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泉 三郎

 

 

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汲めどもつきぬ『米欧回覧実記』

 

 岩波書店が創刊六十周年記念に「私の愛読するご一冊の本」というアンケートをとったことがある。そこで最も多かったのが特命全権大使『米欧回覧実記』だったが、私も諸手を挙げてそれに賛成する一人である。

 この本は、全五巻二千二百ページに及ぶ大部な書物で、明治四年から六年にかけて実に六百三十二日をかけて行なわれた「岩倉使節団」の米欧旅行の精細な記録である。太政官発行という半ば公式の記録だが、随員だった久米邦武が独りで書き上げだものだけに終始一貫しているし、また、当時の風景や建物など二百枚以上の銅版画も挿入されており、随所に個人的なコメントも入っていてまことに興味がつきない。とりわけ私のような旅好きにはこたえられない本で、いつどこから再読してもその都度新しい発見があるので、

「回覧記 汲めどもつきぬ 泉かな」

という川柳が生れたぐらいである。

 さて、この本の特徴は何かといえば、あえてそれを三つに絞ると、このようになろうか。

 第一には、よくこれだけ広く旅して西洋文明の各面を観察し、よくぞ適確に物事をみて、よくぞまた記録したものだということである。

 第二には、光の部分だけでなく陰の部分もみており、表層の現象だけでなくその背後にある原理、原則までよく洞察していることである。そして大変柔軟にバランスよくものごとを視察し、西洋文明の本質にまで肉迫していることである。

 第三には、その表現が見事で、リズムのある格調の高い名文であり、特に音読してみるとちょっとやめられないくらい魅惑的である。


 幕末から維新にかけての西洋見聞録としては、福沢諭吉の「西洋事情」その他が著名であり素晴らしい。が、久米の「実記」はまた別の意味で大変な傑作だと思われる。

 福沢との比較は二人が対照的なだけにとても興味深い。福沢が小藩の下級武士出身で民の立場、開明派・洋学派で姿勢も積極的にして啓蒙的だとすれば、久米は大藩の上級武士出身で官の立場、保守派・儒学派で姿勢は客観的にして史学者的である。その表現方法は、福沢が喩も巧みに口語で大変わかりやすいのに対し、久米は古典からの引用も多く、豊富な漢語を駆使しての古風な表現に拠っている。

 芳賀徹氏(東京大学名誉教授)は、比較文学の立場から『米欧回覧実記』を早くから評価し「日本近代における紀行文の白眉」であると激賞しているが、たとえば各地の風景描写にしても「この本から引用しだすといつまでも引用しだくなって止まらない」と、その魅力を語っている。


 さて、この本の評価が最近いよいよ広く一般にも高まりつつある。

 それは何故か……おそらく読者が今日的な意味をそこに見出しているからだろうが、その理由として少なくとも三つが考えられる。

 一つは旅の視点である。読者は百二十年前にタイムスリップして岩倉便節間の旅を追体験できる楽しさにひたれる。そして一八七○年代初期の世界を輪切りにしてパノラマのように欧米諸国を回覧できる点にある。それはまたわれわれの多くが実際に米欧各地を旅できることになったという時代背景とも大いに関連があるだろう。

 二つは歴史的な視点である。日本が幕末以来直面してきた「近代化、西洋化、国際化」の惹起した諸問題が、実はこの時点で既にほぼ出揃っており、いわば近代化そのものの源流をここにみて、明治以来の日本史を反芻するための格好の素材とみるからであろう。

 三つは東西文明の比較の視点である。この本は江戸幕府体制下に生まれ教育を受けたサムライたちの感性や価値観、知識や教養に、どのように西洋文明が映ったのかの記録であり、そこに東洋と西洋との出会いが鮮明に表現されていることである。

 実際この記録をみていくと、使節団のメンバーたちの使命感、真剣さ、教養、洞察力の鋭さに驚かされる。そして、その後の世代でこれを超えた旅や記録がはたしてあったのかと、あらためて考えさせられてしまう。

 そして、現在の日本が大きな時代の変わり日で方向を見失っている時だけに、この書物の中に近代化の原点を探り、これからの時代のヒントを見出したいという思いを抱くのだろう。いずれにしろこの本は、日本人としての誇りと自信を取戻させてくれる有難い嬉しい書物である。

 


 

泉三郎略歴

 

一橋大学経済学部(坂本二郎ゼミ)卒(1959
在学中石原慎太郎らと六ヶ月にわたり南米大陸横断のスクーター旅行

鉄鋼会社勤務などを経て、美ささ不動産()、美ささ商事()を設立経営に携わる

泉三郎のペンネームで著作を始める(1970
著書に「土地神話の崩壊」、「自分の子供とつきあう法」、「達人達の名言辞典」、「世界地図の新しい読み方」、「異文化遊歩」など

「岩倉使節」の旅のルートを辿って追跡の旅を始める(1976
以後、断続的に旅をし約八年でメインルートを辿り終える。その後も枝葉のルートを辿って追跡の旅を続けている。また、「岩倉使節ツアー」を企画、コーディネート、六回にわたって実施(1993'95

 


 

岩倉使節関連の著書

 

「明治四年のアンバッサドル−岩倉使節団文明開化の旅」 1984:日本経済新聞社

「新・米欧回覧の記−一世紀をへだてた旅」 1987:ダイヤモンド社

「米欧回覧・百二十年の旅−岩倉使節団の足跡を追って」上下二巻 1993:図書出版社

「堂々たる日本人−知られざる岩倉使節団」 1996:祥伝社

「岩倉使節の旅」をスライドによって紹介する映像を制作

「岩倉使節の世界一周旅行」 全十巻 (約30/巻。全巻300分)

「岩倉使節の米欧回覧」要約版全三巻(約30/巻。全巻 90分)

IWAKURA MISSION」英語版:米国編、欧州編 (全120分)

「岩倉使節団という冒険」 2004:文春新書

 


 

「米欧 亜回覧の会」理事長

日本ペンクラブ、日本旅行作家協会、比較文明学会所属

 

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