歴史部会『福沢諭吉と夏目漱石―文明開化の光と影』
(講師:泉三郎氏)
2017年10月17日
狭い会場に、講師と講話の魅力もあり26名の参加を得て熱気に満たされた。明治維新で活躍した人々には天保生まれが多い。その一人、福沢諭吉は、常に「坂の上の雲」を見つめて、文明開化の旗手として、光り輝く明治時代をリードし、その成果でもある日露戦争の直前に亡くなる。一方、明治時代を年号そのままに生きた夏目漱石は、明治の第二世代に属し、ロンドンへの留学を経て、現在の我々が感じると同質の、明治の近代化が日本にもたらした影の部分に目を向けて、文学者となった。33年の年齢差があり、世代間格差もある、経歴も全く違う二人を取り上げて、明治時代とはどんな時代だったのかをあぶりだそうという試みである。
諭吉は、ご存知、3回の外遊経験を経て『西洋事情』『学問のすすめ』『文明論之概略』で、明治日本近代の思想界をリードし、啓蒙活動で大活躍をした。慶応義塾を創設し、政治、経済、実業界への多くの人材を輩出・供給した。あくまで文明の進歩を信じ、国の独立が目的で、文明はその手段としつも、独立自尊、智恵と徳義を重んじた。その故か、最初から応援した朝鮮が思うようにいかないのに業を煮やし、脱亜入欧を説いて、日清戦争の勝利に、「愉快」を叫び、「大願成就」と言い切った。
漱石は、明治の整備した教育機関に乗って、一高、東京帝国大学に進み、ロンドンに2年間留学し、神経衰弱気味になって帰国して、一旦大学教授となったが、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』の成功を機会に、朝日新聞社に入社する。そして、新聞小説で、『三四郎』『それから』『門』など立て続けに発表する。そして、日本の開化は、「上滑りの開化」と文明批評を展開する。それは最初の著作の『吾輩は猫である』に早くも現れている。そして、日露戦争の勝利で、自惚れナショナリズムの高まりをみて、『三四郎』の中で広田先生に「日本は亡びるね」と言わせている。そして、『私の個人主義』に行き着くが、西洋から日本回帰して、詩,絵画、音楽、彫刻などこそ、「人の世界を豊かにする」との心境に至る。煩悩を解脱し,清浄界に入り、不同不二の世界にあって、我利私欲を排することで、幸福になれると説く。脱欧入亜(和)と、諭吉と対極の境地に入った。
これも、現在の我々が問われている問題のさきがけでもある。
最後に、参加者から、活発で多彩な意見交換があって、大変有意義なひとときとなった。(文責:小野博正)