81号 明治150年における「春夏秋冬」~80年サイクル史観を問う

明治大正を終えた「近代史研究会」は、このところ戦後昭和に入った。吉田茂、石橋湛山、下村治とつづき、明治150年のパースペクテイブがおぼろげながら観えてきた感じがある。そこで想起されるのが、久米邦武の「米欧回覧実記」における「40年説」である。1870年代、繁栄の頂点にあった大英帝国も歴史を辿れば40年前には蒸気船も鉄道も電信もなかった。そこで岩倉使節団の面々は、「洋才」つまり西洋の技術やシステムを学び、摂取していけば「40年もあれば追いつけるか」と直感したのだった。その後の日本をみれば、明治においても戦後においてもほぼ40年で「強兵」と「富国」に追いついている。

さて、ここからは私見であるが、その40年を20年区切りにして「四季80年」として観たらどうなるかと考えてみた。明治は大正・昭和前期を含め80年続き、戦後昭和は平成も含め70年続いた。80年は人生の営み「少・青・壮・老」にも対応し、社会の営み「春夏秋冬」にも対応する。20年は一代を意味し「青春・朱夏・白秋・玄冬」と表現すればそのニュアンスも伝わってくる。インドの古代思想にも4期に分ける考えがあって「学生・家住・林住・遊行」というらしい。

日本近代を「人物の群像」を通してみていくと、結局「歴史は人間がつくるもの」との感触を深くする。それも一代ではなく二代・三代・四代かけてつくっていくものだということである。そこには成功もあれば失敗もあり光と影が縄のように織りなしている。それは「栄枯盛衰」のリズムであり「四季の変化」を想わせる。それを歴史に適用すれば、「生物史観」、「バイオ史観」となるのであろうか。

この史観からすると、現今の日本は「玄冬」、「老齢」、「遊行」の季節ということになる。が、冬には春の芽が、老いには孫の命が、遊からは知恵が生まれる。あと10年、平成の今は「春をまつ充冬」といえるのかも知れない。

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