「活動内容」カテゴリーアーカイブ

部会、催しの報告(非会員用抜粋)
旧「部会/催し 報告」

実記輪読会:3月度部会報告「第16巻 北部巡覧の記 下」

日時:2019.3.13 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
明治5年(1872年6月15日)
・5月10日 ナイアガラのホテルを出発、オンタリオ湖に沿って来た線路を戻る。10時にロチェスターを通過、シラキュースを経てサラトガの「グランドユニオンハウス」着

・5月11日 サラトガ湖を廻り山上で休憩、その後車で薬泉に行く。

・5月12日 サラトガを出発、ボストンに向かい夜8時にボストン着

・5月13日 ボストン市内回覧、2時から太平楽会に赴く。

・5月14日 ボストン港を船で回覧、2時から再度太平楽会に赴く。

・5月15日 ボストンを9時に発ち昼にスプリングフィールド着、小銃製造場に至る。夜12時にNYCへ帰着。

・5月16日 セントラルパーク回覧、夜9時過ぎの汽車でワシントンへ戻る。

画像資料はこちらをクリックして下さい。

吉原記

 

 

 

i-Café≪大仏次郎『天皇の世紀』を見る会≫終了報告

『天皇の世紀』は朝日新聞が明治100年に因んで昭和42年に連載をスタートさせた大仏次郎の「史実と信ぜられるものに従い、克明すぎると自分でも見るくらいに、事実のブロックを積み重ねて行って、それがどんな意味を物語っているかを書き綴った」長編で、後に朝日放送で13話の連続1時間物テレビ映画として放送されました。

『見る会』は、明治150年の年に、この『天皇の世紀』13話を7回連続で見ながら、明治維新や岩倉使節団の意義を改めて考えようと昨年7月シェア奥沢でスタートしました。
2回目以降は会場を日比谷図書文化館4階のセミナールームに移し、本年2月の7回目をもって無事終了しました。

1時間物のテレビ映画と言う限界は当然あるものの、映像の迫力は絶大で、文字通り生きた歴史を学べました。毎回丹念な説明で理解を促進してくださったナヴィゲーターのみなさんに心から感謝申し上げます。

それにしても、大佛次郎が筆半ばで倒れ『天皇の世紀』を完結できなかったことが心残りです。(岩崎記)

     
開催日・場所 タイトル(各巻48分) ナヴィゲーター
1 7月22日(日)       @シェア奥沢 第一話 『黒船渡来』~太平の眠りを覚ます4隻の黒船    

第二話 『野火』  ~変革の種を蒔いた吉田松陰

半澤健市氏
2 8月21日(火)       @日比谷 第三話 『先覚』~砲術開祖・高島秋帆の執念       

第四話 『地熱』~日米修好通商条約締結の波紋

岩崎洋三氏
3 10月5日(金)       @日比谷 第五話 『大獄』~安政の大弾圧と桜田門外の変        第六話 『異国』~咸臨丸による太平洋横断の船旅 小野博正氏
4 11月13日(火)      @日比谷 第七話 『黒い風』~相次いで起こるテロリズムの嵐        第八話 『降嫁』~公武合体に暗躍する人々 芳野健二氏
5 12月11日(火)      @日比谷 第九話 『急流』~寺田屋事件の裏で起きた悲劇        第十話 『攘夷』~生麦村で白昼起きた異人斬り 芳野健二氏
6 1月17日(木)      @日比谷 第十一話 『決起』~奇才・高杉晋作の短すぎた生涯        第十二話 『義兵』~土佐勤皇党の斃れた志士たち 小野博正氏
7 2月21日(木)

@日比谷(最終)

第十三話 『壊滅』~時流に乗り遅れた天狗党の悲劇 塚本弘氏

 

歴史部会:2月度部会報告『もう一つの明治維新はあり得たのか―徳川慶喜を素材として』

日時:2019.2.26 13:30~14:30
場所:国際文化会館 404号室
参加者:16名
プレゼンター:小野博正(歴史部会幹事)

