3.11以降の生活に、大きな変化が見られる。もっとも顕著なのが「節電」に関するもので、たとえば、私のよく利用する京王電車で、久しぶりに5月の爽やかな風を感じることが出来た。というのは、少し暑いと冷房をかける、少し寒いと暖房にする、がいつの間にか習性になっていて、季節がよくても窓をあけることがなかったからだ。人の集う客室でも同じようなことで、年中窓を閉め切って温度調整をするのがサービスと心得る傾向があった。ところが季節により、その日の状態により、窓は開け放って、緑の風や花の香や小鳥の声を感じる方がずっと風流であり上質のサービスであることに気付いたのだ。
エスカレーターも停止して階段を利用することが増えた。もともと運動不足の都会人のことだから、階段の上り下りはよいエクササイズになる。珍奇な運動器具を買いこんで単純な奴隷的運動をするより、歩くことの方がずっと快適で健康的であることにも気付いた。
それから照明だが、電車内も駅の構内もオフィスも店舗もかなり減光した。最初はちょっと違和感があったが、慣れればそれが当たり前、むしろ明るすぎたことに気付いた。石原都知事の鶴の一声?で、自動販売機が一斉に暗くなり、パーラー・パチンコの看板もやたら自粛ムードになったのもおかしい。
近代文明は「もっと豊かに、もっと便利に」をモットーにやってきた。とくにアメリカ文明がその典型で、日本は戦後そのアメリカを追いかけてきた。しかし、今回の大災害で、「過ぎたるは及ばざるが如し」、何事にも「適度」というものがあり「ほどほど」が一番だと気付いたのではないか。今の日本は、衣食すべて、物も情報も、サービスも過剰である。それをもっと「ほどほど」にして、過小なモラルや礼節、風流や美的感性、こころや思いやりに、その余力を廻すべきだと思う。文明は今や「もっともっと」の「モアモア原理」から、適性適量の「ほどほど原理」へ、そして物・心の良好なバランスへ転換すべき時だと思う。