I Café Music: 6月部会報告

i-Cafeは、新しいお客様をぜひお迎えしようと、今回西荻窪の
グランドピアノを備えた『響』に移して、DVD『岩倉使節団の米欧回覧』を改めて最初から見ることにしました。
第一部のお話には、久枝譲冶元オマーン大使を迎えて、『広島原爆ドームの世界遺産化をめざして:日米外交秘話』と題して、複雑な外交交渉の苦労話をご披露頂きました。
第二部のミニ・コンサートには、新年会のミュージカル『オペラ座の怪人』で好評を博したソプラノの中澤孝子さんに、『Cats』『West Side Story 』などアメリカのミュージカルを中心に熱唱していただきました。
お陰様で、40人余のお客様に恵まれ、第三部の交流会も大いに盛り上がり、i-Cafe@西荻窪『響』は順調に立ち上がりました。
第2回は9月30日(日)に『アメリカ編Ⅱ』を開催します。
お話は、i-Cafe及び新年会でお馴染みの芳野まいさんに『ファッションと政治』と題して、
ジャクリーヌ・ケネディのケースなどをお話しいただきます。
また、ミニコンサートでは第一回に引き続き中澤孝子さんに『エビータ』など
ミュージカルの名曲をご披露いただきます。
ご期待ください。
講演要旨

広島原爆ドームの世界遺産登録を目指して 日米外交秘話

(2018年6月17日、米欧亜回覧の会における講演要旨)
原爆ドームは、1996年12月、メキシコのメリダ市で開かれた世界遺産委員会において、世界遺産リストヘの登録が決定された。世間では余り知られていないが、登録実現のために舞台裏で行われた交渉は困難を極めた。困難であった理由は、第一に原爆ドームに対する日本国民と諸外国の認識のギャップ、第二に日米関係、第三に日中関係である。

第一の日本と諸外国の認識のギャップであるが、原爆ドームの世界遺産化は、日本の多くの関係者にとって長年の課題であり、1992年の世界遺産条約加入後は、官民挙げての大運動となったが、世界遺産委員会においては、原爆ドームのような「歴史上の負の遺産」は、政治的案件として、余り歓迎されない雰囲気があった。

「負の遺産」が世界遺産となった先例としては、アウシュビッツ強制収容所があり、この先例は日本政府を勇気づけたが、世界遺産委員会は、むしろ1979年にアウシュビッツが審議された際の苦い記憶が残っていたため、消極的であった。
世界遺産委員会は、世界遺産条約の加盟(14か国)以上の賛成によって決定されるが、実際には、過去殆どすべての決定が、俗にいうコンセンサス方式(無投票で)決定されてきた。すなわち、もし1か国でも反対すると投票に付されることになる。

原爆ドームのような戦争に関わる案件では、審議が政治問題化して投票に付される可能性が十分にあり、それを嫌う国々の圧力で日本が推薦取り下げを事実上強いられる可能性があった。そのような中で、日本は、メリダの世界遺産委員会に向けて1年以上にわたって、メンバー国に個別に根回しを行った。そうした外交交渉は、全て秘密裏に行われるので、一般に知られることはない。
大多数のメンバー国は、支持を約束してくれたが、それはあくまでも決定が無投票で行われるという前提での話だったと自分は理解している。

第二の日米関係の側面であるが、米国は、日本に対し、早い段階で反対の立場を内々に伝えて来た。米国内には、原爆ドームの世界遺産化を快く思わない勢力が健在で、米国政府が日本の主張を黙って見過ごせば、国内的に強い批判にさらされるおそれがあると考えるのも当然であった。
日米両国は、強固な同盟関係で結ばれているが、両国間においてすら、なお、原爆投下の歴史的評価は、最もデリケートな問題である。原爆の歴史的評価にかかわるような問題は、両国政府間の話し合いで一朝一夕に折り合いがつくような問題ではなく、世界遺産委員会のような公の場で議論が始まれば、日米両国政府は自国の世論を意識して強硬な発言に終始せざるを得ず、解決の糸口がなくなる。日本として得るものは何ひとつない。

そのような状況の下で、自分が担当課長として密かに懸念した最悪のシナリオは、原爆ドームの世界遺産リストへの記載が実現に至らず、かつ、そのような結果が米国の反対によってもたらされたという構図が日本国民の目に明らかになるという事態である。もしそうなれば、日本政府のこれまでの取組方が国内的に強い批判に晒されるのみならず、反米感情も高まり、日米関係上も甚大な影響が出て来よう。

日米両国政府は、そのような懸念を共有し、本件が公の場での論争にならないよう細心の注意を払いつつ、双方にとって受入れ得る解決の方途を秘密裏に模索した。
自分は、メリダ会議に先立つ2週間前、米国に出張し、国務省日本部長に対し、上記のような最悪のシナリオを避ける観点から、本件に対し米国が最大限に配慮するよう要請した。本件は、その日のうちにトップのシュルツ国務長官に上がったと聞いている。

そのような経緯を経て、メリダにおける世界遺産委員会での審議の直前、日米間では、世界遺産委員会は、本件について相互に相手国の立場に十分配慮しつつ、同時に、会議が紛糾しないような形で本件が決着するよう工夫することで合意がまとまった。日本は、上記を前提に、議長国を含む全てのメンバー国に綿密に根回しを行い、会議の最終日を迎えた。

第三の日中関係についてであるが、メリダ会議の最終日、中国代表団から日本代表団に対し、中国は会議において留保の立場を表明するとの連絡があった。
日本代表団は、中国代表団の説得を試みると同時に、中国が留保を付した場合にも原爆ドームの世界遺産化がすんなりと決定されるよう、改めて全ての関係国に根回しを行った。
会議において、中国は、「先の戦争において最大数の犠牲者を出したのは、日本による侵略を受けた国である。原爆ドームの世界遺産リストへの登録を認めることは、その事実を覆い隠そうとする試みを助長することになる。」との理由で、留保を付した。

続いて議長が、広島原爆ドームを世界遺産リストに記載することが決定された旨を宣言し、引き続き、米国代表団が「国は、戦争遺産をリストに掲載することには反対であるので、コンセンサスに参加しなかった」と述べ、会議が終了した。
日本のメディアの論調は、おおむね祝賀ムードで、中国、米国の態度についても比較的穏やかだった。 

自分は、長い外交官生活の中で、広島には随分関わって来たが、駐オマーン大使として在任中の2014年11月、「平和都市・広島」と題する写真展を開催した。これは、原爆そのものよりも、被爆から復興し、核のない平和な世界を希求する広島の平和都市、国際都市、観光都市としての歩みに焦点を当てたもので、オマーン政府及び広島市から最大限の支援を得て、成功裏に実施することができた

皆様には是非、機会をみて広島原爆ドーム、或いは平和記念資料館を訪ね、今日の自分の話の一端なりとも思い出して頂き、平和を願う広島の思いに心を寄せて頂けたら、幸いである。(了)

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