体設立に導いた。ASEAN(Association of South East Asian Nations)は、「Association」という名の通り、緩い協力関係の構築を目指すものであった。アセアンが設立された’67当時の東南アジア地域では、ヴェトナム戦争が続いており、中国での文化大革命の影響も広がりを見せていた。アセアンは、当初インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの5カ国で設立されたが、互いに仲が良かったわけではなかった。ボルネオ島のサバ・サラワクの領土を巡ってインドネシア、フィリピン、マレイシアが争奪戦を繰り広げており、またシンガポールは’65にマレーシアから独立したが当時の首相リー・クワンユーとマレーシアの首相マハテイールとは反目しあっていた。自分達も喧嘩ばかりしないで外敵(共産主義国・中国)に対して立ち向かおうではないか(当時ASEANは反共の団体と言われていた)、当時は特別に経済の為でもなく、崇高な目標を掲げていたわけでもなく、兎に角仲間内の喧嘩は止めて一つになろうとしたのが’67にできたASEANであった。アセアンが纏まることによって大国に対するバーゲニング・パワーが持てるし自分達が中心となって世の中を泳いで行こうというのがアセアンの基本的な考えであり、最近耳にするようになってきたASEAN Centrality の考え方にもつながっている。

ASEANは、一朝一夕で今日のような共同体になったのではなく、輸入代替工業化の動きー>輸出志向工業化―>FTA->共同体へと紆余曲折しながら発展して行くのである。

アセアンの経済発展の流れに相俟って日本の関わり方も変わって行く。アジアが貧しかった頃は経済協力が主体であった。’90代にGreen Aid Planという、環境に着目したした経済協力があった。また進出した日本企業の原材料の現地調達の必要性に対してはサプライヤーを育てる目的でサポーティング・インダストリー協力を行った。アセアンの経済が徐々に発展してきた2000年代には、次の段階である“経済連携”へと進んでいった。2002年にシンガポールとEPAを結び、順次、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、ヴェトナムとも結び、ASEAN全体ともEPAを結んでいる。ある程度EPAが進んでくると、お互いの市場を解放し合い、自由貿易を享受し合い、伸び行くアセアンの活力を民間ベースで日本の中に取り込んで行く段階に入ったと言える。次が産業協力の段階である。

日本がアセアンとの間で最近進めているスタートアップ協力の一環として、Start Upを使って日本のヴェンチャーがアセアンで活躍できるように支援し、また起ちあがった企業のスケールアップを図る様に地元の財閥や有力企業と手を組む事など仕掛けてバックアップを行っている。また、日本が既に直面している課題でアセアンが今課題となってきているAging Society,環境問題など、先んじて直面した日本の経験、知恵やknow howを活用できる面があるのではないか、と政府間交渉に留まらずビジネスと一体となった協力にも力を入れて取り組んでいる。

講演の最後に岩田氏が10年前に3年間総務部長を務めたERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)について紹介された。ERIA20086月に東アジア経済統合推進のため、政策研究・提言を行う国際機関(「東アジア版OECD」)として日本が主導して設立した。
参加国はアセアン10カ国プラス日本・韓国・中国・インド・豪州・NZの6カ国(RCEPと同じメンバー)で、本部をジャカルタに置いた事が重要な意味を持つことになる。

この機関の運営は日本人が主体に行っているが、ジャカルタにいてアセアン外交の事を考えている人達がアセアンと共に考える、経済統合や貿易自由化を進める為の知恵袋として“一緒に考えよう”として創った組織である。通商交渉というとどうしても国対国の交渉で勝った、負けたのイメージが強いが、今やアセアンとの関係を考えるとき勝った、負けたではなく、皆がこの地域で勝つ為にどうしたら良いか、こういうことを考える際に、ERIAのような組織の意味があり、日本にとって通商政策の一つのツールとしてERIAという組織を設立したことには大きな意味がある。

今年の7月1日RCEPの閣僚会議が日本で初めて行われた。RCEPの閣僚会合がアセアン以外の国で会議が行われたのは初めてで、歴史的な事である。会議の冒頭安倍首相が岡倉天心の言葉を引いて、「Asia is One」とアセアン閣僚の前で話された。

今や時空を超えて「人、物、金」がコミュニケートする時代であり、新しい時代の通商政策が益々難しくなって来ている。昔の様にただ単に経済協力するだけでなく、政府間の交渉をするだけでなく、ERIAの様な国際機関を創って、産業協力をしながら皆でこの地域でWinWinの関係になる様に地域の為に何が出来るか、通商政策の進歩がアセアンという場で問われている。

