「活動内容」カテゴリーアーカイブ

部会、催しの報告(非会員用抜粋)
旧「部会/催し 報告」

実記輪読会:1月部会報告「第14章 北部巡覧の記 上」

日時:2019.1.9 13:10 ~ 14:50
場所:日比谷図書文化館 4F セミナールームA
ナビゲーター:吉原重和

行程
・明治5年5月4日(1872年6月9日)
議事堂北の駅(Union station)から寝台車2両で出発した。
米国政府の招待旅行だったので案内役のマイヤース夫妻と娘、
上院議員のバンクス夫妻と娘が同行。森弁務使と書記生も途中まで随行。

・5月5日 薄晴 ニューブランズイックで夜が明けた。
エリザベス駅で朝食 その後ニューアーク市を通過し6時45分にジャージーシティー駅着。
ハドソン河口のフェリーで対岸のマンハッタンに渡りウエストワシントンの第16番桟橋に着く。(世界貿易センタービルの近く)

その後7時にブロードウェイのセントニコラスホテルに入った。(1000室もある大ホテル)
バッテリー地区からブロードウエーの喧騒に驚きながら市場の様子を見た。
午後3時からセントラルパークを回覧し、夜8時にブロードウェイの劇場に行った。

・5月6日 イーストリバー河口から蒸気船でウエストポイントへ
向かった。
午後4時に学校に到着した。ガトリング砲を見た。

・5月7日 学校見学で生徒の教練、軽砲隊の試験を見た。その後
花火を見てその壮観に驚いた。10時に宿に戻った。
彼等はウェストポイントの墓地も見た。

配布資料はここをクリックして下さい。

以上

 

 

実記輪読会:12月部会報告「第十三巻「ワシントン」市ノ記 下」

日時:2018.12.19  13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4F セミナールームA
内容:第十三巻「ワシントン」市ノ記 下

3月23日中央郵便局、農事試験場、27日アナポリス海軍兵学校、4月24日アーリントン国立墓地で慰霊祭(メモリアルデー)に参加、観衆4万人、5月1日精神病院視察。5月3日フィッシュ国務長官と8回目の条約改正予備交渉会談、米側より改正案文を手交される。この時期、ワシントンは猛暑だったようで5月4日(旧暦、実際は6月上旬)は気温32度との記述。

農事試験場はスミソニアン協会の北に位置し元々はパテントオフィスの付属機関、の記述からすると、(11月例会報告で記した)ザ・モール【国会議事堂前の、大統領宣誓式の際群集が集まる広大な広場】に中にあったと推察される。実記は、5月4日の記載が「当府ヲ・・」と中途半端で終わっているが、この日夜9時にワシントンを出発し翌日5日朝6時にニューヨーク対岸の「ジャージーシティ」に到着している。

アーリントン国立墓地はケネディ大統領を始めとする著名人や無名戦士等の墓がある。故ケネディ大統領の墓は正面を上がった丘の中腹にあり、東の方角を見るとケネディ大統領の棺を乗せた馬車が静々と進んで来たアーリントン・メモリアル橋が見える。大統領の隣にはジャクリーン夫人が眠っている。

なお、富田命保日記によれば、4月6日は杉山・福井・吉雄氏と共に宿舎のホテルを離れ宿の主人ベネット氏宅に移った。4月28日には福地氏とニューヨークに向かい、当地で国債発行のためロンドンに向かう吉田太郎(清成)、大鳥圭介と会っている。5月2日にワシントンに帰ったとあり事前に下見に訪れたということか?(冨田兼任記)

 

 

iCafe:11月部会報告「アメリカ編Ⅲ」

日時:2018.11.18 14:00~17:00
場所:西荻窪 スタジオ&ギャラリー「響」
内容:i-Café-musicアメリカ編Ⅲ

第一部映像とお話では、DVD「岩倉使節団の米欧回覧」のボストン訪問部分を見た後、静岡文化芸術大学教授奥中康人先生に『和洋折衷歌謡、苦難の歴史』と題して、明治期の西洋音楽導入の諸問題を語っていただいた。奥中先生には2016年6月、20周年記念シンポジウムのプレ・セミナーで『岩倉使節団と西洋音楽~国家と音楽』をお話いただき大好評だった。再登場の機会を窺っていたが、今回ご多忙の中を浜松からお越しいただけたのは光栄だった。

