「米欧回覧実記輪読会」カテゴリーアーカイブ

実記輪読会:7月度部会報告「第二十巻「ボストン」市」

日時:令和元年7月10日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F A
ナヴィゲーター:富田兼任氏
内容
6月28日朝5時半ロードアイランド州プロビデンス港に着き北送し8時ボストンに到着、市内巡覧。学校見学、消防馬車の馬がよく調教されているのに感嘆。夜180人集まり享宴を受ける。サンフランシスコ以来の大盛会と記す。

6月29日北70㎞にあるローレンスに行き、綿花紡績工場見学。

7月1日水道貯水池を見た後、ブルックス氏邸宅を訪問、帰途オーロラを見る。

7月2日木戸・伊藤組は西方50kmハドソンタウン、大久保・山口組はローレンスに行き、それぞれ工場視察、昼食接待を受ける。

7月3日ボストンから英国に向け出港、13日アイルランドに達する。

この巻にあるボストン・シカゴの大火について、ボストンは1872年11月に発生し半日間、シカゴは1871年10月に2日間燃えた。焼失面積はボストンが26ha、シカゴは800haに及び、シカゴの大火は19世紀アメリカ最大の災害と言われている。

ブルックス氏とは紳士衣料のブルックスブラザーズ経営者エドワード・ブルックス氏を指すと考えられる。キューナードは、英国の有名な船会社だが、設立は1839年で英国政府の郵船輸送契約を結んだことから「Royal Mail Ship」と冠した。現在は米国「カーニバル」社傘下となっている。

富田命保日記によれば、6月28日田中(光顕)、杉山(一成)氏とニューヨークより汽車にてボストンに着いたとあり本体とは別行動で陸路入った。なお、吉雄辰太郎(永昌?)氏は紙幣製造管理という役目を命ぜられニューヨークに滞在することとなり、6月29日田中(光顕)理事官随行の役を解かれたとある。岩波本p337校注に「団員名簿から吉雄永昌は欠落している」との記述は、このことと関係しているのかもしれない。

(冨田兼任記)

 

実記輪読会:6月部会報告「第19巻 新約克府ノ記」

日時:令和元年6月12日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F セミナールームA
内容:「第19巻 新約克府ノ記」
ナビゲーター:吉原重和

要約/特記事項
・明治5年(1872年)
526日 アスター図書館、聖書協会、YMCA、障害児の病院、シュワルト氏の商店、トリビューン新聞、NY私立大学を訪問
527日 フランクリン氏の商店、ハーパース・ウイークリー社訪問。午後フェリーにてロードアイランド州に向かう。牡蠣がもたらす利益について触れている。久米は聖書協会とYMCAの訪問のあとに彼の「宗教論」を述べているのは注目される。

訪問した場所の詳細
アスター図書館
アスター図書館およびレノックス図書館が統合され1895年にニューヨーク公共図書館と成った、正面玄関前に設置されている2つのライオン像は母体となった2つの図書館の名を受け継いで各々“Astor”および“Lenox”の名を有する。創立者の JohnJacobAstor1763-1848)ハイデルベルグ近郊で生まれ、NYで毛皮及び不動産で成功した。現在の建物にはアスター「忍耐」の名を持つライオンは正面階段向かって左の南側に、レノックス「不屈」の名を持つライオンは反対の北側、正面向かって右側にいる。

アメリカ聖書協会
1816
年に設立、聖書の翻訳・出版・配布を行う団体である。アメリカンボードの宣教師として中国に派遣されたブリッジマン博士の漢訳聖書事業を支援した。岩倉使節団が訪問した時 当時の世界中で 30 の国語に訳された聖書があった。漢訳の聖書を各人にプレゼント。米欧の人々の多数が聖書を読んで心を養っていることを知らされたことが記録されている。その後5回に渡り移転し、来年はフィラデルフィアに移転。

YMCA

Alexander Turney Stewart
アイルランド出身の実業家
1846年にMarble PalaceをBroadwayに造った。その後1862年に鉄製のIron Palaceを建築した。1860年代で最も裕福な実業家だった。

