日本列島に新しい風が吹き抜けている。
この四月、ライオンヘアーをなびかせて、サムライ小泉の雄叫びが日本列島に鳴り響いた。それから、僅か50日もたっていない。が、その間にあれよあれよと言うほどに「変革の風」が日本列島に吹き始めた。派閥人事を排した自民党の三役人事、政策新人類や女性5人を含む清新な内閣の誕生・・そして初舞台の国会でも新首相は歯切れよく、自分の言葉で信念をもって熱く国民に語りかけた。その結果、「小泉は本気だ、命を懸けている」というイメージが浸透して、世論は80%を越える支持率を示した。細川内閣の誕生以来の高率、いや、それも越える空前の支持が集まった。
危機意識は国民の方が進んでいたのだ。痛みを伴う手術をすべきなのに、それをやらない膏薬張りばかりの政治に業を煮やしていたのだ。旧体質の既得権益集団の延命策とただそれに反対ばかり唱え確かな代案を示し得ない野党にやきもきしていたのだ。そこに、国民の期待を代弁する有言実行のサムライ、本物の政治家が出てきたことに期待したからだろう。
しかし、与党も野党もマスコミもお手並み拝見とまだまだ様子を見ていた。ところが、謳い文句の「聖域なき構造改革」は次々と具体的な形を現し始めた。特定財源の道路税や特殊法人へのメス、そして誰をもアッと言わせたハンセン病訴訟事件・・これは実に鮮やかだった、ヒューマニズムが法を覆したというべきか、この超法規的英断は日本列島津津浦々の人々に感動の涙を浮かばせた。
そこには民意を的確に読みとって、それを明快に表現し、したたかに実現していく勇気がある、断行力がある。東京都知事に石原慎太郎が登場したように、いま国政に真の政治家が登場した思いがする。むろん真価が問われるのはこれからだが、幕末に例をとれば、高杉晋作のように捨て石になるのか、勝海舟のような形で旧体制の破壊者になるのか、あるいは木戸孝允や大久保利通のように、維新を成し遂げて新政府の樹立までこぎつけるのか。いずれにしろ国民がどこまで痛みを伴う改革を支持し続けうるかに、国運がかかっているように思われる。