先生は、『国家と音楽』(2008年サントリー学芸賞)や『和洋折衷音楽史』(2014年)等のご著書を踏まえて、今回は『明治期の唱歌は「日本のうた」の原点ですが、実は、「西洋のメロディ」と「日本語の歌詞」の危ういバランスの上に成立しています。そもそも、西洋のメロディは、日本語と相性が良いとは言えないからです。このような視点から、近代日本の「和洋折衷」スタイルの音楽の歴史 ―― 唱歌からロックまで ―― を振り返りたいと思います。』と前置きして、借用した西洋メロディーに日本語を当てはめることから始まった西洋音楽導入が、滝廉太郎に至って日本語歌詞にマッチした独自の作曲をするまでの苦難の歴史をパワ―ポイントを駆使して明解に語って下さった。

第二部:♪ミニ・コンサート♪では、新年会で『オペラ座の怪人』等を歌って聴衆を魅了した元劇団四季の主役ソプラノ中澤孝子さんに、奥中先生のレクチャーに合わせて『日本に根付いた西洋音楽』と題して、瀧廉太郎の『組曲四季』や庭の千草(The Last Rose of Summer)等を植木園子さんのピアノ伴奏で熱唱して頂いた。
i-CafeSingersも戊辰戦争で歌われた品川弥二郎作詞、大村益次郎作曲と云われる『宮さん宮さん(トンヤレ節)』や日本最初のワルツ『美しき天然』などを披露した。

第三部:交流会では、シカゴ在住の村井智恵会員も参加してくれて、大いに盛り上がった。(岩崎記)

当日のプログラムはこちらから。

 

 

GJ研究会:11月部会報告「多角的貿易体制の直面する問題点」

日時:2018年11月17日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401号室
演題:「多角的貿易体制の直面する問題点」
講師:小田部陽一氏(元在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部
特命全権大使)

要旨: 日本では、日EU EPATPP11、についての明るいニュースがあるが、国際的には、トランプ政権によるアメリカファースト政策により、貿易戦争とも呼ぶべき状況に陥り、WTO(世界貿易機関)も危機に直面している。こうした状況もあり、世界経済見通しも下方修正となっている。
 「強固で持続可能かつ均衡ある成長」実現のため、貿易の役割が大きいことは言うまでもない。戦後、世界貿易については、GATT8回に及ぶラウンド交渉を経て、1995年にはWTOが発足するなど、着実に進展し、加盟国も当初の23から165になった。しかし、先日のAPECの会合に見られる通り、「多角的貿易体制」という言葉を入れることに米国が反対して宣言がまとまらないという異例の事態が生じている。米国の通商拡大法232条による鉄鋼、アルミ製品への追加関税賦課決定、自動車、同部品への追加関税検討、さらには、通商法301条に基づく対中追加関税など、いわば、無法状態ともいうべき状況は大変憂慮される。同時に、中国についても、知財権の取り扱い、国営企業への補助金など、問題が多い。
 WTOについては、その三本柱の各々が挑戦を受けており、改革が必要。まず、貿易自由化については、WTO発足後限られた成果しか無く、また、ドーハラウンド交渉は頓挫。その理由の一つとして、加盟国が多すぎて、コンセンサスが得られない点があり、この解決のため、案件によっては、一部の国の賛成でも合意可能とすること等が議論されている。また、中国等の新興国の負うべき義務という大きな問題がある。第2に、協定履行の監視について、通報制度がきちんと実施されていない点がある。最後に、紛争処理メカニズム である。これが一番深刻である。現在、上級委の7名の委員のうち、在籍は、3名。これは、米国がこれまでの裁決で、同国の関心案件で敗訴することがあったため、委員の再任をブロックしていることによる。来年2人が、改選の時期に当たるため、これが拒否されると、残るのは、委員ただ1人となり、機能不全となる。。
 また、WTOでの交渉が進まない中で多くのFTAができたが(日本も、既に、17件のEPAを締結)している。各々の関係が複雑になり、しばしばスパゲッティ ボールと呼ばれるが、自分は、TPP,EU EPAは、将来の貿易体制の階層となる、いわば、ラザニアとなることを期待している。

