岩倉使節は今から120数年前、実に1年10ヶ月にわたって米欧諸国見聞の旅をしました。それは3つの意味で新しい時代を切り拓く旅を意味しています。一つには蒸気機関に象徴される産業革命の新時代に乗り出すことであり、二つには封建社会から近代社会へ転身することであり、三つには弱肉強食の帝国主義世界への参入でありました。明治の新政府は否も応もなくこの異質な西洋文明世界に対面しそれに適応せざるを得なかったのです。
そして使節はこの旅を通じて西洋文明なるものの本質を見極め、40年もあればなんとかこれに追い付きうるという感触を得て帰ってくるのです。そしてその後のわが国は奇しくも40年を周期として興亡を繰り返して来ました。
明治の40年は「富国強兵」に邁進し日露戦争に勝利して一等国の仲間入りをします。その後の40年は初心を忘れて奢り高ぶり自ら帝国主義の野心にとらわれて自滅します。そして戦後40年、今度は廃虚の中からひたすら「富国」を目指し、世界に冠たる経済大国を築くのです。
そして、今、われわれは「物豊かにして心貧しく、諸事便利にして品性劣等」の現実に直面し、あらためて「文明開化」とは何か、「近代化」とは何であったのかを問いなおさねばならぬ事態にたち至っているのです。つまりわが国はいま戦後50年を、維新120年を振り返ってみる必要にかられているのです。そしてそのための格好の素材が「岩倉使節の旅」であることに気づくのです。
今、何故、「岩倉使節の旅」なのか、それはこの映像をご覧になればご理解いただけると思います。これをイントロダクションとして、「岩倉使節の旅」とその記録である「米欧回覧実記」への関心が高まる事を祈ってやみません。