「部会」カテゴリーアーカイブ

米欧回覧実記輪読会11月部会報告:第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

日時:2018年11月14日(水)13.10-15.00
場所:日比谷図書文化館セミナールーム
第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

2月25日パテントオフィス(特許庁)、26日印刷局、3月10日スミソニアン協会視察。スミソニアン協会は1846年英国人科学者ジェームズ・スミソニアンが資金を寄贈し設立された、現在では19ある博物館・美術館・国立博物館からなる世界最大の博物館群で1億3650万点の文化遺産や標本を所蔵する。キャピタル(国会議事堂)とワシントンモニュメントを東西に結ぶ広大な広場(モール)の両側に博物館・美術館が立ち並ぶ。現在では、特に航空宇宙博物館の人気が高く、ライト兄弟が最初に空を飛んだ飛行機、リンドバーグの大西洋横断飛行機、月面に最初に降りたアポロ11号宇宙船(カプセル)の実物等が展示されている。

3月13日市の招待でポトマック川を下りマウントバーノンに赴いた。船中では奏楽、饗応を受け、気候も良く船上から川の両側に咲く花梅桃桜李を愛で楽しい時を過ごした。マウントバーノンは初代大統領ワシントンが異母兄の未亡人より譲り受けた広大な敷地(プランテーション)に旧宅の他、農場、納屋、鍛冶屋等があり、ワシントン大統領とマーサ夫人の墓廟もある。旧宅・墓廟は銅版画を見る限り現在の姿とほぼ同じである。3月16日ジョージタウン(ワシントン市西部にある住環境の良い地区、因みにジョージタウン大学は河野外務大臣の母校)の天文台、17日財務省(ホワイトハウス東隣)、20日海軍造船所を視察。

富田命保日記によれば、2月25日は杉山・福井・吉雄氏と共にアーリントン墓地に行ったとある。本体(実記ではではパテントオフィス視察)とは離れ別行動をしていたようだ。片や3月13日は海軍所よりポトマック川を下りマウントバーノンに行き夕刻6時に帰館とあり同一行動であったことが分かる。一行は様々な行動形態を取っていたようで興味深い。(冨田兼任記)

米欧回覧実記輪読会:10月部会報告

日時:2018年10月10日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム

「第十一巻「ワシントン」市ノ記 上」

使節団は1月21日ワシントンに到着、アーリントンホテルに投宿。大統領夫人から歓迎の花束が届いていて感激する。ホテルはホワイトハウスの北側ラファイエットパークから北北東に伸びるヴァーモントアベニューにあった。【実記の、ホワイトハウスは公園一つ隔てた(ホテルの)西隣、の記載は正確ではない。方角的にはホワイトハウスはホテルから見ると南側になる】また、通りを隔てたジョンソンハウスを事務所として使ってよいと米国側が便宜を図ってくれる。

1月25日ホワイトハウスでグラント大統領に謁見。大使・副使は衣冠、5人の書記官は直垂、皆帯剣し、大使が天皇の国書を大統領に手交した。27日キャピタル(国会議事堂)訪問。下院において議長と大使がスピーチ交換の後、中央ドーム下部(ロトンダ)を見学、コロンブス上陸・ワシントン大統領選出・独立宣言起草等十枚の絵画を見る。2月3日国務省で第1回条約改正交渉会議開催、しかし、国家元首の委任状なしでは交渉できない、と指摘を受ける。このため、2月12、13日と大久保副使、伊藤副使が相次いで委任状を取りに帰国の途に就く。2月17日廃兵院を訪問、2月24日米側が正副大統領、各省長官臨席の下招宴を開く。

なお、輪読会では現地で撮影したキャピタル内部(ロトンダ等)、(上述の“西隣”を頼ったため)誤認したホテルの最上階から財務省越しに見たホワイトハウス等現地の様子を写真で紹介した。

吉原氏より米欧回覧実記に加え当時の新聞記事、大使信報そして木戸日記の記載も含めて、日付を縦軸、各日記の記述を横軸とした比較表が提示された。今後これら史料に富田命保日記も含めてこの比較表に記載してゆくことで、多面的に使節団の行動の記録を把握できることが期待される。なお、この時期富田命保日記によれば、1月28日、29日は旅費の精算、とりわけ官費で賄っていた同行學生の私費分の精算を含め手数を費やして旅費精算に従事したとある。

富田記

 

歴史部会:10月部会報告「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」

日時:2018年10月15日 13時30分~16時30分
場所:国際文化会館 4階会議室
演題:「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」
講師:大森東亜(会員)