かってアンチグローバライゼーションの動きあったが、今は、グローバルサプライチェーンの時代。多角的貿易体制こそ、今後の世界にとっても、日本にとっても、重要。先日、来日のアゼベドWTO事務局長と食事の際、「自由貿易は、空気や水のようなもの、なくなったときに、その貴重さが分かる」と話したところ、その後パリで開かれた第一次世界大戦終結100年記念平和フォーラムのパネル会議で、この言葉を紹介したとのことであった。

その後、米中問題、中国の行方、カショギ氏の殺害、日露関係など幅広い問題につき、活発な質疑応答を行った。
(文責 塚本 弘)

 

英書輪読会(ハリス):11月部会報告

日時:2018年11月14日(水)15:00~17:00
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

テキストの1857年12月7日(月)から12月16日(火)まで、旧暦では安政4年10月21日から10月30日までを読む。

ハリスが下田奉行を通じ幕府の要路者と折衝した結果、来日の主要目的である将軍(家定)と謁見し、アメリカ大統領(ピアス)の信任状(親書)を呈する運びとなる。
米大統領親書により日本に外国との通商と門戸開放を要請する。

謁見は、300有余の大名、高官が居並ぶ前で行われる。大君の右手に堀田備中守と閣老5人、左手には大君の兄弟3人がひれ伏す。ハリスは立って挨拶の口上を述べると、大君はしっかりした口調で「遠境の処、使節を以て書簡差越し、口上の趣、満足せしめ候、猶幾久しく申し通ずべし、此段大統領に宜しく申し述べし」と応答する。

大君の応答のあった後、ハリスは大統領親書を掘田外務相に渡す。親書には「日米の絆を強化し、両国の通商が相互の利益となる条約を結ぶこと、そのため大統領はハリスに全幅の信頼を寄せている」とあり、大統領の自署と国務長官の副署が記されている。

謁見を終えた後、ハリスは堀田外務相に通商問題に関し書簡を出すとともに、堀田備中守を訪ね、ハリスの接待役人同席のもと、幕府の今後の課題について説明する。ハリスは、折しも諸列強は日本を開国させようとしているが、中国とのアヘン戦争など戦争によることなく使節との平和裡での交渉が望ましいとして次の3点を指摘する。即ち、
1)江戸に外国公使を受入れること、
2)幕府の干渉なしに日本人に自由貿易をさせること、
3)開港地を増やすこと。
堀田外務相はハリスの説明を真剣に聞くとともに課題解決には相当日時がかかると応接していたと、ハリスは日誌に記す。                             (大森東亜記)

 

米欧回覧実記輪読会11月部会報告:第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

日時:2018年11月14日(水)13.10-15.00
場所:日比谷図書文化館セミナールーム
第十二巻「ワシントン」市ノ記 中

2月25日パテントオフィス(特許庁)、26日印刷局、3月10日スミソニアン協会視察。スミソニアン協会は1846年英国人科学者ジェームズ・スミソニアンが資金を寄贈し設立された、現在では19ある博物館・美術館・国立博物館からなる世界最大の博物館群で1億3650万点の文化遺産や標本を所蔵する。キャピタル(国会議事堂)とワシントンモニュメントを東西に結ぶ広大な広場(モール)の両側に博物館・美術館が立ち並ぶ。現在では、特に航空宇宙博物館の人気が高く、ライト兄弟が最初に空を飛んだ飛行機、リンドバーグの大西洋横断飛行機、月面に最初に降りたアポロ11号宇宙船(カプセル)の実物等が展示されている。