昨年のNHK大河ドラマ『西郷どん』の徳川慶喜の悪役ぶりに義憤を覚え、慶喜の名誉挽回にと、雄藩による明治維新でなかったら、どんな明治の道があったかを考えてみた。保阪正康氏によれば、4つの可能性があった。①帝国主義的国家(これが大日本帝国憲法となった現実の歴史)②帝国主義的道義国家③自由民権国家④連邦制国家である。

明治新政府が天皇大権の帝国主義国家を選んだのには必然性があった。王政復古で幕府を朝敵にした時から、国民国家の実現には、天皇を中心に置くしか道はなかった。岩倉使節団はアメリカで共和制国家をみたが、これは幕藩体制を思わせる形態と思えたろう。イギリスの立憲君主制は理想的にみえたが、時あたかもヴィクトリア女王の権勢が議会に削がれかけていて、これでは天皇の地位がいつ弱められるかわからない不安があった。

フランスの王政と共和制の揺れ動きは不安定だ。一方普仏戦争でフランスを破ったドイツは、ビスマルクとモルトケを従えて、ヴィルヘルム一世皇帝の遅れてきた帝国主義国家は産業革命にも成功して盤石であった。明治6年と明治14年の二つの政変を経て、ドイツ模倣国家への道は確定した。士族の反乱などを恐れて、讒謗律、集会条例、保安条例などで自由民権運動の広がりを徹底的につぶしたので、自由民権国家はあり得ない。

帝国主義的道義国家は、明治天皇がイギリスの立憲君主制に一時期共感していたので可能性はあったがこれも日の目を見ることはなかった。残る、連邦制共和国国家は、江戸幕府がそのまま近代化に進んだとき、その可能性が高かった。大政奉還のとき、慶喜は選挙による雄藩とその家臣による二院制議会と、大統領制を頭において西周や津田真道らに検討させていた。これが実現していたら、緩やかな近代化もあり得た。

最後に、慶喜である。味方になるべき四侯会議で、四侯を大バカ者呼ばわりして敵に回し、思想的倒幕派であった勝海舟を、幕府最後の終幕に起用したのはなぜか。慶喜自身が、倒幕(終幕)を当初から考えていたとすれば、すべてが腑に落ちる。彼は側近に、300年の幕府もあと一年も持つまいと語っており、旗本が戦うことを忘れて居ることを嘆いていた。将軍職辞退も恐らく本気だったのではないか。何せ、水戸家家訓は、将軍家に弓を引いても、朝廷には弓を引くなである。彼の血には、武士と公卿の血が流れている。徹底恭順して、明治になってからも、全く政治を語らず、己を語らず。只ひたすらに趣味の世界に没頭したのは、無言のうちに、そのことを語ってはいまいか。これは歴史専門家が決して語らぬ見方である。(文責:小野博正)

I-Café-Music:1月開催報告『ネットワークという未来』

第32回i-Café-musicは1月13日(日)14.00-17.00
西荻窪のスタジオ&ギャラリー『響』にて開催された。

第一部「映像とお話」

ご出席の中にプリンストン大学名誉教授マーティン・コルカット先生がいらっしゃったので、急遽映像に代えて岩倉使節団のアメリカ訪問を短時間語っていただいた。次いで、朝日新聞OB服部桂さんに『ネットワークという未来』と題してご講演いただいた。

服部さんはインターネット以前の社会でのメッセージ伝達の進化、インターネット誕生してからの50年、インターネット以後の世界にまたがる長いレンジでのメディアの進化とパースペクティヴを、58コマのパワーポイントを駆使して分かり易く説いて下さった。

早稲田大学工学部のご出身の服部さんは、1978年に朝日新聞に入社し、Asahiパソコンの立ち上げやインターネット記事連載に関わる一方、その世界では有名なMITのメディア・ラボに特別研究員として3年間身を置いた方で、インターネットを語るに服部さんは最も相応しい方の一人だろう。