今回のテーマは、当会で今秋、幕末維新と関係の深い佐賀への歴史旅行が計画されているため取り上げられた。はじめに佐賀藩と佐賀県の地理的特性、歴史的変遷と鍋島氏登場、さらに廃藩置県から佐賀の乱を経て、佐賀県誕生(平成29年人口83万人)までを辿る。

鍋島閑叟は、1814年九代藩主斉直の子として江戸桜田屋敷で誕生し、十七歳で家督を継ぐまで江戸で過ごす。従兄の島津斉彬など縁戚関係は多面に亘る。家督相続時、藩財政は窮乏下にあり、諸役の倹約令、年貢徴収改革ほか磁器づくり、石炭採掘など産業振興に努める一方、借財整理にも取組み、閑叟は「算盤大名」の異名もとる。佐賀城二の丸が焼失するも正室の実家(将軍家)からの城再建費支援などもあり、藩財政を持直す。

佐賀藩は福岡藩とともに長﨑御番を交代で務める。1808年フェートン号事件がおきる。英船が蘭船を装って長崎港に不法侵入し薪水等を求めた事件である。佐賀藩と長崎奉行が対応不適切とされ、長崎奉行関係者が切腹したほか、閑叟の父藩主斉直は謹慎処分される。この出来事もあって閑叟は、長崎御番のため砲台整備、西洋砲術導入、海軍育成、軍艦製造に終生尽力する。閑叟自らオランダ艦やイギリス艦に乗船し、艦船購入のほか蒸気機関工場の設計図などもオランダに求めている。

砲台築造、反射炉建築のため伊豆江川太郎左衛門のもとへ本島藤太夫らを派遣し研究させる。3年がかりで国産初の反射炉をつくり、洋式大砲を鋳造し、幕府の注文も受ける。

事業完成を評価され幕府からの借入10万両は免除される。完成まで度重なる失敗もあったが、閑叟は「西欧人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり、挫けずますます研究せよ」と励ましたという。幕府の長崎海軍伝習所閉鎖後、閑叟は佐野常民の建言を受け、藩に三重津海軍所を開設し、航海、造船等のほか、国産初の蒸気船も完成させる。

幕末から維新にかけて閑叟は旗色を鮮明にせず、「肥前の妖怪」という小説を司馬遼太郎に書かせる。しかし、その背景に慶喜の大政奉還と引換えに朝廷を戴き、内戦を避け、外国から日本を守るという強い思いがあったと小説『かちがらす』(植松三十里)では記す。いずれにしろ閑叟を中心とする佐賀藩は幕末維新期、大砲と海軍により維新政府成立に寄与する。幕末維新期に活躍した佐賀藩士は閑叟を含め7賢人が挙げられているが、『米欧回覧実記』の久米邦武もこれら賢人に加えたい。佐賀藩士には現代に至る社会制度に地道に寄与した人物が少なくない。それぞれ特記事項を記すと、大隈重信は政党政治、議会政治に貢献し、早稲田大学を創設する。久米は「神道は祭天の古俗」とする論文を書き、帝国大学教授を追われるが、日本史学実証研究に従事する。佐野常民は火器研究後、パリ博覧会に赴くほか、日本赤十字を創設する。副島種臣はペルー船「マリア・ルーズ号」事件で、清国人奴隷を解放するなど日本外交のパイオニアとなる。大木喬任は江藤新平とともに東京遷都を建策するとともに、初期東京府知事となり東京の治安と活性化、さらに文部行政、民法編纂に貢献する。江藤は学制、刑法等司法制度整備にあたる。島義勇は箱館戦争に従事する一方、閑叟の助言をもとに札幌の条里制、北海道開発にあたっている。。

これら佐賀藩士たちの活躍には藩校弘道館の果たした役割が大きい。弘道館は1781年に創設され、92年にわたり独自の教育活動を展開し、時に約千人も学んだといわれる。弘道館の優秀な佐賀藩士は江戸期の最高の学問所昌平黌に学び、幕末25年間で昌平黌の学生505人のうち40人おり、仙台藩、薩摩藩の各21人に比較して抜きんでたとの調べもある。岩倉具視も佐賀藩の教育を評価して子弟を佐賀藩に委託している。
文責:大森東亜

 

 

 

I-Café :9月部会報告

日時:2018年10月7日(日)14時~17時
場所:西荻窪「響」

9月30日(日)開催予定だったi-Caféは、大型台風接近のためを一週間延期し10月7日(日)西荻窪『響』で開催された。日程変更で、第二部ミニコンサート出演者変更の事態になったが、i-Café常連のソプラノお二人のご協力で無事凌げたのは幸いだった。(プログラム添付)

