司馬遼太郎の原作であるNHKの大河ドラマ「徳川慶喜」をみていると、現在の日本のダッチロールぶりが当時の政治状況に大変似ていることをあらためて感じる。
幕末維新の激動はまさしく1853年のペリー来航から始まった。主席老中の阿部正弘はこの歴史的大事件にどう対処するかを思い惑い、これまでのように幕府の一存で決めるべきではないと判断し、諸大名に意見を聞き朝廷にもお伺いをたてることになった。
この判断は正しかったが、それは同時に幕府の危機対応能力のなさを告白し、また幕府の権威を失墜させるきっかけにもなった。
以後、薩摩・長州・土佐・福井・宇和島などの諸大名が意見を具申し、朝廷勢力も盛んに政治に口を出すことになる。公武合体の運動、長州の尊王攘夷運動、幕制改正…そして草蒙の浪人が騒ぎ出すのもその現れであった。
そうした状況下、吉田松陰は檄を飛ばした。徳富蘇峰はその松陰の心情をこう表現している。「幕閣も藩庁も京都も意の如くならざると見るや、ここにおいて猛然と決心したり。即ち既存の勢力をまたずして、草蒙の志士を糾合し、空拳をふるうて、天下のために、最初の一撃を尊攘の妨害物に加うること是なり。」その意を体した高杉晋作は1863年、「奇兵隊」を結成する。いわく「この危機には贅沢になれた武士はダメだ。志あり強健のものは、その身分いかんにかかわらず参加すべし」と。つまり民兵を組織して敢然と立ち上がったのだ。
平成のダッチロール期毅然として「国民会議」を旗揚げしたナカムラ・モンジローは、まさに平成の晋作を連想させるものがある。因みに、明治維新は奇兵隊結成後、わずか5年で実現する。ベルリンの壁にも見るように、時代が動くときは意外なほど早いというべきか。