1869年に米軍中心に開発されたAPRAネットでインターネットが誕生して50周年だそうだ。同じ年にアポロ11号が宇宙の暗闇に浮かぶ地球の写真を送ってきたが、それを見たスティーヴ・ジョッブスが、世界の人をネットワークで繋いであげようと一念発起し、数年後パソコンを開発、後スマートフォンを世に出してあっという間にインターネットの大衆化を実現した話には感銘を覚えた。

なお、この日は、服部さんの訳書『<インターネット>の次に来るもの~未来を決める12の法則』を読んで服部さんをi-Cafeの講師に推挙してくださった当会お馴染みの仏文学者芳野まいさんが、インタビューワーを買って出て下さり、興味と理解が一段と深まったのは望外の喜びでした。

第二部 ミニ・コンサート

ソプラノ中澤孝子さんが『エビータ』を中心にブロードウェ・ミュージカルの歌を披露して下さった。実は、中澤さんは昨年9月のi-Caféで芳野まいさんのお話「政治とファッション~たとえばジャッキー・ケネディ」に合わせて選曲していただいていたが、直前の台風のため今日まで延期を余儀なくされものだった。
有名な Don’t Cry For Me Argentina などの熱唱に加えて、ペロン大統領夫人として苦労したエビータについての語りにみなさん酔いしれました。i-Café Singers も頑張ってバックコーラスを歌わせていただきました。

第三部交流会

交流会は、インターネット世界を若干でも理解できた喜び、『エビータ』の熱唱に刺激されてか、初めての方々や若い人たちも含めて活発なご発言が続き、今回も大変盛り上がって幕となりました。(岩崎記)

 

 

出版記念講演会『岩倉具視の実像―最新の研究を踏まえて』

日時:2019.2.14  18:30~19:50
場所:日比谷図書文化館4F

『岩倉使節団の群像』出版記念パーティに先立ち、『岩倉具視―幕末維新期の調停者』(日本史リブレット人)の著書のある國學院大學法学部教授・坂本一登氏による記念講演会が、会場満席の60余名の参加者を得て、盛会裡に開催された。下記はその講演要旨である。

岩倉具視の研究は、戦前の徳富蘇峰の維新三傑として『岩倉伝』と、戦後は大久保利謙氏の先行研究があるが、幕末が中心で明治以降の研究は意外に少ない。天皇中心の列強対抗国家を創った人と思われ、人気が薄くなったようだ。

岩倉の人生は、下級公家・堀河家出身で、やはり下級公家の岩倉家養子となり、ペリー来航の1853年に鷹司政通の歌道の弟子となったのが29歳の遅いデビュー(人生五十年時代)。34歳、佐幕派公家に反対する88人列参を主導し、孝明天皇の近習となり、和宮降嫁の行列団長となる早い出世。四奸二嬪の排斥運動による岩倉村蟄居(5年間)の長い隠棲で特徴づけられる。

王政復古の小御所会議当日に、やっと公職復帰した。その会議で慶喜不在に怒る山内容堂を一喝したとの神話があるが、資料に乏しい。明治6年の政変で、岩倉の変節をよく言われるが、若いときの『神州万歳堅策』で、外遊して西洋文明(敵)を知るべきだと述べており、岩倉使節団は彼の本来の考えと言える。岩倉使節団の意義は、旅での共通体験がその後の政権を担う諸士と共通のイメージを得たことが大きい。

西洋化漸進主義と天皇中心国家構想であろう。主役の居ない政府内で、節目節目で調停役としての正しい行動をした人と言える。鉄道インフラの重要性。時代に取り残されかねない、士族や華族への保護制度化に尽力。明治14年の政変に際し、木戸、大久保、西郷亡き後の政権に、伊藤博文を中心に考え、病気で京都に療養中も憲法調査に欧州に送り出した憲法の行く末に心を残しながら、59歳、癌でなくなった。

