憲法改正論議がいよいよ盛んになってきた。戦後60年にしてようやくその段階を迎えたという感じである。思えば、憲法論議がここまで廣く深く関心を集めるのは明治初年以来かもしれない。岩倉使節団首脳の第一の関心事も憲法問題だった。よく知られているように木戸と大久保は帰国早々、憲法制定の緊要性を説いた建言書を「正院」に提出している。共に天皇を戴く議会制を主張し、漸進的な近代化を構想した。
中でも最も熱心だったのは木戸であり、ワシントンに滞在中アメリカ憲法の研究を始め、その際、久米らにいわれて、「五ヶ条の御誓文」を想起している。それは明治新政府の大方針を明らかにする大文章であり、木戸もその起草にかかわっていたからだ。
あらためて五ヶ条を挙げれば次の通りである。
- 廣ク会議ヲ興シ、萬機公論ニ決スベシ
- 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
- 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
- 旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
- 知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
この文案は、はじめ由利公正(三岡八郎)が起草し、福岡孝弟が修正し、最後に木戸が手を加えて完成したといわれている。由利は福井藩士で藩の政治顧問となった横井小楠の教えを受けており、そこには儒教的共和主義の思想が底流している。村松剛の説では、原案は「列侯会議」となっていたのを「廣ク会議ヲ興シ」とし、「宇内ノ通義ニ従フベシ」としていたのを「天地ノ公道ニ基クベシ」としたのは木戸だという。
この五ヶ条は「皇基」の1字を除けば、今日の世界どこにも通じる普遍的なものであり、平成憲法を論ずる場合にも大いに参考にすべきものだと思う。とりわけ「天地ノ公道」という言葉には人倫はもとより資源や環境問題も含まれており、東洋的な理想が謳われていて高邁である。いまこそ我々は明治創業の原点に立ち返り、先人の知恵を学び直す必要がある。