The New York Tribune
ホレス・グリーリーHorace Greeley1811-1872)は自由共和党の創設者、社会改革者、政治家である。ニューヨーク・トリビューン紙は1840年代から1870年代にアメリカで最も影響力のある新聞であり、当時の最も偉大な編集者としてのグリーリーの評判を確立した。

Western Union
Hiram W. Sibley Western  Unionの共同創立者で初代社長
Samuel Finley Breese Morse 画家でありモールスコードの発明者Ezra Cornell       1851年にロチェスターでWestern Union を創立した、Cornell大学の共同創立者でもある。

City University of New York
タウンゼント・ハリスが学長だった。
Haper’s Weekly
共和党寄りの政治週刊誌
Blackwell Hospital
イーストリバーの島に設けられた精神病院

以上の諸施設を訪問した。

 

実記輪読会:5月部会報告 第十八巻『費拉特費府ノ記』

日時:5月8日(水)13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4FセミナールームA
内容:第18巻『費拉特費府ノ記』
ナヴィゲーター:岩崎洋三

第18巻『費拉特費府ノ記』を、輪番で音読し、ナヴィゲーター役岩崎が、多くの写真や地図を盛り込んだ22コマのパワ―ポイントを使って、使節団訪問時の風景を再現しながら解説した。

使節団は、長引いた米国での条約改正交渉に見切りをつけて、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン経由、次の訪問国英国を目指すことを決断し、ワシントンを去るが、本章は、その途上2泊3日でフィラデルフィアに立ち寄った記録。

ワシントンから使節団に同行したワシントンDC知事Henry Cookeが、フィラデルフィア近郊の同氏の実兄で金融家のJay Cookeの豪邸”Ogontz”に案内し、使節団はそこに2泊した。

フィラデルフィアは、独立宣言が調印され、当初アメリカの首都だったことから、使節団は議事堂や造幣寮等を見学して多くを学んでいるが、金融家で独立戦争の北軍軍資金調達を一手に引き受けて勝利に貢献したJay Cookeの『大小ノ画額各房ニ充ツ』50室を超える広壮な邸宅で、同氏から西海岸とミネソタ州を繋ぐ4000マイルに及ぶ鉄道開発や、スペリオル湖の港町ドゥルースを第二のシカゴにして、セントローレンス川経由大西洋に至る3700マイルにも及ぶ水運を繋げて両大洋を結ぼうとの巨大構想を聞いて感銘している。

後日談だが、欧州における普仏戦争終結後のインフレと、アメリカの鉄道等の過剰投資から1873年恐慌が勃発し、Jay Cookeの銀行は倒産、Ogontzは100人規模の女学校になった。(岩崎記)

実記輪読会:3月度部会報告「第16巻 北部巡覧の記 下」

日時:2019.3.13 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
明治5年(1872年6月15日)
・5月10日 ナイアガラのホテルを出発、オンタリオ湖に沿って来た線路を戻る。10時にロチェスターを通過、シラキュースを経てサラトガの「グランドユニオンハウス」着

・5月11日 サラトガ湖を廻り山上で休憩、その後車で薬泉に行く。

・5月12日 サラトガを出発、ボストンに向かい夜8時にボストン着

・5月13日 ボストン市内回覧、2時から太平楽会に赴く。

・5月14日 ボストン港を船で回覧、2時から再度太平楽会に赴く。

・5月15日 ボストンを9時に発ち昼にスプリングフィールド着、小銃製造場に至る。夜12時にNYCへ帰着。

・5月16日 セントラルパーク回覧、夜9時過ぎの汽車でワシントンへ戻る。

画像資料はこちらをクリックして下さい。

吉原記

 

 

 

実記輪読会:2月度部会報告「第15章 北部巡覧の記 中」

日時:2019.2.13 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
・明治558日(1872613日)
ウエストポイントを発ちコロンビヤ号に乗車してハドソン河沿いに北上。

NY州の州府オルバニー着、シラキュースを経て午後11時にナイアガラ村のインターナショナルホテルに着いた。 

59
ナイアガラ回覧。アメリカ滝からゴード島に至る。
カナダ滝近くの博物館見学。エジプトのミイラ(ラムセス一世)見学
夕方フィルモア元大統領をホテルに招き夕食会を催した。

画像資料はこちらをクリックして下さい。

吉原記

 

