16 昭和ヒステリーと平成ユーフォリア

 保坂正康氏の昭和史を聞いていると、背筋のあたりに冷たいものが走るのを感じてしまう。とりわけ昭和前期(とりわけ2期)の、あの坂道を転げ落ちていくような経過をみていると「人間は同じような過ちをくりかえすのだな」と思わざるを得ない。

第一次世界大戦の軍事景気ですっかり膨らんだ経済の日本が、その始末をどうつけるか、緊縮財政でいくか膨張拡大策でいくか、昭和初年は大きな岐路にあった。ところが結局は軍事大国化に走り戦線を拡大し、既得権益にこだわって泥沼にはまりこんでいく。金融恐慌、財政改革、テロ、インフレ、軍部独走、大東亜戦争、大本営発表、精神主義と続くプロセスは、日本全体を集団ヒステリーに巻き込んでいく絵巻物だ。それは実に恐ろしいばかりの国を挙げての狂気ぶりだった。

翻って平成日本をみれば、1985年のプラザ合意以来、列島には札束が洪水をなして経済はバブルに酔いしれ、外からはグローバリゼイション・大競争の大波が強迫観念となって襲いかかってくる。そしてバブルの破綻とともに日本は重症患者となって既に10年がたつ。本来なら思い切って財政改革を断行し、スリム化大作戦を取るべきだったと思うのだが、現実には痛みを避け出血をおそれ、猫も杓子も景気維持を望み、内閣もまたそれを口実に百数十兆円に及ぶ大盤振る舞いをして僅かの間に日本を借金大国に転落させてしまった。

しかもこの前代未聞の大血税バラマキ内閣が世論の支持を受け、学者・評論家の大先生の採点まで概してよろしいというのだからあきれかえる。平成日本は暖衣飽食の果てに遂にコーコツ状態に陥り、かつての日本が集団ヒステリーにかかったように、集団ユーフォリアにかかってしまったとしかいいようがない。

このままでは結局、行きつく先は大増税かインフレしかないだろう、さもなければ戦争という大仕掛けの巨大サーカスに到るという恐れさえ感じる。

今こそ真剣に我々は歴史に学ばなくてはいけないと思う。

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