読み切れないほどの数々の建言書を残した人である。革命の後はそれを維持することが大切で、それに精神誠意腐心した人。

参加者との質問応答では、
①朝鮮半島政策は、井上毅の朝鮮中立化政策に近いこと
②大隈・岩倉の間に使節団派遣に対する確執は特に見当たらないこと
③孝明天皇暗殺嫌疑には、恐らく直接にはなかったこと
④実記に記述の久米の所感は、岩倉の考えをどれだけ反映しているかには、不明と
⑤岩倉具視には、先生の思うよりカリスマ性が高かったはずと信じる等の意見交換があった。

(文責:小野博正)

GJ研究会:2月部会報告「Open Government, Open Data. Open Governance」

日時:2019.2.9  13:30~16:30
場所:国際文化会館 401号室
演題:「Open Government, Open Data. Open Governance」
講師:奥村裕一氏 (東大公共政策大学院教授、元通商産業省官僚)

1)オープンガバメント
近年世界各国でインターネットの双方向性を活用することで積極的な政府・地方自治体の情報公開(オープンデータ)や行政への市民参加を促進する「政府のオープン化(オープンガバメント)」が急速に進展している。講演はオープンガバメントの歴史から始まった。 インターネットの普及を背景に米国のオバマ政権(2009年)の初署名がオープンガバメントのきっかけを作り、その実施について3原則が策定された。

①行政の透明性 ②国民が行政に参加 ③行政と国民が協働

この制度で強調されたことは米国の民主主義の強化と政府の効率性や有効性の向上であり、 このトレンドはこれからの政府と行政のあるべき姿として世界的に受け入れられた。
特にEUや日本でも「オープンガバメント」を積極的に推進している。

2)オープンデータ
行政が持つデータを民間へ積極的に公開する流れが急速に高まっている。 行政が持つデータは個人情報など情報公開法で不開示となっている情報を除き、全て市民と共有する。
これがオープンデータの原則である。 2013年G8サミットで「オープン・データ憲章」が合意された。 オープンデータは世界の潮流になっている。

オープンデータの基本形は
①オープンデータを政府・自治体の標準とする
②データの量と質を改善 ③全ての者に利用可能とする

その目的は、データを公開することは民主主義プロセスの強化であり、民間のデータ活用はイノベーションにつながり、産業育成になる。
日本政府は平成28年度に「官民データ活用推進基本法」を定め、政府及び地方自治は「オープンデータ」に取り組むことが義務づけられた。 この取組により、国民参加官民共同の推進を通じて諸課題の解決、経済の活性化、行政の高度化、効率化などが期待されている。近々、次期国会に向けて「デジタル・ファースト法案」が検討されており、今後デジタル化が急速に進展することが予想される。

3)ポリシーラボのアプローチ
「オープンガバメント」を実現するための新しい政策形成の手法である「ポリシーラボ」が潮流になっている。 英国、デンマーク、米国でこの手法が普及しており、日本も導入を考えている。 行政の政策形成の新しいアプローチで「デザイン思考」と言う新しい手法で課題解決を考える。「デザイン思考」とは人間中心デザインのプロセスを行政サービスの経営に取り入れ、 行政サービスをより人にとって共感を得られるサービスにデザインすることである。ポリシーラボの考え方は日本の地方自治体にも影響を与え、滋賀県は行政運営の政策形成にデザイン思考を活用している。県知事が率先して「県民の本音を起点にした共感に基づく政策形成」を小冊子で発表している。