3月13日市の招待でポトマック川を下りマウントバーノンに赴いた。船中では奏楽、饗応を受け、気候も良く船上から川の両側に咲く花梅桃桜李を愛で楽しい時を過ごした。マウントバーノンは初代大統領ワシントンが異母兄の未亡人より譲り受けた広大な敷地(プランテーション)に旧宅の他、農場、納屋、鍛冶屋等があり、ワシントン大統領とマーサ夫人の墓廟もある。旧宅・墓廟は銅版画を見る限り現在の姿とほぼ同じである。3月16日ジョージタウン(ワシントン市西部にある住環境の良い地区、因みにジョージタウン大学は河野外務大臣の母校)の天文台、17日財務省(ホワイトハウス東隣)、20日海軍造船所を視察。

富田命保日記によれば、2月25日は杉山・福井・吉雄氏と共にアーリントン墓地に行ったとある。本体(実記ではではパテントオフィス視察)とは離れ別行動をしていたようだ。片や3月13日は海軍所よりポトマック川を下りマウントバーノンに行き夕刻6時に帰館とあり同一行動であったことが分かる。一行は様々な行動形態を取っていたようで興味深い。(冨田兼任記)

米欧回覧実記輪読会:10月部会報告

日時:2018年10月10日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム

「第十一巻「ワシントン」市ノ記 上」

使節団は1月21日ワシントンに到着、アーリントンホテルに投宿。大統領夫人から歓迎の花束が届いていて感激する。ホテルはホワイトハウスの北側ラファイエットパークから北北東に伸びるヴァーモントアベニューにあった。【実記の、ホワイトハウスは公園一つ隔てた(ホテルの)西隣、の記載は正確ではない。方角的にはホワイトハウスはホテルから見ると南側になる】また、通りを隔てたジョンソンハウスを事務所として使ってよいと米国側が便宜を図ってくれる。

1月25日ホワイトハウスでグラント大統領に謁見。大使・副使は衣冠、5人の書記官は直垂、皆帯剣し、大使が天皇の国書を大統領に手交した。27日キャピタル(国会議事堂)訪問。下院において議長と大使がスピーチ交換の後、中央ドーム下部(ロトンダ)を見学、コロンブス上陸・ワシントン大統領選出・独立宣言起草等十枚の絵画を見る。2月3日国務省で第1回条約改正交渉会議開催、しかし、国家元首の委任状なしでは交渉できない、と指摘を受ける。このため、2月12、13日と大久保副使、伊藤副使が相次いで委任状を取りに帰国の途に就く。2月17日廃兵院を訪問、2月24日米側が正副大統領、各省長官臨席の下招宴を開く。

なお、輪読会では現地で撮影したキャピタル内部(ロトンダ等)、(上述の“西隣”を頼ったため)誤認したホテルの最上階から財務省越しに見たホワイトハウス等現地の様子を写真で紹介した。

吉原氏より米欧回覧実記に加え当時の新聞記事、大使信報そして木戸日記の記載も含めて、日付を縦軸、各日記の記述を横軸とした比較表が提示された。今後これら史料に富田命保日記も含めてこの比較表に記載してゆくことで、多面的に使節団の行動の記録を把握できることが期待される。なお、この時期富田命保日記によれば、1月28日、29日は旅費の精算、とりわけ官費で賄っていた同行學生の私費分の精算を含め手数を費やして旅費精算に従事したとある。

富田記

 

歴史部会:10月部会報告「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」

日時:2018年10月15日 13時30分~16時30分
場所:国際文化会館 4階会議室
演題:「鍋島閑叟(直正)と佐賀7藩士」
講師:大森東亜(会員)

今回のテーマは、当会で今秋、幕末維新と関係の深い佐賀への歴史旅行が計画されているため取り上げられた。はじめに佐賀藩と佐賀県の地理的特性、歴史的変遷と鍋島氏登場、さらに廃藩置県から佐賀の乱を経て、佐賀県誕生(平成29年人口83万人)までを辿る。

鍋島閑叟は、1814年九代藩主斉直の子として江戸桜田屋敷で誕生し、十七歳で家督を継ぐまで江戸で過ごす。従兄の島津斉彬など縁戚関係は多面に亘る。家督相続時、藩財政は窮乏下にあり、諸役の倹約令、年貢徴収改革ほか磁器づくり、石炭採掘など産業振興に努める一方、借財整理にも取組み、閑叟は「算盤大名」の異名もとる。佐賀城二の丸が焼失するも正室の実家(将軍家)からの城再建費支援などもあり、藩財政を持直す。

