44 西洋文明の限界と東洋文明の理想 ―岡倉天心「茶の本」から100年 

 9月2日、東京有楽町の朝日ホールで、『国際シンポジウム「茶の本」の百年』が開催された。『THE BOOK OF TEA』が一九〇六年に出版されてちょうど百年になるからである。以来、この本は各国語に訳されて版を重ね、わかりにくい東洋の哲学を「茶」に託して説いた本として、日本人の考え方を世界に伝える意味で大きな役割を果たしてきた。

顧みれば2003年10月、当会ではドナルドキーン氏や松本健一氏を招いて、日米交流150年記念シンポジウム「アメリカングローバリゼイションと日本のアイデンテイテイ」を開催している。その中で松本氏は開国以来「英語で日本を紹介した本は3冊しかない」として、新渡戸稲造の「武士道」、内村鑑三の「代表的日本人」、岡倉天心の「茶の本」を挙げていることが想起される。「茶の本」の日本語訳は既にいくつか出ているが、昨年、大久保喬樹氏(東京女子大学教授)による新訳が出た。その「まえがき」で大久保氏はその今日的意義に触れてこう述べている。

「当時の日本人一般がもっぱらその時代の日本という限られた視野から近視眼的なものの見方しかしていなかったのに対して、天心は、はるかに広い視野ーさまざまな文明から成り立つ世界全体および数千年に及ぶ歴史の流れを見据えた視野や大局的なものの見方をしたのであり、その上で近代化、西洋化の路線には限界があり、その限界を乗り越えるには伝統的東洋文明理想に還ることが不可欠とみなしたのです」とし、「共生」、「エコロジー」などの思想的先駆がここにあると書いている。

天心は、日露戦争に勝利した日本を一等国と称える西洋の論法についてこういう。『近年、侍の掟―日本の武士道が進んで自らの命を捧げる「死の術」―については盛んに論じられるようになったが、「生の術」を説く茶道についてはほとんど注意が払われていない。戦争という恐ろしい栄光によらなければ、文明国と認められないというのであらば、甘んじて野蛮国にとどまることにしよう。私たちの芸術と理想にしかるべき敬意が払われる時を待つことにしよう』。

平成の今日、「茶の本」から百年を経てその時が来たというべきであろうか。

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