4)オープンガバナンス
奥村先生が自ら実践している地方自治体がオープンデータを活用し、地域課題を解決するコンテスト「チャレンジオープンガバナンス(COG)」が2016年から毎年開催されている。 全国の地方自治体から市民/学生に解決してほしい地域課題を募集し、デザイン思考やデータ分析を活用して課題を掘り下げ、自分達で解決策に取組むことを基本としている。 2018年度は38自治体から応募があり、今年の3月に最終公開審査と表彰が行われる予定。
過去のコンテストで入賞した色々な解決アイデアが披露され、中でも川崎市の地域全体で子育てを応援する街作り「ファミリーサポートから里親へ」の感動的な課題解決の話は印象に残った。今年も素晴らしい課題解決のアイデアが出ると期待している。
(文責: 小泉勝海)

 

実記輪読会:2月度部会報告「第15章 北部巡覧の記 中」

日時:2019.2.13 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
・明治558日(1872613日)
ウエストポイントを発ちコロンビヤ号に乗車してハドソン河沿いに北上。

NY州の州府オルバニー着、シラキュースを経て午後11時にナイアガラ村のインターナショナルホテルに着いた。 

59
ナイアガラ回覧。アメリカ滝からゴード島に至る。
カナダ滝近くの博物館見学。エジプトのミイラ(ラムセス一世)見学
夕方フィルモア元大統領をホテルに招き夕食会を催した。

画像資料はこちらをクリックして下さい。

吉原記

 

 

英書(ハリス)輪読会:1月部会報告

時:2019.1.9(水)13.10-14.50
所:日比谷図書文化館4階セミナールーム
範囲:pp.513-541(Jan.26-Feb.17,1858)

初代米国総領事ハリスは、着任後1年半近くたってから江戸出府を許され、課題の通商条約締結交渉をやっと始めることが出来た。ハリスは安政4年(1857年)11月江戸に着くと、日本側全権代表井上信濃守(下田奉行)と岩瀬肥後守(御目付)を相手に、通訳のヒュースケンを従えて、翌年1月から2月にかけて14回の談判を重ねて首尾よく成約し、7月神奈川沖のポーハタン号上で調印に漕ぎつける。 

今日の輪読会では、126日の第二回談判から217日の第11回談判までの部分を輪読した。条約談判はハリスが作成した条約草案を、オランダ語を介して日本語訳を作成した上で逐条的に議論される。日本側全権は保守的な諸大名の説得に苦慮していたことから議論が難航した様子が生々しく描かれている。 

開港場数ついては、ハリスが米捕鯨船の便宜も考慮し8港を要求する一方、日本側は3港以上不要と突っぱねたものの、『ここは条約のセバストポール』と踏ん張ったハリスが6港を獲得して決着した。セバストポールはクリミヤ半島の港で、ハリスが日本の港を戦略的に重視していたことがわかる。 

キリスト教礼拝問題では、18561月の日蘭条約で、日本側が出島の建物内での礼拝を認めていたことを事前に調べ、ハリスは外人居留地内での礼拝自由を条約に盛り込むことに成功している。(岩崎洋三記)

 

 

実記輪読会:1月部会報告「第14章 北部巡覧の記 上」

日時:2019.1.9 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
・明治5年5月4日(1872年6月9日)
議事堂北の駅(Union station)から寝台車2両で出発した。
米国政府の招待旅行だったので案内役のマイヤース夫妻と娘、
上院議員のバンクス夫妻と娘が同行。森弁務使と書記生も途中まで随行。

・5月5日 薄晴 ニューブランズイックで夜が明けた。
エリザベス駅で朝食 その後ニューアーク市を通過し6時45分にジャージーシティー駅着。
ハドソン河口のフェリーで対岸のマンハッタンに渡りウエストワシントンの第16番桟橋に着く。(世界貿易センタービルの近く)

その後7時にブロードウェイのセントニコラスホテルに入った。(1000室もある大ホテル)
バッテリー地区からブロードウエーの喧騒に驚きながら市場の様子を見た。
午後3時からセントラルパークを回覧し、夜8時にブロードウェイの劇場に行った。

