歴史部会:1月部会報告『近代化学創設者たちと薩長留学生』

日時:2018年1月15日
副題―英国化学者アレキサンダー・ウイリアム・ウイリアムソン夫妻と薩長留学生並びに明治維新立役者の絆―
(講師:西井易穂氏―会員)
1863年は、攘夷藩の長州が英仏蘭艦船を砲撃し、生麦事件を受けて英国が薩摩を砲撃した年(薩英戦争)である。その長州が英国に五人の密航留学生を送り、薩摩は英国との講和の際、留学生派遣条件を入れて、1865年19名の留学生を派遣した。その薩長の留学生を英国で引き受けたのが、ロンドン大学の化学教授のウイリアムソン夫妻であった。薩摩藩が到着すると、早速、長州留学生が訪ねてきて交流が始まり、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンで共に学ぶことになる。ウイリアムソン
は有機化学の父と呼ばれるリービッヒに学び、「化学と異質の調和」哲学の持ち主で、薩長留学生に異と和し、日本人としての自覚意識の覚醒に影響を与える。松木弘安(寺島宗則)は、ラッセル英外相に対し、「幕府に変えて、朝廷を立てて、貿易がで
きる体制を目指す」と説いたとされる。京都での薩長同盟に先立つ2年前のことである。両藩留学生の交流は明治維新まで続く。長州の井上馨(外交の父)、伊藤博文(内閣の父)、山尾庸三(工学の父)、井上勝(鉄道の父)、遠藤謹助(造幣の父)、薩
摩の寺島宗則(英国大使)、五代友厚(大阪の父)、森有礼(初代文部大臣)、吉田清成(駐米公使)、畠山義成(開成学校校長)、鍋島尚信(駐仏公使)、長澤鼎(カルフォルニア・ワイン王)などが、この留学生から輩出した。ウイリアムソンの化学
の系譜は、ホッフマンやアトキンソンらの海外教授の招聘に繋がり、桜井錠二(化学者、帝国大学理科大学長)、長井長義(初代薬学会会頭)等その後の留学生の活動を経て、日本の有機化学を定着・発展させた。しかし、日本の医学(ドイツ系)と薬学
(英国系)がいつしか分離したまま現在まで続いている問題点も残された。今回は、攘夷で英国と戦った両藩が、その英国に留学生を送り西洋文明を学び、明治維新につなげた劇的転回の一端を見た。(文責:小野博正)

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