 

実記輪読会:1月部会報告「第14章 北部巡覧の記 上」

日時:2019.1.9 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
・明治5年5月4日(1872年6月9日)
議事堂北の駅(Union station)から寝台車2両で出発した。
米国政府の招待旅行だったので案内役のマイヤース夫妻と娘、
上院議員のバンクス夫妻と娘が同行。森弁務使と書記生も途中まで随行。

・5月5日 薄晴 ニューブランズイックで夜が明けた。
エリザベス駅で朝食 その後ニューアーク市を通過し6時45分にジャージーシティー駅着。
ハドソン河口のフェリーで対岸のマンハッタンに渡りウエストワシントンの第16番桟橋に着く。(世界貿易センタービルの近く)

その後7時にブロードウェイのセントニコラスホテルに入った。(1000室もある大ホテル)
バッテリー地区からブロードウエーの喧騒に驚きながら市場の様子を見た。
午後3時からセントラルパークを回覧し、夜8時にブロードウェイの劇場に行った。

・5月6日 イーストリバー河口から蒸気船でウエストポイントへ
向かった。
午後4時に学校に到着した。ガトリング砲を見た。

・5月7日 学校見学で生徒の教練、軽砲隊の試験を見た。その後
花火を見てその壮観に驚いた。10時に宿に戻った。
彼等はウェストポイントの墓地も見た。

配布資料はここをクリックして下さい。

以上

 

 

実記輪読会:12月部会報告「第十三巻「ワシントン」市ノ記 下」

日時:2018.12.19  13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F セミナールームA
内容:第十三巻「ワシントン」市ノ記 下

3月23日中央郵便局、農事試験場、27日アナポリス海軍兵学校、4月24日アーリントン国立墓地で慰霊祭(メモリアルデー)に参加、観衆4万人、5月1日精神病院視察。5月3日フィッシュ国務長官と8回目の条約改正予備交渉会談、米側より改正案文を手交される。この時期、ワシントンは猛暑だったようで5月4日(旧暦、実際は6月上旬)は気温32度との記述。

農事試験場はスミソニアン協会の北に位置し元々はパテントオフィスの付属機関、の記述からすると、(11月例会報告で記した)ザ・モール【国会議事堂前の、大統領宣誓式の際群集が集まる広大な広場】に中にあったと推察される。実記は、5月4日の記載が「当府ヲ・・」と中途半端で終わっているが、この日夜9時にワシントンを出発し翌日5日朝6時にニューヨーク対岸の「ジャージーシティ」に到着している。

アーリントン国立墓地はケネディ大統領を始めとする著名人や無名戦士等の墓がある。故ケネディ大統領の墓は正面を上がった丘の中腹にあり、東の方角を見るとケネディ大統領の棺を乗せた馬車が静々と進んで来たアーリントン・メモリアル橋が見える。大統領の隣にはジャクリーン夫人が眠っている。

なお、富田命保日記によれば、4月6日は杉山・福井・吉雄氏と共に宿舎のホテルを離れ宿の主人ベネット氏宅に移った。4月28日には福地氏とニューヨークに向かい、当地で国債発行のためロンドンに向かう吉田太郎(清成)、大鳥圭介と会っている。5月2日にワシントンに帰ったとあり事前に下見に訪れたということか?(冨田兼任記)

 

 

米欧回覧実記輪読会11月部会報告:第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

日時:2018年11月14日(水)13.10-15.00
場所:日比谷図書文化館セミナールーム
第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

2月25日パテントオフィス(特許庁)、26日印刷局、3月10日スミソニアン協会視察。スミソニアン協会は1846年英国人科学者ジェームズ・スミソニアンが資金を寄贈し設立された、現在では19ある博物館・美術館・国立博物館からなる世界最大の博物館群で1億3650万点の文化遺産や標本を所蔵する。キャピタル(国会議事堂)とワシントンモニュメントを東西に結ぶ広大な広場(モール)の両側に博物館・美術館が立ち並ぶ。現在では、特に航空宇宙博物館の人気が高く、ライト兄弟が最初に空を飛んだ飛行機、リンドバーグの大西洋横断飛行機、月面に最初に降りたアポロ11号宇宙船(カプセル)の実物等が展示されている。

