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・・・米欧回覧ニュース第12号(平成10年8月30日)より

 


 

「司馬史観をどう見るかーーー歴史と小説」
・・・第10回例会(1998.7.25)中村政則氏の講演の要約

 


 

I 司馬を論ずることは日本の文化状況を論ずること

 

日本近現代史を専門とする私が司馬論をやることになった契機は、「自由主義史観」が依 拠すると言う司馬史観の検証だったが、両者に関係が無いことが解った現在でも、司馬遼 太郎氏への興味は続いている。 現在、ジャーナリズムの司馬神格化、カリスマ崇拝主義が強すぎる。立花隆氏は「司馬遼 太郎は司馬遷を抜いた」などと言っている。曽野綾子氏が週刊誌で司馬批判をしたら修正 を迫られたという。2億冊を売った国民的作家といえども批判無き崇拝はよくない。とい っても、単なる批判に終わっては意味がない。 批判には三段階あると私は考えている。 第一のレベルはイデオロギー的批判でレッテルの貼り合いだ。 第二レベルは内在的批判で、相手の論理に内在してその矛盾を突くものである。 第三のレベルは「相手の体系には自分の体系を」提示するという最高度の批判である。 私の司馬批判は戦後歴史学の成果を司馬史観に対置することになるだろう。 「司馬作品に何を学んだか」という政官財界人のエッセイで、橋本龍太郎氏ほかの人々が 司馬から学んだことを語っているが、本当に何を学んだのかと思う。 ここに田辺聖子による司馬への弔辞がある。「敗戦このかた日本は、ある傾向のイデ オロギーや思想の権力のもとに、かたよった認識を強いられて、歴史や伝統を否定する風 潮がみちていました。・・・人々は祖国に落胆し、卑下してしまったのです。・・・昭和 30年代、司馬さんの歴史小説はそういう日本社会に躍り出ました。日本の窓を開け新し い風と光をもたらしたのでした。本来の日本の持てる佳きもの、すばらしい伝統、そして 日本民族のすぐれたところも足らぬところも、明晰に論理的に、語りつくされました 。」私はこの田辺の文章が好意的でもあり、平均的な司馬像を表現していると思う。

 


 

II 司馬遼太郎の歴史小説の方法

 

1 原点

 

司馬は、終戦間近か米軍の日本本土上陸に備える戦車隊の一員として栃木県佐野市にいた 。東京から大八車を引いて人々が街道を逃げてくるのを見て、「これでは戦車は南下でき ない。どうすればよいのか」と問うたとき、上官が「ひき殺しても進め」と答えた。この 時に「日本民族とはこういうものか」「いつからこんなにつまらない民族になってしまっ たのか」「日本人とは何か」ということが終生のテーマになった、と司馬は書いている 。これはゲーテやベートーベンを生みワイマール憲法を持っていたドイツがナチズムへ転 落していったのはなぜか、と同義の難問である。 司馬は「昭和はダメでも明治は違うだろう」と考えて幕末、維新の青年群像を描いた。し かし司馬は最後まで、この問題を解けなかったといえる。「統帥権」の乱用から日本は 「魔法の森」へ迷い込んだというのが司馬の理解である。彼は「昭和初期は日本近代の異 胎であり参謀本部は鬼胎であった」とした。しかし、これだけでは歴史的、理論的な説明 とは言えない。

 

2 鳥瞰という方法

 

司馬はビルの屋上から地上を見下ろすような視点で歴史を描いた。「歴史上の人物と言う ものは、自分の運命をせいぜい半分くらいしか知らない。・・・だから私は思ったんです 。私の小説に出てくる人物より、私のほうが彼ら自身を解っているんだと。後生とはそう いうものです」(「坂の上の雲」秘話) これに対し大岡昇平が「レイテ戦記」で、また妹尾河童が、「少年H」で取った方法は「虫 の目」で見る方法である。大岡はレイテ戦を全体としてとらえようと出発したが、「戦死 した兵士の一人一人について、どこでどういう風に死んだか、数え上げることになってき た」と言っている。そして「結局一番ひどい目に会ったのは、フィリッピン人ではないか 」という感慨に行き着いた。 司馬との違いはここにある。