・5月6日 イーストリバー河口から蒸気船でウエストポイントへ
向かった。
午後4時に学校に到着した。ガトリング砲を見た。

・5月7日 学校見学で生徒の教練、軽砲隊の試験を見た。その後
花火を見てその壮観に驚いた。10時に宿に戻った。
彼等はウェストポイントの墓地も見た。

配布資料はここをクリックして下さい。

以上

 

 

実記輪読会:12月部会報告「第十三巻「ワシントン」市ノ記 下」

日時:2018.12.19  13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F セミナールームA
内容:第十三巻「ワシントン」市ノ記 下

3月23日中央郵便局、農事試験場、27日アナポリス海軍兵学校、4月24日アーリントン国立墓地で慰霊祭(メモリアルデー)に参加、観衆4万人、5月1日精神病院視察。5月3日フィッシュ国務長官と8回目の条約改正予備交渉会談、米側より改正案文を手交される。この時期、ワシントンは猛暑だったようで5月4日(旧暦、実際は6月上旬)は気温32度との記述。

農事試験場はスミソニアン協会の北に位置し元々はパテントオフィスの付属機関、の記述からすると、(11月例会報告で記した)ザ・モール【国会議事堂前の、大統領宣誓式の際群集が集まる広大な広場】に中にあったと推察される。実記は、5月4日の記載が「当府ヲ・・」と中途半端で終わっているが、この日夜9時にワシントンを出発し翌日5日朝6時にニューヨーク対岸の「ジャージーシティ」に到着している。

アーリントン国立墓地はケネディ大統領を始めとする著名人や無名戦士等の墓がある。故ケネディ大統領の墓は正面を上がった丘の中腹にあり、東の方角を見るとケネディ大統領の棺を乗せた馬車が静々と進んで来たアーリントン・メモリアル橋が見える。大統領の隣にはジャクリーン夫人が眠っている。

なお、富田命保日記によれば、4月6日は杉山・福井・吉雄氏と共に宿舎のホテルを離れ宿の主人ベネット氏宅に移った。4月28日には福地氏とニューヨークに向かい、当地で国債発行のためロンドンに向かう吉田太郎(清成)、大鳥圭介と会っている。5月2日にワシントンに帰ったとあり事前に下見に訪れたということか?(冨田兼任記)

 

 

iCafe:11月部会報告「アメリカ編Ⅲ」

日時:2018.11.18 14:00~17:00
場所:西荻窪 スタジオ&ギャラリー「響」
内容:i-Café-musicアメリカ編Ⅲ

第一部映像とお話では、DVD「岩倉使節団の米欧回覧」のボストン訪問部分を見た後、静岡文化芸術大学教授奥中康人先生に『和洋折衷歌謡、苦難の歴史』と題して、明治期の西洋音楽導入の諸問題を語っていただいた。奥中先生には2016年6月、20周年記念シンポジウムのプレ・セミナーで『岩倉使節団と西洋音楽~国家と音楽』をお話いただき大好評だった。再登場の機会を窺っていたが、今回ご多忙の中を浜松からお越しいただけたのは光栄だった。

先生は、『国家と音楽』(2008年サントリー学芸賞)や『和洋折衷音楽史』(2014年)等のご著書を踏まえて、今回は『明治期の唱歌は「日本のうた」の原点ですが、実は、「西洋のメロディ」と「日本語の歌詞」の危ういバランスの上に成立しています。そもそも、西洋のメロディは、日本語と相性が良いとは言えないからです。このような視点から、近代日本の「和洋折衷」スタイルの音楽の歴史 ―― 唱歌からロックまで ―― を振り返りたいと思います。』と前置きして、借用した西洋メロディーに日本語を当てはめることから始まった西洋音楽導入が、滝廉太郎に至って日本語歌詞にマッチした独自の作曲をするまでの苦難の歴史をパワ―ポイントを駆使して明解に語って下さった。