3月13日市の招待でポトマック川を下りマウントバーノンに赴いた。船中では奏楽、饗応を受け、気候も良く船上から川の両側に咲く花梅桃桜李を愛で楽しい時を過ごした。マウントバーノンは初代大統領ワシントンが異母兄の未亡人より譲り受けた広大な敷地(プランテーション)に旧宅の他、農場、納屋、鍛冶屋等があり、ワシントン大統領とマーサ夫人の墓廟もある。旧宅・墓廟は銅版画を見る限り現在の姿とほぼ同じである。3月16日ジョージタウン(ワシントン市西部にある住環境の良い地区、因みにジョージタウン大学は河野外務大臣の母校)の天文台、17日財務省(ホワイトハウス東隣)、20日海軍造船所を視察。

富田命保日記によれば、2月25日は杉山・福井・吉雄氏と共にアーリントン墓地に行ったとある。本体(実記ではではパテントオフィス視察)とは離れ別行動をしていたようだ。片や3月13日は海軍所よりポトマック川を下りマウントバーノンに行き夕刻6時に帰館とあり同一行動であったことが分かる。一行は様々な行動形態を取っていたようで興味深い。(冨田兼任記)

米欧回覧実記輪読会:10月部会報告

日時:2018年10月10日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム

「第十一巻「ワシントン」市ノ記 上」

使節団は1月21日ワシントンに到着、アーリントンホテルに投宿。大統領夫人から歓迎の花束が届いていて感激する。ホテルはホワイトハウスの北側ラファイエットパークから北北東に伸びるヴァーモントアベニューにあった。【実記の、ホワイトハウスは公園一つ隔てた(ホテルの)西隣、の記載は正確ではない。方角的にはホワイトハウスはホテルから見ると南側になる】また、通りを隔てたジョンソンハウスを事務所として使ってよいと米国側が便宜を図ってくれる。

1月25日ホワイトハウスでグラント大統領に謁見。大使・副使は衣冠、5人の書記官は直垂、皆帯剣し、大使が天皇の国書を大統領に手交した。27日キャピタル(国会議事堂)訪問。下院において議長と大使がスピーチ交換の後、中央ドーム下部(ロトンダ)を見学、コロンブス上陸・ワシントン大統領選出・独立宣言起草等十枚の絵画を見る。2月3日国務省で第1回条約改正交渉会議開催、しかし、国家元首の委任状なしでは交渉できない、と指摘を受ける。このため、2月12、13日と大久保副使、伊藤副使が相次いで委任状を取りに帰国の途に就く。2月17日廃兵院を訪問、2月24日米側が正副大統領、各省長官臨席の下招宴を開く。

なお、輪読会では現地で撮影したキャピタル内部(ロトンダ等)、(上述の“西隣”を頼ったため)誤認したホテルの最上階から財務省越しに見たホワイトハウス等現地の様子を写真で紹介した。

吉原氏より米欧回覧実記に加え当時の新聞記事、大使信報そして木戸日記の記載も含めて、日付を縦軸、各日記の記述を横軸とした比較表が提示された。今後これら史料に富田命保日記も含めてこの比較表に記載してゆくことで、多面的に使節団の行動の記録を把握できることが期待される。なお、この時期富田命保日記によれば、1月28日、29日は旅費の精算、とりわけ官費で賄っていた同行學生の私費分の精算を含め手数を費やして旅費精算に従事したとある。

富田記

 

米欧回覧実記輪読会:9月部会報告

9月5日(水)
13.10-14.50
第10巻「コロンビヤ」県の総説  pp.193~203
ナヴィゲーター:冨田兼任氏

華盛頓(ワシントンDC:コロンビヤ県)は北緯38度53分39秒、西経77度2分48秒に地に位置し、山形県酒田市とほぼ同じ緯度である。連邦政府の首都としてメリーランド州とバージニア州に跨る地に北を頂点とする10マイル四方のダイアモンド形として形成され、その後1847年にポトマック河西岸部はバージニア州に返還された。面積上は使節団訪問時に現在のワシントンDCが形成されていたことになる。