第一部 映像とお話

DVD『岩倉使節団の米欧回覧』で使節団のサンフランシスコ到着から、ワシントンへの鉄道の旅を見た後、今年の新年会で、『フランスはなぜ「ブランド」になるのか?』を語り大好評だった芳野まいさんをお招きして、『政治とファッションたとえばジャッキー・ケネディと題して、歴史上もっとも若いアメリカ大統領の夫人として絶大な人気を誇った彼女が、どのようにそのスタイルを「作り」「伝え」、政権の価値を高めていったか、豊富な図版や映像を駆使してお話いただいた。ジャッキーが大統領夫人になった途端に、個人的趣味より、大統領の政治活動をサポートするファッションに徹し、なおかつファッションをリードしたとのお話は大変説得力があった。

第二部 ♪ミニ・コンサート

i-Café常連のソプラノ森美智子さんと武藤弘子が、ピアノの植木園子ともども一週間の準備で『アメリカの映画音楽から他』と題して、『ウェストサイド・ストーリー』『オズの魔法使い』『ティファニーで朝食を』などから懐かしい歌をご披露いただいた。i-Café Singersも『峠のわが家』『なつかしきケンタッキーのわが家』などアメリカ民謡を歌わせていただいた。

第三部 交流会

ワインと軽食をいただきながらの交流会は、いつになく大変盛り上がった。(岩崎記)

当日のプログラムはこちらから

歴史部会:9月部会報告「憲法・3大噺」

2018.9.25 13:30~17:00
国際文化会館 401号室

安倍政権が今年中にも憲法改訂案を国会に上程すると伝えられる機会をとらえて、一人ひとりが憲法問題を考えるに当って歴史的事実を押さえて置こうというのが今回の部会開催の狙いです。参加者21名。まず、明治の「大日本帝国憲法」の成立過程の歴史的背景を泉三郎氏から説明された。維新創業にあたっての「五箇条の御誓文」があり、岩倉使節団帰国直後の大久保利通、木戸孝允二人の夫々の憲法制定を急ぐべしとの建白書。
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米欧回覧実記輪読会:9月部会報告

9月5日(水)
13.10-14.50
第10巻「コロンビヤ」県の総説  pp.193~203
ナヴィゲーター:冨田兼任氏

華盛頓(ワシントンDC:コロンビヤ県)は北緯38度53分39秒、西経77度2分48秒に地に位置し、山形県酒田市とほぼ同じ緯度である。連邦政府の首都としてメリーランド州とバージニア州に跨る地に北を頂点とする10マイル四方のダイアモンド形として形成され、その後1847年にポトマック河西岸部はバージニア州に返還された。面積上は使節団訪問時に現在のワシントンDCが形成されていたことになる。

使節団は、キャピタル(国会議事堂)、大統領館(ホワイトハウス)、財務省、陸軍省、国務省、中央郵便局、パテントオフィス、農務省、スミソニアン協会、コロンビヤ学校、海軍省、ジョージタウンの天文台、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、マウントバーノン(ワシントン大統領旧宅)等を訪問、見学する。「実記」図版、最新地図と見較べると、位置が変わっていると推測されるものもあるが、多くのものが使節団訪問時に現存の建造物が存在していたことが分かる。見学の詳細は後続11-13巻で説明される。(冨田兼任記)

輪読会報告終了後、富田氏は先祖で岩倉使節団に参加した租税権大属富田命保の随行日記原本を披露した。
会計担当だった富田命保の日記は、和紙に毛筆で丹念に記録された立派なもので、ぜひ米欧回覧実記の記述と比較検討して行こう云うことになった。実記輪読会が予想外の展開となり、今後が大変楽しみになった。

(岩崎洋三記)

英書輪読会(ハリス):9月部会報告

9月5日(水)
15.00-17.00
日比谷図書文化館4階セミナールーム

・テキスト:The Complete Journal of Townsend Harris

・範囲:pp.423-447(Friday,November27,1857~Monday,November30,1857)

・ナヴィゲーター:水谷剛氏

《概要》:

ハリス一行は大名行列並みに下田を出発して待ちに待った江戸への旅を続ける。
伊豆から東海道に出て小田原~大磯~馬入川~藤沢へと進んだ。
小田原から藤沢までは家の軒波が続き連続した一つの家並みである。 途中の馬入川渡る時に左小指を「水蛭」に吸いつかれて出血したので治療を「随行医師」にさせた。
藤沢から更に海岸沿いに行き神奈川~川崎に到着し、有名な「萬年屋」旅館に宿泊した。ここはペリー提督に随行したビッチンガー牧師が単独で勝手に抜けだし、多摩川から品川に行く寸前に停止させられて帰営した場所である。

