歴史部会:8月度部会報告「使節団に影響を与えた外国人1」

日時:2021年8月30日 10:00~12:30
場所:ZOOMによるオンライン開催
内容:

1.ビスマルク(塚本 弘)
保守、かつ、現実主義という二面性を有した政治家としてビスマルクについて塚本弘さんが発表。ドイツを中心としたヨーロッパの歴史の歴史、プロイセン首相ビスマルクが直面した課題そして1873年3月15日の夕食会におけるビスマルクの言葉について述べられた。大久保利通のビスマルクの印象、ドイツをモデルにするかイギリスをモデルにするかについては最終的にはイギリスモデルをとった。戊辰戦争中、会津藩と庄内藩は武器の購入代金として蝦夷地(北海道)を植民地としてプロイセンに提供したいと駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラントに対して申し出ている。 ブラント公使はこれを本国のビスマルクに 取り次いでいるが、この頃のビスマルクは植民地 獲得に関心を持っておらず却下したとされていた。だが、最近、ビスマルクが却下の3週間後に方針転換をし交渉を認可していたことを示す文書がドイツ連邦軍事 文書館で発見された。プロイセン(ドイツ)ではゴーサインが出ていたことが明らかになった。
五百旗頭 薫 東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。

2.ローレンツ・フォン・シュタイン  Lorenz von Stein(1815-90)  (小野寺満憲)
伊藤博文の大日本憲法制定にも大きな影響を与えたシュタインはドイツの法学者でキール大学教授・ウイーン大学教授を歴任した。キールにおいてヘーゲル法哲学、歴史法学を学び、パリ留学(1841-43) で、フランス法制史を学びつつ、社会主義者・共産主義者らと交わり、「今日のフランスにおける社会主義と共産主義」(1842)を著した。カール・マルクスはこれから学び、私淑しながらも自らの思索を深めていった。しかしシュタインは、弟子マルクスを数多い著作において一貫して無視し続けている。

3.モーリス・ブロック(泉三郎)
彼はフランスの政治・経済学者、統計学の大御所でもあった。チエール大統領とも親しく、左院派遣の西岡逾明や高崎正風の師となり、その勧めで木戸孝允や岩倉具視も教えを請うことになった人物で統計論をはじめ経済学、行政学において数々の優れた著作を残している。「国家の存するところ統計あり」は、1943年 ブロックの著書「統計学の理論と実際」の訳書を上梓した塚原仁の意訳によるものであり、名訳とされ名言とされている。

ブロック博士の言説と使節団との出会いは

1 「米欧回覧実記」三巻 75~76p ;「仏国の財政と、貧民救助の法トハ、甚タ行届キタルモノニテ・・・」
「現行欧州ニ大銀行八社アリ・・・」 この記述はいずれも仏国ノ経済学士「モリス、ブロック」氏の言説と思われる
2 「久米博士九十年回顧録」下巻439~442p 215項「碩学ブロック博士訪問」から
「日本は開初から一系の帝統を奉ずるを誇る珍しい国柄を誇る国柄なるに・・・」
と天皇制を評価され、木戸も岩倉も大いに感動し、わざわざ自宅にまで出かけて教え
を請うにいたった。

3 「明治初年における左院の西欧使節団」松尾正人(「国際政治」81号より)
  「西岡逾明・高崎正風との出会い・・・
   高崎いわく、モーリス・ブロックは「アカデミーノ学校ヨリ出タル有名ノ大家、年頃七十余ノ老先生、人品風彩、如何ニモ超凡ノ人と相見得、ケ様の人を得る候者実ニ我輩ノ大幸ナリ」、著書の一つは「日本でも西洋各国盛衰強弱一覧表」として慶応三年(1867)に翻訳出版されていた。

4 「木戸孝允と左院視察団の交流記事」(松尾正人前掲書より)
   ロンドン、パリにおける木戸と西岡・高崎、ブロック博士との交流の様子が伺われる

5  高崎の自伝的著作「歌ものがたり」より・・・
ブロック博士の懇篤なるお誘いがあって、露都サンクト・ペテルブルグで開催された欧州統計会の貴族的で豪華な十日余にわたる研究会とパーテイに出席することができた。その際の状況が歌人高崎の筆で見事に描かれている。

6 M・ブロックの主著の一つ「統計学の理論と実際」(塚原仁訳:昭和18年刊行)
統計学は当時もっとも先端的な学問であり、その先駆的な研究者であったブロック博士が、その“理論と実際”について、一般人にもわかるように書いた啓蒙書の序文である。国家なるものを理解するのに統計がいかに大事かを説いており、幕末、すでに栗本鋤雲、中村正直、加藤弘之らもブロックの書に接していたと思われる。

文責:吉原

 

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