岩田氏が講演の中で話された重要な点が今年の1月出された「不公正貿易報告書」の巻頭言に掲載されているので、ご参考まで参照させて頂きます。

「特定国との貿易に関して自国に不利な結果が生じている事のみを理由にして、相手国の貿易政策・措置を不公正と評価する「結果志向」は、客観性が欠如し、管理貿易に転化しかねず、反競争的効果をもたらしかねない。各国の貿易政策・措置の「公正性」は、結果ではなく国際的に合意されたルールに基づき、客観的に判断されるべきであり、適当な国際ルールが存在しない場合には、まずルールの定立を期し、国際ルールなしに公正・不公正を論ずべきでないという「ルール志向」が、本報告書が提示し続けてきた「公正性」であり、我々の依拠すべき原理原則(principle)である。」

(文責:畠山朔男)

 

歴史部会:9月部会報告「憲法・3大噺」

2018.9.25 13:30~17:00
国際文化会館 401号室

安倍政権が今年中にも憲法改訂案を国会に上程すると伝えられる機会をとらえて、一人ひとりが憲法問題を考えるに当って歴史的事実を押さえて置こうというのが今回の部会開催の狙いです。参加者21名。まず、明治の「大日本帝国憲法」の成立過程の歴史的背景を泉三郎氏から説明された。維新創業にあたっての「五箇条の御誓文」があり、岩倉使節団帰国直後の大久保利通、木戸孝允二人の夫々の憲法制定を急ぐべしとの建白書。
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米欧回覧実記輪読会:9月部会報告

9月5日(水)
13.10-14.50
第10巻「コロンビヤ」県の総説  pp.193~203
ナヴィゲーター:冨田兼任氏

華盛頓(ワシントンDC:コロンビヤ県)は北緯38度53分39秒、西経77度2分48秒に地に位置し、山形県酒田市とほぼ同じ緯度である。連邦政府の首都としてメリーランド州とバージニア州に跨る地に北を頂点とする10マイル四方のダイアモンド形として形成され、その後1847年にポトマック河西岸部はバージニア州に返還された。面積上は使節団訪問時に現在のワシントンDCが形成されていたことになる。

使節団は、キャピタル(国会議事堂)、大統領館(ホワイトハウス)、財務省、陸軍省、国務省、中央郵便局、パテントオフィス、農務省、スミソニアン協会、コロンビヤ学校、海軍省、ジョージタウンの天文台、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、マウントバーノン(ワシントン大統領旧宅)等を訪問、見学する。「実記」図版、最新地図と見較べると、位置が変わっていると推測されるものもあるが、多くのものが使節団訪問時に現存の建造物が存在していたことが分かる。見学の詳細は後続11-13巻で説明される。(冨田兼任記)

輪読会報告終了後、富田氏は先祖で岩倉使節団に参加した租税権大属富田命保の随行日記原本を披露した。
会計担当だった富田命保の日記は、和紙に毛筆で丹念に記録された立派なもので、ぜひ米欧回覧実記の記述と比較検討して行こう云うことになった。実記輪読会が予想外の展開となり、今後が大変楽しみになった。

(岩崎洋三記)

英書輪読会(ハリス):9月部会報告

9月5日(水)
15.00-17.00
日比谷図書文化館4階セミナールーム

・テキスト:The Complete Journal of Townsend Harris

・範囲:pp.423-447(Friday,November27,1857~Monday,November30,1857)

・ナヴィゲーター:水谷剛氏

《概要》:

ハリス一行は大名行列並みに下田を出発して待ちに待った江戸への旅を続ける。
伊豆から東海道に出て小田原~大磯~馬入川~藤沢へと進んだ。
小田原から藤沢までは家の軒波が続き連続した一つの家並みである。 途中の馬入川渡る時に左小指を「水蛭」に吸いつかれて出血したので治療を「随行医師」にさせた。
藤沢から更に海岸沿いに行き神奈川~川崎に到着し、有名な「萬年屋」旅館に宿泊した。ここはペリー提督に随行したビッチンガー牧師が単独で勝手に抜けだし、多摩川から品川に行く寸前に停止させられて帰営した場所である。

品川から高輪経由で宿所の九段下「蕃書調所」に到着した。井上下田奉行から江戸城で将軍謁見するときの諸注意事項や江戸城入場は「威厳」を以て駕籠で向かうことなどを諸注意された。

(水谷剛記)

米欧回覧実記輪読会:4月部会報告

2018年4月11日(水)
時間:13時10分~14時50分
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

範囲:第6巻ネヴァダ州、及び「ユタ」部鉄道の記pp.134~145
第7巻ロッキー山鉄道の記pp.146~164

ナヴィゲーター:岩崎洋三氏

輪番で音読しながら、和やかに議論した、参加者はナヴィゲーター以外は全員女性で女子大セミナーの雰囲気でした。
(岩崎記)