日本の近代史を語る場合、よくでる質問・意見がある。
7月の保阪正康氏の講演の際にもそれに類する質問が出た。あの愚かな戦争の失敗は誰が指導したのか、軍部か、陸軍か、天皇制か、それを辿っていくと結局、「明治憲法」にいきつき、さらに遡ると「岩倉使節団」にいたる。
この論理は戦後の失敗、バブル経済やモラルの退廃にも適用され、大蔵主導の財政や文部主導の教育に問題があり、つまりは官主導のシステムが元凶だとして、最後は明治初期の有司専制にたどりついてしまう。
そうなると、官僚制の確立者、大久保利通がワルだ、明治憲法をつくった、岩倉具視と伊藤博文がいけないということになり、その3人が参加した岩倉使節団がそもそもおかしいという議論になりかねない。
しかし、この議論は当時の情況や歴史を考えない見当違いの意見というべきで、明治創業の時も戦後復興の時もその世代の立場にたってその心事を深察しなければならない。明治初期の日本は植民地化される危険があったし、戦後には飢餓寸前の絶対的貧困があった。だからこそ、明治期には懸命に富国強兵をはかり、戦後は軽武装経済重視でやってきた。それが見事に成功し独立と豊かな日本をつくりあげたのだから、これはこれで評価すべきが当然であろう。
問題はその後である。創業世代の苦労も知らず、そのからくりも理解せず、先代の成功にあぐらをかいて驕り無為に過ごしたことにこそ失敗の原因がある。明治創業時の仕事にも戦後の体制にもむろん欠陥はつきものだ。それを修正し改造していくのが、後継世代の仕事であろうと思う。
時代が変われば情況が変わる、それに適応して変革をしていかなくてはいけない。何事も40年もすればパラダイムの転換を図り、憲法でさえ改造しなくてはいけなかったのだ。祖父世代の建ててくれた家に住んだまま、設計がよくなかった、あちらが悪い、こちらが悪いと文句をいっているのでは、恩知らずのタワケといわれても致し方がない。不都合なら時代にあわせ状況に応じてさっさとカイゼンすべきなのではないか。