第二部:♪ミニ・コンサート♪では、新年会で『オペラ座の怪人』等を歌って聴衆を魅了した元劇団四季の主役ソプラノ中澤孝子さんに、奥中先生のレクチャーに合わせて『日本に根付いた西洋音楽』と題して、瀧廉太郎の『組曲四季』や庭の千草(The Last Rose of Summer)等を植木園子さんのピアノ伴奏で熱唱して頂いた。
i-CafeSingersも戊辰戦争で歌われた品川弥二郎作詞、大村益次郎作曲と云われる『宮さん宮さん(トンヤレ節)』や日本最初のワルツ『美しき天然』などを披露した。

第三部:交流会では、シカゴ在住の村井智恵会員も参加してくれて、大いに盛り上がった。(岩崎記)

当日のプログラムはこちらから。

 

 

GJ研究会:11月部会報告「多角的貿易体制の直面する問題点」

日時:2018年11月17日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401号室
演題:「多角的貿易体制の直面する問題点」
講師:小田部陽一氏(元在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部
特命全権大使)

要旨: 日本では、日EU EPATPP11、についての明るいニュースがあるが、国際的には、トランプ政権によるアメリカファースト政策により、貿易戦争とも呼ぶべき状況に陥り、WTO(世界貿易機関)も危機に直面している。こうした状況もあり、世界経済見通しも下方修正となっている。
 「強固で持続可能かつ均衡ある成長」実現のため、貿易の役割が大きいことは言うまでもない。戦後、世界貿易については、GATT8回に及ぶラウンド交渉を経て、1995年にはWTOが発足するなど、着実に進展し、加盟国も当初の23から165になった。しかし、先日のAPECの会合に見られる通り、「多角的貿易体制」という言葉を入れることに米国が反対して宣言がまとまらないという異例の事態が生じている。米国の通商拡大法232条による鉄鋼、アルミ製品への追加関税賦課決定、自動車、同部品への追加関税検討、さらには、通商法301条に基づく対中追加関税など、いわば、無法状態ともいうべき状況は大変憂慮される。同時に、中国についても、知財権の取り扱い、国営企業への補助金など、問題が多い。
 WTOについては、その三本柱の各々が挑戦を受けており、改革が必要。まず、貿易自由化については、WTO発足後限られた成果しか無く、また、ドーハラウンド交渉は頓挫。その理由の一つとして、加盟国が多すぎて、コンセンサスが得られない点があり、この解決のため、案件によっては、一部の国の賛成でも合意可能とすること等が議論されている。また、中国等の新興国の負うべき義務という大きな問題がある。第2に、協定履行の監視について、通報制度がきちんと実施されていない点がある。最後に、紛争処理メカニズム である。これが一番深刻である。現在、上級委の7名の委員のうち、在籍は、3名。これは、米国がこれまでの裁決で、同国の関心案件で敗訴することがあったため、委員の再任をブロックしていることによる。来年2人が、改選の時期に当たるため、これが拒否されると、残るのは、委員ただ1人となり、機能不全となる。。
 また、WTOでの交渉が進まない中で多くのFTAができたが(日本も、既に、17件のEPAを締結)している。各々の関係が複雑になり、しばしばスパゲッティ ボールと呼ばれるが、自分は、TPP,EU EPAは、将来の貿易体制の階層となる、いわば、ラザニアとなることを期待している。

かってアンチグローバライゼーションの動きあったが、今は、グローバルサプライチェーンの時代。多角的貿易体制こそ、今後の世界にとっても、日本にとっても、重要。先日、来日のアゼベドWTO事務局長と食事の際、「自由貿易は、空気や水のようなもの、なくなったときに、その貴重さが分かる」と話したところ、その後パリで開かれた第一次世界大戦終結100年記念平和フォーラムのパネル会議で、この言葉を紹介したとのことであった。

その後、米中問題、中国の行方、カショギ氏の殺害、日露関係など幅広い問題につき、活発な質疑応答を行った。
(文責 塚本 弘)

 

英書輪読会(ハリス):11月部会報告

日時:2018年11月14日(水)15:00~17:00
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