 

3 史観と史眼

 

司馬は、マルクス主義史学、水戸史学、皇国史観などのイデオロギーで歴史をみることを 排除した。 史観は歴史を掘り返す土木機械ではあってもそれ以上のものだとは考えなかった。「史観 が何であれ、ときには史観という機械を停めて手掘りにしたりしなければならない。考古 学の発掘が土木機械では出来ないように、やはり歴史と言うものは、そういう具合に手堀 りを加えたりしないと、うまくつかめない。」(「手掘り日本史」) 私は「方法は資料に内在する」という考えを持っており、実践の経験から司馬の手掘り論 に共感するところがある。 私の司馬論にたいして、「司馬史観」などというものが一体あるのか、という質問や批判 がある。私は「史観」という体系的なものはないにしても、「明治ナショナリズムと国民 国家」という強いイデオロギーあるいは「史眼」が、彼にはあると考えている。司馬の作 品に流れているものは「国民国家の物語」である。「客観的に」といっても歴史を見るに は、個人の方法論が必ず入り込むものだ。

 

4 文体論と美学

 

司馬はジャーナリストとしての非常に機能的な文体を持つ。名文を書こうとはしなかった 。漱石の「則天去私」の解釈で「文章はものを表すためにだけあります」としているもの の、彼の作品の中には「こういうことは史上かつてなかった」式のオーバーな表現が頻出 する。そして読者を楽しませることに重点をおいて美しいものだけを書いた。残酷なこと は書かない。土方歳三が尊攘派志士の拷問をしたことは書かないし、日清戦争で旅順虐殺事件があったことも無視して、日本兵士は「軍隊につきものの略奪事件は一件もおこさな かった」と不正確なことを書く。

 

5 歴史小説の三つのタイプには

 

(1)史料にとらわれずに作者の想像で勝手なことを書く、歴史は単なる素材に過ぎない 。 (2) 史実を尊重するが、作者の想像力を働かせて人物を造形する。 (3) 事実にあくまで忠実に書く(大岡昇平「堺港攘夷始末」) がある。 司馬は中間タイプといえるが、作品により異なる。 「坂の上の雲」は(2)に近く、「竜馬がゆく」は(3)に近い。 私は、河井継之助を主人公とする「峠」を調べてみて、河井と福沢諭吉が江戸城で会った という重要な場面が史実ではないことを知った。そして「作家はどこまで史実を離れて歴 史小説を描きうるか」のテーマで考えそのことを論文に書いた。 (「司馬文学と歴史学・・・「峠」を中心に」上・下、「神奈川大学評論」28・29号 、1998年)

 


 

III 司馬史観の問題点

 

1 二項対立史観

 

司馬史観の問題点の一つに「明るい明治と暗い昭和」という二項対立史観がある。わかり やすいがまことに単純で、日露戦争勝利まではよかったがその後悪くなった。第二次大戦 の敗戦からまた良くなる、という四十年周期史観だが、これでは「大正デモクラシー」が 的確にとらえられない。 丸山真男にも明治の明るいナショナリズムへの高い評価があり(たとえば「陸羯南」論 )、司馬と共通するところがある。しかし明治にすでに、後の破綻の芽があったことはき ちんと指摘している。 わたしは、世界史的な大転換の中に「大正デモクラシー」と昭和初期を位置づけなければ ならないと思い、カール・ポラニーの「大転換」を手掛かりに大恐慌への対処に関する世 界各国の対応の差を考察し論文にしたことがある。

 

2 晩年の司馬と彼の残したもの

 

司馬の作品は高度成長期の経営者、サラリーマン、官僚たちを喜ばせた。司馬は自作の影 響で、ある時期から日本が誤った方向へ進んで行くことに恐れ、懸念を感じ出したのでは ないか。バブルの形成と崩壊の過程で、官僚も経営者も自己統治能力を失った。それを見 て「このままいけば日本は滅びる」と、司馬の考えは危機意識に変わった。「土地と日本 人」(1976年)、「この国のかたち」(1990年)などは、ある意味で司馬の自己批判の書と して読むことができる。司馬の思考は時代とともに変化していたことを読み取らねばなら ない。 司馬は歴史家や他の大衆作家が描けなかった人物の造形に成功している。斎藤道三、坂本 竜馬、河井継之助、正岡子規、秋山真之・好古、児玉源太郎などがそうである。彼の作品 には小説のほかに、文明論、戦後日本論、地方論があり、それぞれ興味あるテーマが提示 されている。たとえば、中国・朝鮮停滞史観ひとつとっても論ずべき問題は多い。