佐賀藩は福岡藩とともに長﨑御番を交代で務める。1808年フェートン号事件がおきる。英船が蘭船を装って長崎港に不法侵入し薪水等を求めた事件である。佐賀藩と長崎奉行が対応不適切とされ、長崎奉行関係者が切腹したほか、閑叟の父藩主斉直は謹慎処分される。この出来事もあって閑叟は、長崎御番のため砲台整備、西洋砲術導入、海軍育成、軍艦製造に終生尽力する。閑叟自らオランダ艦やイギリス艦に乗船し、艦船購入のほか蒸気機関工場の設計図などもオランダに求めている。

砲台築造、反射炉建築のため伊豆江川太郎左衛門のもとへ本島藤太夫らを派遣し研究させる。3年がかりで国産初の反射炉をつくり、洋式大砲を鋳造し、幕府の注文も受ける。

事業完成を評価され幕府からの借入10万両は免除される。完成まで度重なる失敗もあったが、閑叟は「西欧人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり、挫けずますます研究せよ」と励ましたという。幕府の長崎海軍伝習所閉鎖後、閑叟は佐野常民の建言を受け、藩に三重津海軍所を開設し、航海、造船等のほか、国産初の蒸気船も完成させる。

幕末から維新にかけて閑叟は旗色を鮮明にせず、「肥前の妖怪」という小説を司馬遼太郎に書かせる。しかし、その背景に慶喜の大政奉還と引換えに朝廷を戴き、内戦を避け、外国から日本を守るという強い思いがあったと小説『かちがらす』(植松三十里)では記す。いずれにしろ閑叟を中心とする佐賀藩は幕末維新期、大砲と海軍により維新政府成立に寄与する。幕末維新期に活躍した佐賀藩士は閑叟を含め7賢人が挙げられているが、『米欧回覧実記』の久米邦武もこれら賢人に加えたい。佐賀藩士には現代に至る社会制度に地道に寄与した人物が少なくない。それぞれ特記事項を記すと、大隈重信は政党政治、議会政治に貢献し、早稲田大学を創設する。久米は「神道は祭天の古俗」とする論文を書き、帝国大学教授を追われるが、日本史学実証研究に従事する。佐野常民は火器研究後、パリ博覧会に赴くほか、日本赤十字を創設する。副島種臣はペルー船「マリア・ルーズ号」事件で、清国人奴隷を解放するなど日本外交のパイオニアとなる。大木喬任は江藤新平とともに東京遷都を建策するとともに、初期東京府知事となり東京の治安と活性化、さらに文部行政、民法編纂に貢献する。江藤は学制、刑法等司法制度整備にあたる。島義勇は箱館戦争に従事する一方、閑叟の助言をもとに札幌の条里制、北海道開発にあたっている。。

これら佐賀藩士たちの活躍には藩校弘道館の果たした役割が大きい。弘道館は1781年に創設され、92年にわたり独自の教育活動を展開し、時に約千人も学んだといわれる。弘道館の優秀な佐賀藩士は江戸期の最高の学問所昌平黌に学び、幕末25年間で昌平黌の学生505人のうち40人おり、仙台藩、薩摩藩の各21人に比較して抜きんでたとの調べもある。岩倉具視も佐賀藩の教育を評価して子弟を佐賀藩に委託している。
文責:大森東亜

 

 

 

I-Café :9月部会報告

日時:2018年10月7日(日)14時~17時
場所:西荻窪「響」

9月30日(日)開催予定だったi-Caféは、大型台風接近のためを一週間延期し10月7日(日)西荻窪『響』で開催された。日程変更で、第二部ミニコンサート出演者変更の事態になったが、i-Café常連のソプラノお二人のご協力で無事凌げたのは幸いだった。(プログラム添付)

