6月8日の第97回「実記を読む会」で、会員の小林富士雄氏(大日本山林会会長)が、貴重な資料を基に興味ある報告をされた。その中にベルリンにおける木戸と大久保の知られざるエピソードがあり、感動的な後日談もあったので紹介したい。
それは当時ドイツに滞在していた留学生、松野?の話である。松野は長州の出身で幕末脱藩して志士として活動し維新後はドイツ語を学んでいたのだが、その関係で明治三年ドイツに留学する北白川宮に随行することになった。そしてベルリンでは、最初メジャーな「国家経済学」を学ぶつもりだったのが、青木周蔵のすすめもあって当時はマイナーに見られていた林学を敢えて志し勉学していたのである。
岩倉使節団には、当時各国に派遣されていた留学生が玉石混淆なので実態調査の上整理する仕事もあったのだが、木戸は留学生のリストにあった「山林学」に興味をもち松野を呼んで話を聞く。松野はここぞとばかり林学の必要性を説いて熱弁をふるったらしい。同席の大久保もそれを聞いて「案(机)をたたいて大いに悦んだ」という。大久保は殖産興業の上からもその重要性を認めて大いに激励したのだろう。松野は卑賤な学とみられていたのに、トップリーダーの二人の言葉に大いに力を得て以後専心懸命に勉学に励むことになる。
そして明治8年に帰国すると、大久保は待ってましたとばかり内務省の地理寮に職を用意して任せ、松野はその後幾多の苦難にもめげず日本の山林学とその行政の基礎を築くことになる。また、木戸は個人的に松野のフィアンセ・クララが単身来日したのを親身になって世話をし、住まいも用意して上野精養軒での結婚披露にも出席している。この挿話には木戸と大久保のそれぞれの持ち味が表れており心を打つ。これに似た話は同じドイツ留学生で近代毛織物製造の祖となる井上省三にもあり、おそらく他の留学生にもいろいろあったに違いない。要路にあるリーダーのもって範とすべき話である。