79号 「もう一つの日本像」を求めて より真剣に知恵を出し合おう!

このところ、日本近代の歴史を振り返る機会に恵まれてあらためて思うことがある。明治期においても大正期や戦後の歴史においても、いくつかの分岐点があって、あのときあの人物がもう少し頑張ってくれていれば歴史も違っていただろうにと残念に思うことが少なくない。現実にはその重要人物がテロで暗殺されたり、病気や過労で倒れてしまったケースが多く痛惜に堪えない。また、海外の要因も大きく作用する、第一次大戦のような事件は思いがけない好景気をもたらし、その反動で深刻な不況をももたらす。また世界恐慌のような事件が大津波のように襲うこともある。その意味では歴史はかなり偶発的な要素で大きく変わるものだという感慨も否めない。

しかし、何時の時代にも志高く誠実に「よき社会」を目指し、「間違いを正す」べく命を懸けて尽力してくれた人々がいる。そして、人間社会はそのお陰でジグザクながら、少しづつでも進歩しているのではないかとの感想を抱く。科学技術の進歩や経済産業の発展は申すまでもなくわれわれの生活を驚くほど豊かに便利にしてくれた。しかし、その一方で、余りにも格差があり、非人間的な生活を強いられる人も多い。

それにしても、核兵器は広島・長崎以来70年、一発も使われていないし、世界的な経済恐慌、金融恐慌もなんとか回避して今日まで来ている。不備とはいえ国連や各種サミット会議がもたれて、なんとかその危機を回避してきたからであろう。
今、日本はパワーポリテイクスの世界に舞い戻るのか、平和憲法に依拠して非戦の路線を貫くかの岐路にあるといわれている。しかし、その二者択一ではなく、「もう一つの道」が日本にはあっていいのではないか。当会の20周年記念シンポジウムでは、東西文明の双方を自家薬療中にしてきた日本から、この地球時代にふさわしい「第三の思想やヴィジョン」が紡ぎ出せないか、そのためにより真剣により深い知恵をあつめることができないか、そんな夢を抱いている。

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