61 クール・ジャパンとタフ・ジャパン―恥ずかしい 政治・外交の貧困

「クール・ジャパン」という言葉は、NHKのテレビでも取り上げられてすっかりお馴染みになった。日本のマンガやアニメなどのポップカルチュアが「かっこいい日本」とされたことがきっかけだった。これに関して朝日新聞(12月1日号)が、「かっこいい日本」と「かっこわるい日本」についてのアンケート結果を紹介している。そして「日本が世界に恥ずかしいワースト」のトップに、「政治・外交の貧困」と「自己主張の弱さ」を挙げている。

そこで連想するのが幕末維新期の「政治・外交」の歴史である。ペリーの軍艦外交で狼狽した幕末の指導者はやむなく不平等条約を結ばされる。しかし、その屈辱をバネに明治の指導者は、対等な条約を結ぼうと懸命の努力をする。その魁がまさに岩倉使節団であり、その後も、寺島宗則、井上馨、青木周蔵などがその改正に努力したが果たせず、その全面改正には実に40年もかかった。まことに皮肉な事ながら日清・日露の戦争に勝つことにより、欧米は初めて日本を対等の国と認めることになるのだ。それは司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも描かれたように独立を確保するための必死の戦いでもあった。

思い起こせば、明治の政治家はタフだった。キリスト教問題での大隈重信、台湾征討問題での大久保利通、日清・日露戦争における伊藤博文、陸奥宗光、小村寿太郎など・・・それらは周到綿密な準備と決死の覚悟の上での「タフ・ネゴシエイト」だった。

それに比べ「クール・ジャパン」はいかにも軽い。マンガ好きの麻生太郎は平成日本の首相・外相を象徴しており、それに続く首相もまるで「クール」というより「フール・ジャパン」の代名詞のようだ。久米邦武は米国の共和主義に「衆愚政治」の一面を見たが、現実の日本はまるでその危惧通りになってしまった観がある。平成日本は軽薄な世論に左右され、自己主張の論拠も無きに等しく、如何にしたらタフたりうるか、真剣に自問しなくてはならない時である。

コメントを残す