 


 

<Q&Aとコメント>

 

講演終了後、短時間の質疑応答が行われた。 「司馬の社会的な影響力を過大評価しているのではないか」、「バブル発生と司馬の作品 との直接的な関係は検証できるのか」、「日露戦争の評価に関しソ連の脅威を軽視してい るきらいはないか」に関して質疑応答があった。 (発言者は安原和雄氏、水沢周氏)

 

このあと「ブンブンミーティング」に入り、講演に対する感想と質問を討議した。8つに 分かれたテーブルで20分間の討議のあと、各テーブル3分ずつの発表である。この討議は 、時間制限が緊張感をもたらして良かったという意見が多かったが、初めて出席した会員 からは、「何だか要領が分からないうちにドンドン進んでしまって面食らった」とする声 もあった。

 

中村講演に対しては 「久しぶりに本格的でアカデミックな話を聴いた」、「司馬の小説を深く考えないで読ん でいたが歴史家から見るとああいう風に解釈できるのか」、「学者というものは小説に対 しても随分厳密な要求をするものだ」、「中村教授は司馬批判と言っているが本当は司馬 が好きなのではないか」、などと新鮮な切り口が、好意的に評価されたと言える。 一方、「小説と歴史はもともと舞台が違うのだから歴史の論理で小説を斬るのは問題があ る。」、「たかが作家の言説に学者が真面目に批判をくわえるほどのことはない」という 、歴史と文学の根本に横たわる問題に広がるコメントや、批判もあった。

 

中村教授は一つ一つ丁寧に答えられたが、「国民的大作家を批判するのは、やはり、損な 役回りです」と苦笑される一幕もあった。 質問、意見は講演の中ですでに触れられた問題を確認するものもあったが、これは講演が ポイントを正確に突いていたことと、会員の問題意識が真っ当であることの反映であると 理解したい。

 

簡単に結論が出るテーマではないが、最後のコメントにあった泉三郎氏からの「司馬漬け を食べるときには中村屋の海苔も一緒にどうぞ」というユーモア溢れる一言が当日の全て を表現しているように思われる。

 


 

<アンケートから>

 

・歴史小説はやはり文学であり、歴史上の人物を借りた創作であると思う。知らず知らず 精神的な指導者にされて、本人も矛盾を感じたのではないだろうか。鳥瞰的視野で歴史上 の人物を描けても、自分については見通せなくなったのではないか。

・なみの作家ではない。坂の上の雲で世の脚光を浴びた頃、当時の世論は全くその逆で独 り往く作風であったが、一人の批判者もいなかった。「司馬史観」・・・史観を付けて呼 ばれる作家は何人くらいいましたか?

・司馬遼太郎についての講演は大変すばらしいものでした。議論の貴重な資料を提供して いただき、いろいろ考えることをシゲキされました。

・講演そのもの、中村先生の熱心な話しぶりや質疑に対する柔軟な応答、会場からのウイ ットに富んだ意見、周到緻密な司会進行、どれをとっても素晴らしい会でした。

・日本にもこんなサロンがあったんだ。これだけクオリティの高い話題が談笑のうちに交 わされるというのは嬉しい驚き。

・ブンブンミーティング・・・誰もがホンネで話せて大変よろしい。しかもワンクッショ ン置いて発表するから匿名性があり、会場の生の声がありのまま聞けるところがミソ。

・トップブランドの権威をバッサリ斬るだけの見識も勇気もある人が多くて頼もしい。

・自分の意見を自分の言葉でしゃべっているのがこの会の貴重なところである。

・同じ2時間、3時間でもこれだけの濃密な時間はざらにない。

 


 

・・・米欧回覧ニュース第12号(平成10年8月30日)より

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