岩倉使節団に同行した留学生・金子堅太郎はハーバード大学を初めて卒業した日本人であり、日露戦争の開戦と同時に米国にわたって日本の立場を訴え、セオドーア・ルーズベルト大統領の斡旋を誘引し講和条約締結に貢献した人物として有名である。
その金子が請われて、1905年、カーネギーホールでスピーチをした。当時、日露戦争に日本が連勝して米欧諸国はにわかに関心を高め、何故東洋の小国があの大国のロシアに勝っているのか、秘密を知りたがった。金子はそれに応えて「日本の教育」、とりわけ「教育勅語」について語った。満杯の聴衆は拍手喝采をし、アメリカ人にも通じる素晴らしい内容だと共鳴礼賛した。そして米国の新聞のみならず英国の新聞にも報道され、あちこちから講演の依頼が殺到することになった。
金子はある教育者の集まりで、こんな感想を聞いている。「教育勅語は儒教・仏教・耶蘇教の3大教義を統一調和した深遠宏大な聖訓であって、欧米の教育に応用しても少しもおかしくはない」。また、ある上流婦人の会では、「私は日曜日の朝、3人の子供とバイブルを読みますが、そのあと十戒に比すべきものとして教育勅語を読んで聞かせています」と述べた。
それから30年を経た1936年、金子は明治記念館で次のような講演をしている。 「今日は物質的進歩と道徳的観念が逆比例になってしまい、欧米の文明は行き詰まっている。殊に欧州大戦乱の後、社会は紊乱,人心は不安、職業は失業者が多い…、そこで最近コロンビア大学のヘース、ムーン教授が『モダーンヒストリー』という本を書いた。そこでは、今こそ『道徳と教育』が必要だと強調し、日本のみが『教育勅語』をもつ故に神聖たりえている」と紹介している、と。
「教育勅語」は初めと終わりの国粋的要素を割愛すれば、グローバル時代に通用する人類共通の「倫理」、「教育理念」と成りうるのかも知れない。