品川から高輪経由で宿所の九段下「蕃書調所」に到着した。井上下田奉行から江戸城で将軍謁見するときの諸注意事項や江戸城入場は「威厳」を以て駕籠で向かうことなどを諸注意された。

(水谷剛記)

米欧回覧実記輪読会:4月部会報告

2018年4月11日(水)
時間:13時10分~14時50分
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

範囲:第6巻ネヴァダ州、及び「ユタ」部鉄道の記pp.134~145
第7巻ロッキー山鉄道の記pp.146~164

ナヴィゲーター:岩崎洋三氏

輪番で音読しながら、和やかに議論した、参加者はナヴィゲーター以外は全員女性で女子大セミナーの雰囲気でした。
(岩崎記)

実記を読む会:4月部会報告

2017年4月28日
場所:国際文化会館
英国編 第28巻 漫識特府(マンチェスター)の巻上・下

今回は参加者全員で、久米実記原文を交互に輪読する。

1872年9月2日、1830年に英国で最初に敷かれた鉄道線で、リバプール市を発ち、英国第三の都市マンチェスター市に向かい、ランカシャ―のセントヘレン村にあるガラス製造工場を見学する。

久米はここで、7頁にわたり延々と、ガラス製造工程や、原材料、触媒、そして自分の所見を含めて詳細を極めた描写を展開する。日本の陶器に対し、英国ではガラスを多用し、陶器はむしろ貴重品であると述べる。久米の故郷は有田焼の産地で、その製造過程に通じている故、似たような工程のガラスに興味津々。見学を終え、再び汽車で、マンチェスターへ。駅で市長らの出迎えを受けて、クインズホテルに投宿。夜、芝居に招待される。3日は、主産業の紡績工場を見学する。綿紡績でマンチェスターは大都市に成長したが、8,9年前のアメリカ南北戦争時には、綿花がアメリカから入らず、工場閉鎖と、失業に見舞われたと米国の奴隷廃止の影響がここにまで及んでいた。綿花の代替地がインドであった。次に、フィットウオール社の製鉄場を見学。1837年より、鋼、鉄、大砲、砲弾,砲車、輪台、各種機械、鋳物を生産する。各製造工程をここでも精述する。部品の規格化が産業革命にとって重要と知る。裁判所、牢獄を見学。会員の遠藤さんのご先祖が、海外留学後、日本の監獄整備に携わったと知る。4日、日曜日で、店舗も閉まり、休日を公園や近郊散策に費やす。

5日、禁酒禁煙のテンペレント協会の方が来る。ここで久米は、東洋の男子、酒豪を競い、淫欲を風流とし、女子の煙で媚悦する風を戒めている。次の更紗工場では、触媒に牛羊の糞汁を用いるのに感心する。再び、紡績工場を見学して、精密なる工程描写に費やす。久米の得意技である。この日、幹事:小坂田氏より、英国BREXITに関する資料を提供される。(文責:小野)

実記を読む会:5月部会報告「第30・31章」

<参加者6名。第30・31章を対象に数個所の音読を交え内容のまとめと解説を行った>

一行は9月7日マンチェスターから鉄路でグラスゴー市(以下G市)へ。経由地カーライル市以北がスコットランドであることから、スコットランドとイングランドの歴史的抗争の遺産、ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城及びスコットランド独立の英雄戦士W.ウォレスの生涯を描いた映画「ブレイブハート」の紹介を加えた。 続きを読む 実記を読む会:5月部会報告「第30・31章」

実記を読む会:6月部会報告

第215回 「実記を読む会」

1. 精力的に見聞の旅を続けてきた一行は、パークスの勧めでハ
イランドで浩然の気を養うことになった。と言っても岩倉、久
米ら4人と随行3人のみ。当時の欧州にあっては山紫水明の名
勝は、スイス、イタリア、スコットランドということだった。
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実記を読む会:3月部会報告

2017年3月24日
第26巻及び27巻 リヴァプール府(市)の記

はじめに英国回覧の日程を通覧。使節団は明治5年7月13日リヴァプールからロンドン入り後、11月15日ロンドンを発つまで実に122日間、英国に滞在する。主要な12都市を巡り、政治社会制度を含め、産業、工業を中心に英国の国力の基盤を具に視察し記述する。 続きを読む 実記を読む会:3月部会報告