幕末維新期、岩倉や大久保が国事に奔走しまた逆境時代を過した舞台も訪れる今回の「関西歴史ツアー」はまことに感慨深いものがあった。
まず岩倉が生まれ育った京都御所だが、その古い図面には生家である掘河家、養家の岩倉家、それに歌の道を習った太閤鷹司政通家の邸も示してある。岩倉が政治の表舞台に登場する公家の大デモ「八十八列参」をしかけた九条関白の広大な邸跡にも立ち、大久保や西郷と謀ったかの有名なクーデターの現場「小御所」も回覧した。九条や鷹司など五摂家の大きな邸に比べて下級公家の堀川や岩倉の小さな邸図も印象的だった。
それから有馬温泉だが、ここは大久保が米欧回覧の旅から中途帰国して、すっかり様変わりしてしまった土肥内閣の様子に臍をかみ、しばし気をはずすかのように関西に旅をし、岩倉らの帰国を待ち「泰然として」湯につかり英気を養った場所である。
また、岩倉が公武合体に与し皇女和宮の降嫁で脚光を浴びた後、急転直下「大姦物」として追放され、洛外の小村の粗末な家に蟄居させられていた旧居も訪ねた。
ここでの五年に及ぶ不遇な時代が岩倉を鍛え、龍馬や大久保との密会を通じて薩長との連携による維新革命へのお膳立てを準備するのだ。
さらに西宮神社に移築された岩倉旧邸は、馬場先門にあった旧忍藩邸の一部であり、そこはまさに明治6年の政変劇の舞台だった。岩倉、大久保ら外遊組は奇跡的な逆転劇を演じて政権を取り戻すのだが、そのとき西郷、江藤、副島、後藤の留守組の四参議が押し掛けて最後の圧力をかけた現場である。しかし、岩倉は動ぜず「まろの目の黒いうちはお主らの勝手にはさせぬぞ」と咆吼した舞台なのであった。
本会の同好の士と共にする歴史ツアーは、海外も国内もまことに意義深く、楽しく、興趣が尽きない。