第一部 映像とお話

DVD『岩倉使節団の米欧回覧』で使節団のサンフランシスコ到着から、ワシントンへの鉄道の旅を見た後、今年の新年会で、『フランスはなぜ「ブランド」になるのか?』を語り大好評だった芳野まいさんをお招きして、『政治とファッションたとえばジャッキー・ケネディと題して、歴史上もっとも若いアメリカ大統領の夫人として絶大な人気を誇った彼女が、どのようにそのスタイルを「作り」「伝え」、政権の価値を高めていったか、豊富な図版や映像を駆使してお話いただいた。ジャッキーが大統領夫人になった途端に、個人的趣味より、大統領の政治活動をサポートするファッションに徹し、なおかつファッションをリードしたとのお話は大変説得力があった。

第二部 ♪ミニ・コンサート

i-Café常連のソプラノ森美智子さんと武藤弘子が、ピアノの植木園子ともども一週間の準備で『アメリカの映画音楽から他』と題して、『ウェストサイド・ストーリー』『オズの魔法使い』『ティファニーで朝食を』などから懐かしい歌をご披露いただいた。i-Café Singersも『峠のわが家』『なつかしきケンタッキーのわが家』などアメリカ民謡を歌わせていただいた。

第三部 交流会

ワインと軽食をいただきながらの交流会は、いつになく大変盛り上がった。(岩崎記)

当日のプログラムはこちらから

GJ研究会:9月部会報告「日本の通商政策とアセアン」

日時:2018915日(土) 13:30~14:30
場所:国際文化会館
演題:「日本の通商政策とアセアン」
講師:岩田 泰 氏(経済産業省通商政策局総務課長) 

米国のトランプ大統領か世界に向かってグローバル化を拒絶し、持論の保護貿易など「米国第一主義」を主張し続けている現在、我が国にとり今ほど近隣友好国のアセアンとの関係強化が国策としても重要になって来たことはない。経済産業省の組織の中の中枢とも云える通商政策局の総務課長として、また広く培われたキャリアからの視点でお話を頂いた。 

<最近の通商情勢>に付いて’80代貿易問題が世界的に吹き荒れていた時、グローバルに問題を解決する為にGATTがあり、次に来るメカニズムとしてGATTウルグアイラウンドが’86に始まり延々と続いたが‘95WTO設立につながった歴史を振り返ることから講演の口火を切られた。

ウルグアイラウンドがなかなか収束しなかった時期に、それを補完する意味で地域ごとに纏まって貿易の自由化をやろうとNAFTAEUが誕生した。アジアに目を向ければAFTAASEAN自由貿易地域)が’92に合意に達した。当時、米国のスーパー301条がよく議論になっていたが、現在は再び米中間の紛争が政治問題化している。

WTOが設立されてからは通商問題が政治問題化しないようになってきていたが、その間、日本のアセアン各国に対する通商政策は、主に*経済協力と*既に進出していた多くの日本企業に対する事業環境整備である。アセアン各国同士の経済格差のみならずアセアン各国の国内でも格差があり、国によっては国内産業保護を主張する声と自由貿易推進を主張する声との対立が見られたが、アセアン各国のリーダーは、強い意志で繋がって協力し合い共同体を創って行かなければ生きていけないという問題意識の下、強い政治的リーダーシップで共同体設立に導いた。ASEAN(Association of South East Asian Nations)は、「Association」という名の通り、緩い協力関係の構築を目指すものであった。アセアンが設立された’67当時の東南アジア地域では、ヴェトナム戦争が続いており、中国での文化大革命の影響も広がりを見せていた。アセアンは、当初インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの5カ国で設立されたが、互いに仲が良かったわけではなかった。ボルネオ島のサバ・サラワクの領土を巡ってインドネシア、フィリピン、マレイシアが争奪戦を繰り広げており、またシンガポールは’65にマレーシアから独立したが当時の首相リー・クワンユーとマレーシアの首相マハテイールとは反目しあっていた。自分達も喧嘩ばかりしないで外敵(共産主義国・中国)に対して立ち向かおうではないか(当時ASEANは反共の団体と言われていた)、当時は特別に経済の為でもなく、崇高な目標を掲げていたわけでもなく、兎に角仲間内の喧嘩は止めて一つになろうとしたのが’67にできたASEANであった。アセアンが纏まることによって大国に対するバーゲニング・パワーが持てるし自分達が中心となって世の中を泳いで行こうというのがアセアンの基本的な考えであり、最近耳にするようになってきたASEAN Centrality の考え方にもつながっている。

