「米欧回覧実記」の面白さの一つは、久米の簡にして要を得た比較文明論でありましょう。「実記」を見ていくと随所にさまざまな形で出てきますが、その中でもパリとロンドンの比較はその一典型と言えるのではないでしょうか。
≪倫敦ノ街ハ、地下ノ鉄路アリ、地上ノ車道アリ、天上ノ鉄路アリ、人民モ亦三様ノ生理ヲナシ、日ニ棲棲徨徨タリ、石炭ノ烟白日ヲ薫シ、雨露モ亦黒キヲ覚フ、巴黎ハ然ラス、全府ノ民ヲ、一ノ遊苑中ニオク、巴黎ノ市中、往ク所ミナ遊息ノ勝地アリ、街上ノ行人モ、亦其歩忙シカラス、空気晴朗ニシテ、烟媒少ク、薪ヲ以テ石炭ニ代フ、倫敦ニアレハ、人ヲシテ勉強セシム、巴黎ニアレハ、人ヲシテ愉悦セシム≫
明治以来日本はいわば、「東洋の英国」を目指して『勉強』し、『勤労』してきました。産業革命に遅れ近代化を急がなければならなかった日本人としては、やむを得ない面がありました。
とりわけ深い谷に落ちた戦後は余りにも生真面目に『勉強』し、『勤労』してきました。あるいは20世紀そのものが余りに『技術の進歩や経済の発展』に忙しすぎたといえるかも知れません。そして、そのお陰で『文明の果実』が、今たわわに実っているにもかかわらず、それを楽しむ余裕を持たず、「より豊かに、より便利に」と、さらなる果実づくりや金儲けに忙しがっているように思います。
われわれ日本人は『手段』に埋没するのではなく、本来の目的たる『生きることそのもの』に目覚めるべきでしょう。
その意味で日本人にとって「二十一世紀ハ人ヲシテ愉悦セシム」であるべきだと思いますが、いかがなものでしょうか。