岩倉使節団が訪れたときのドイツと日本にはいくつかの類似点がありました。大久保利通が「英米仏などは開化登ること数層にして及ばざること万万なり」といい、久米邦武が「ドイツに学ぶこと英仏よりかえって益多かるべし」と書いた背景にはそれがあったのです。ドイツが、近代化の先頭を走る英仏国に遅れた中進国であったこと、憲法政治とはいえ皇帝の権力が絶大だったこと、長く領邦国家が続き最近になって統一されたこと、農業を基盤に工業化に注力していたこと、人口・面積も比較的似ていたこと等によるものです。
そのことは、その後の百三十年の歴史に於いても、両国がかなり似たような道を歩む原因にもなりました。日本も国家主導で開化を進める必要があり、国権重視のドイツ憲法を手本にすることになり、英米仏露などの列強に対抗するために富国強兵策を採りました。そして列強の帝国主義と衝突して再三戦争を起こし、とくに第二次大戦では両国は同盟を結んで戦いました。そして共に最後は大敗北を喫し、戦後は廃墟の中から同じように経済の復興を成し遂げ、経済大国として見事にのしあがったのです。そこには勤勉、有能、努力、几帳面、まじめ等の国民性の共通点もあったといえるでしょう。
しかし、この十数年で両国はすっかり差異ができてしまったようです。ドイツは東西分裂の後遺症がありネオナチの問題はあるものの、憲法というべき基本法を改正して独立国家として歩みアメリカ軍隊を撤退させました。そしてその間、住空間の充実、農業や自然の保護、長い余暇時間、堅実でゆとりある生活を確保してきました。さらには環境問題への取り組みも厳しく、欧州連合のリーダーとなって世界の先端を歩いています。
翻って日本はどうか、いい加減にアメリカ一辺倒から脱すべきではないか。そして、欧州各国とりわけドイツからも学び直す必要があるのではないか、それを痛切に感じるのです。