実記を読む会:3月部会報告

2017年3月24日
第26巻及び27巻 リヴァプール府(市)の記

はじめに英国回覧の日程を通覧。使節団は明治5年7月13日リヴァプールからロンドン入り後、11月15日ロンドンを発つまで実に122日間、英国に滞在する。主要な12都市を巡り、政治社会制度を含め、産業、工業を中心に英国の国力の基盤を具に視察し記述する。

リヴァプールは当時、英国第二の都会であり、国際貿易港としてアメリカの繁栄とともに栄え港の賑わいは世界一と見た。ドック(船渠・港湾)は約10キロに及び、中には道路が走り、鉄道まで敷かれている。リヴァプールから食糧と製造原料が各州に輸送のうえ加工され、各州の工業製品がリヴァプールから積み出されその利益により富が蓄積されると英国経済の仕組みを解明。しかしリヴァプールが17世紀から18世紀にかけてアフリカの黒人奴隷を新大陸のアメリカに商品として売る「三角貿易」の拠点であったことには触れていない。現在は「海商都市」として世界遺産に登録され使節団が見学した施設が現在も残る。久米は晩年(90才)の『回顧録』で父親と佐賀藩の長崎水門を見学したことを回想し、リヴァプールの水門との構造的差異を深く印象づけられたと記す。さらに商品取引所、6階建て穀物倉庫とバケットコンベア、乾ドック機能と大型クレーン、造船所、商船学校、汽車製造会社等を見学。特に造船所では船全体の構造を設計部で定め、製図が大切であること、製図を人体の脳にたとえ工業の基本であると久米は理解した。製品をつくるときは、計画開発段階に総経費の二分の一位を投ずる周到さが必要だと記す。日本人に深く考えることを嫌う傾向のあるとの指摘は今日でも改めて傾聴に値するように思われた。

報告ではそのほか、リーズ・リヴァプール間の運河が1774年に全長204キロ、英最長の水路が造られたことに加え、現在のイギリスの内陸水路網と併せてボートにより運河水路で過ごす大型観光モデルを紹介した。

今回、リヴァプールに因みビートルズをCDにより17曲、英和対訳歌詞コピー付きソニー・オーディオで聴く時間を初めてとり、幸い好評でした。      (大森東亜)

 

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