使節団は、キャピタル(国会議事堂)、大統領館(ホワイトハウス)、財務省、陸軍省、国務省、中央郵便局、パテントオフィス、農務省、スミソニアン協会、コロンビヤ学校、海軍省、ジョージタウンの天文台、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、マウントバーノン(ワシントン大統領旧宅)等を訪問、見学する。「実記」図版、最新地図と見較べると、位置が変わっていると推測されるものもあるが、多くのものが使節団訪問時に現存の建造物が存在していたことが分かる。見学の詳細は後続11-13巻で説明される。(冨田兼任記)

輪読会報告終了後、富田氏は先祖で岩倉使節団に参加した租税権大属富田命保の随行日記原本を披露した。
会計担当だった富田命保の日記は、和紙に毛筆で丹念に記録された立派なもので、ぜひ米欧回覧実記の記述と比較検討して行こう云うことになった。実記輪読会が予想外の展開となり、今後が大変楽しみになった。

(岩崎洋三記)

米欧回覧実記輪読会:4月部会報告

2018年4月11日(水)
時間:13時10分~14時50分
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

範囲:第6巻ネヴァダ州、及び「ユタ」部鉄道の記pp.134~145
第7巻ロッキー山鉄道の記pp.146~164

ナヴィゲーター:岩崎洋三氏

輪番で音読しながら、和やかに議論した、参加者はナヴィゲーター以外は全員女性で女子大セミナーの雰囲気でした。
(岩崎記)

米欧回覧実記輪読会:12月部会報告『第三巻 サンフランシスコの記 上』

2017年12月20日
場所:日比谷図書文化館
参加者9名

1871年12月6日サンフランシスコに到着。金門から湾内を望む風景描写に23日ぶりの山水の眺望とあって喜びが滲む。使節到着が祝砲で迎えられる。ブルックス日本領事手配の宿舎グランド・ホテルの豪華さに驚嘆するのは、10年前の新見遣米使
節団や咸臨丸と同じだが久米は、幕府使節には一切触れない。 続きを読む 米欧回覧実記輪読会:12月部会報告『第三巻 サンフランシスコの記 上』

実記を読む会:4月部会報告

2017年4月28日
場所:国際文化会館
英国編 第28巻 漫識特府(マンチェスター)の巻上・下

今回は参加者全員で、久米実記原文を交互に輪読する。

1872年9月2日、1830年に英国で最初に敷かれた鉄道線で、リバプール市を発ち、英国第三の都市マンチェスター市に向かい、ランカシャ―のセントヘレン村にあるガラス製造工場を見学する。

久米はここで、7頁にわたり延々と、ガラス製造工程や、原材料、触媒、そして自分の所見を含めて詳細を極めた描写を展開する。日本の陶器に対し、英国ではガラスを多用し、陶器はむしろ貴重品であると述べる。久米の故郷は有田焼の産地で、その製造過程に通じている故、似たような工程のガラスに興味津々。見学を終え、再び汽車で、マンチェスターへ。駅で市長らの出迎えを受けて、クインズホテルに投宿。夜、芝居に招待される。3日は、主産業の紡績工場を見学する。綿紡績でマンチェスターは大都市に成長したが、8,9年前のアメリカ南北戦争時には、綿花がアメリカから入らず、工場閉鎖と、失業に見舞われたと米国の奴隷廃止の影響がここにまで及んでいた。綿花の代替地がインドであった。次に、フィットウオール社の製鉄場を見学。1837年より、鋼、鉄、大砲、砲弾,砲車、輪台、各種機械、鋳物を生産する。各製造工程をここでも精述する。部品の規格化が産業革命にとって重要と知る。裁判所、牢獄を見学。会員の遠藤さんのご先祖が、海外留学後、日本の監獄整備に携わったと知る。4日、日曜日で、店舗も閉まり、休日を公園や近郊散策に費やす。

5日、禁酒禁煙のテンペレント協会の方が来る。ここで久米は、東洋の男子、酒豪を競い、淫欲を風流とし、女子の煙で媚悦する風を戒めている。次の更紗工場では、触媒に牛羊の糞汁を用いるのに感心する。再び、紡績工場を見学して、精密なる工程描写に費やす。久米の得意技である。この日、幹事:小坂田氏より、英国BREXITに関する資料を提供される。(文責:小野)