「失われた20年」という言葉がまるで事実であるかのように使われている。自然に下を向いてしまいそうな雰囲気である。工場の海外移転、地方の過疎化、非正規雇傭の蔓延、所得格差の拡大、千兆円の債務、少子高齢化、家庭や教育の崩壊とくれば、誰もそんなマイナスの気持ちにならざるを得ない。が、物事には陰陽があり明暗がある。発想を転換してみれば、そこには明るい光の面があることを想起すべきだと思う。
思えば日本はいまもなお「豊かで便利な生活」を享受できている、しかも世界が羨むような「平和で自由」な日々を送れている。それに、成長の後には成熟が来、青年から壮年へ壮年から老年へは当たり前の成り行きである。先に挙げたマイナス面も多くは先進国に共通の現象であり日本だけの問題ではない。我々の国にいま求められているのは、「量より質」、「物より心」、「成長よりバランス」であり、「美や品格や道義」であることを知るべきだと思う。
目を洗って列島各地で芽吹いている新しい営みに注目してみよう!そこではすでに10年も20年も前から、新時代にふさわしい思想で実践活動を行っている人々がいる。たとえば、幸福の要件「食・住・仕事・絆」を、寄る辺なきホームレスに提供している菩薩のような若き女性、水力・風力・バイオの発電を地域で複合的に実現させてしまった辣腕の女傑、高齢者も児童も障害者もすべて受けいれている慈母のようなご婦人。むろん凄腕の男性もあちこちに存在する。山村で街中で、農林漁業による雇傭の創出や老人介護や幼少年の教育に、志ある活動家は澎湃として誕生しつつあるのだ。
それは一見小さな芽吹きのように見える。しかし、いずれも「人の役に立ちたい」という「志」、「公共」の精神による自主独立の民力によるものであり、その開花結実は感動を呼び周辺の人々を動かしていく。それはやがて百千の花園になり日本全体を変えていくことだろう・・・私はそこに「新しい日本の未来像」を期待したいと思う。