テキストの1857年12月7日(月)から12月16日(火)まで、旧暦では安政4年10月21日から10月30日までを読む。

ハリスが下田奉行を通じ幕府の要路者と折衝した結果、来日の主要目的である将軍(家定)と謁見し、アメリカ大統領(ピアス)の信任状(親書)を呈する運びとなる。
米大統領親書により日本に外国との通商と門戸開放を要請する。

謁見は、300有余の大名、高官が居並ぶ前で行われる。大君の右手に堀田備中守と閣老5人、左手には大君の兄弟3人がひれ伏す。ハリスは立って挨拶の口上を述べると、大君はしっかりした口調で「遠境の処、使節を以て書簡差越し、口上の趣、満足せしめ候、猶幾久しく申し通ずべし、此段大統領に宜しく申し述べし」と応答する。

大君の応答のあった後、ハリスは大統領親書を掘田外務相に渡す。親書には「日米の絆を強化し、両国の通商が相互の利益となる条約を結ぶこと、そのため大統領はハリスに全幅の信頼を寄せている」とあり、大統領の自署と国務長官の副署が記されている。

謁見を終えた後、ハリスは堀田外務相に通商問題に関し書簡を出すとともに、堀田備中守を訪ね、ハリスの接待役人同席のもと、幕府の今後の課題について説明する。ハリスは、折しも諸列強は日本を開国させようとしているが、中国とのアヘン戦争など戦争によることなく使節との平和裡での交渉が望ましいとして次の3点を指摘する。即ち、
1)江戸に外国公使を受入れること、
2)幕府の干渉なしに日本人に自由貿易をさせること、
3)開港地を増やすこと。
堀田外務相はハリスの説明を真剣に聞くとともに課題解決には相当日時がかかると応接していたと、ハリスは日誌に記す。                             (大森東亜記)

 

米欧回覧実記輪読会11月部会報告:第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

日時:2018年11月14日(水)13.10-15.00
場所:日比谷図書文化館セミナールーム
第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

2月25日パテントオフィス(特許庁)、26日印刷局、3月10日スミソニアン協会視察。スミソニアン協会は1846年英国人科学者ジェームズ・スミソニアンが資金を寄贈し設立された、現在では19ある博物館・美術館・国立博物館からなる世界最大の博物館群で1億3650万点の文化遺産や標本を所蔵する。キャピタル(国会議事堂)とワシントンモニュメントを東西に結ぶ広大な広場(モール)の両側に博物館・美術館が立ち並ぶ。現在では、特に航空宇宙博物館の人気が高く、ライト兄弟が最初に空を飛んだ飛行機、リンドバーグの大西洋横断飛行機、月面に最初に降りたアポロ11号宇宙船(カプセル)の実物等が展示されている。

3月13日市の招待でポトマック川を下りマウントバーノンに赴いた。船中では奏楽、饗応を受け、気候も良く船上から川の両側に咲く花梅桃桜李を愛で楽しい時を過ごした。マウントバーノンは初代大統領ワシントンが異母兄の未亡人より譲り受けた広大な敷地(プランテーション)に旧宅の他、農場、納屋、鍛冶屋等があり、ワシントン大統領とマーサ夫人の墓廟もある。旧宅・墓廟は銅版画を見る限り現在の姿とほぼ同じである。3月16日ジョージタウン(ワシントン市西部にある住環境の良い地区、因みにジョージタウン大学は河野外務大臣の母校)の天文台、17日財務省(ホワイトハウス東隣)、20日海軍造船所を視察。

富田命保日記によれば、2月25日は杉山・福井・吉雄氏と共にアーリントン墓地に行ったとある。本体(実記ではではパテントオフィス視察)とは離れ別行動をしていたようだ。片や3月13日は海軍所よりポトマック川を下りマウントバーノンに行き夕刻6時に帰館とあり同一行動であったことが分かる。一行は様々な行動形態を取っていたようで興味深い。(冨田兼任記)