幕末維新の時代、「文明」はまさに輝いていた。福沢諭吉や久米邦武が旅したころ、「西洋文明」は輝く「坂の上の雲」であった。福沢にとって「文明」の対極にあるもは「未開・野蛮」であり、日本にとって目指すべきものは「文明」であり、自ら「文明を使命とするなり」と宣言した。久米もその「文明」に酔い、その頂点ともいうべきパリを「文明都雅ノ尖点」といい、「巴黎ハ天宮ノ如シ」と讃えた。当時の日本人にとって「文明は輝く星」であり、「文明開化」は国民的な合い言葉になった。
むろん福沢も久米も西洋文明の影をみなかった訳ではない。西洋にも野蛮な面があり、影の部分があることを見抜いている。とくに久米は精神重視の東洋思想との対比で西洋文明の本質を鋭く衝いている。しかし、にもかかわらず西洋文明は間違いなく輝いてみえた。
しかし、今、百数十年を経て、「文明の輝き」は大いにくすんだ。イメージは大きく変わり、「文明」という言葉自体、概念も、意味もさまざまに使われ、混乱している。少なくとも、今日の日本人にとって「文明」は西洋近代という意味では目標とすべきものではなくなった。
それは何故か。日本がその「文明」をすっかり摂取し自ら成熟化してしまったからであろうか。あるいは「文明」の意味を誤解し外形ばかりに囚われているからか。あるいはその影の部分をも過剰に取り込んで内部から腐敗が生じているからであろうか。「文明」はいまや様々な問題をはらみ、あきらかに「くすんだ文明」になってしまった。
今や、日本はその先にある「新たな文明」を編みださなくてはならない立場にある。それにはすでに幾多の提言がなされている。いわく「森の文明」、「母性文明」、「美の文明」、「地球文明」など・・・
しかし、いずれもなお説得力に欠ける憾みがある。わたしたちはいまこそ原点に返って「目ざすべき文明とは何か」を真剣に考え直すべきではないか。その意味で福沢諭吉や久米邦武の記録は貴重なテキストだと思う。この2人の「文明への旅」をもう一度「学び直す」ことによって、あるいは「未来」が見えてくるのではなかろうか。