岩倉使節団から130年、日米関係は蜜月時代と摩擦時代を繰り返してきたといえましょう。明治維新より40年、日露戦争の講和にいたるまではいわば蜜月の時代でした。それがおかしくなるのは日本が大国の仲間入りをして米国の目障りになる存在となり、中国を舞台に覇権を争う関係になってからでしょう。
当時、朝河貫一氏は日本の「禍機」を書いて「日本が傍若無人に中国での権益を拡大しようとする」ことに警鐘を鳴らしましたが、両国はその後15年にわたって危機を増幅させ日米戦争に突入していきます。
さて、太平洋戦争後の日本はどうでしょうか。民主憲法を戴き、戦争を放棄し、経済一辺倒に突き進みました。その結果として経済力が強大になりアメリカを各処で脅かすようになり、貿易摩擦の季節を迎えました。
そして戦後40年の1985年には円高誘導という形で金融摩擦に発展します。さらにいまやそれは文化衝突にまでエスカレートしてきているとさえいえます。とすれば「日本の禍機」が再び形を変えて襲来したと解釈すべきでしょうか。
現未来部会のパールハーバーデーの議論が期待されます。