ASEANは、一朝一夕で今日のような共同体になったのではなく、輸入代替工業化の動きー>輸出志向工業化―>FTA->共同体へと紆余曲折しながら発展して行くのである。

アセアンの経済発展の流れに相俟って日本の関わり方も変わって行く。アジアが貧しかった頃は経済協力が主体であった。’90代にGreen Aid Planという、環境に着目したした経済協力があった。また進出した日本企業の原材料の現地調達の必要性に対してはサプライヤーを育てる目的でサポーティング・インダストリー協力を行った。アセアンの経済が徐々に発展してきた2000年代には、次の段階である“経済連携”へと進んでいった。2002年にシンガポールとEPAを結び、順次、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、ヴェトナムとも結び、ASEAN全体ともEPAを結んでいる。ある程度EPAが進んでくると、お互いの市場を解放し合い、自由貿易を享受し合い、伸び行くアセアンの活力を民間ベースで日本の中に取り込んで行く段階に入ったと言える。次が産業協力の段階である。

日本がアセアンとの間で最近進めているスタートアップ協力の一環として、Start Upを使って日本のヴェンチャーがアセアンで活躍できるように支援し、また起ちあがった企業のスケールアップを図る様に地元の財閥や有力企業と手を組む事など仕掛けてバックアップを行っている。また、日本が既に直面している課題でアセアンが今課題となってきているAging Society,環境問題など、先んじて直面した日本の経験、知恵やknow howを活用できる面があるのではないか、と政府間交渉に留まらずビジネスと一体となった協力にも力を入れて取り組んでいる。

講演の最後に岩田氏が10年前に3年間総務部長を務めたERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)について紹介された。ERIA20086月に東アジア経済統合推進のため、政策研究・提言を行う国際機関(「東アジア版OECD」)として日本が主導して設立した。
参加国はアセアン10カ国プラス日本・韓国・中国・インド・豪州・NZの6カ国(RCEPと同じメンバー)で、本部をジャカルタに置いた事が重要な意味を持つことになる。

この機関の運営は日本人が主体に行っているが、ジャカルタにいてアセアン外交の事を考えている人達がアセアンと共に考える、経済統合や貿易自由化を進める為の知恵袋として“一緒に考えよう”として創った組織である。通商交渉というとどうしても国対国の交渉で勝った、負けたのイメージが強いが、今やアセアンとの関係を考えるとき勝った、負けたではなく、皆がこの地域で勝つ為にどうしたら良いか、こういうことを考える際に、ERIAのような組織の意味があり、日本にとって通商政策の一つのツールとしてERIAという組織を設立したことには大きな意味がある。

今年の7月1日RCEPの閣僚会議が日本で初めて行われた。RCEPの閣僚会合がアセアン以外の国で会議が行われたのは初めてで、歴史的な事である。会議の冒頭安倍首相が岡倉天心の言葉を引いて、「Asia is One」とアセアン閣僚の前で話された。

今や時空を超えて「人、物、金」がコミュニケートする時代であり、新しい時代の通商政策が益々難しくなって来ている。昔の様にただ単に経済協力するだけでなく、政府間の交渉をするだけでなく、ERIAの様な国際機関を創って、産業協力をしながら皆でこの地域でWinWinの関係になる様に地域の為に何が出来るか、通商政策の進歩がアセアンという場で問われている。

岩田氏が講演の中で話された重要な点が今年の1月出された「不公正貿易報告書」の巻頭言に掲載されているので、ご参考まで参照させて頂きます。

「特定国との貿易に関して自国に不利な結果が生じている事のみを理由にして、相手国の貿易政策・措置を不公正と評価する「結果志向」は、客観性が欠如し、管理貿易に転化しかねず、反競争的効果をもたらしかねない。各国の貿易政策・措置の「公正性」は、結果ではなく国際的に合意されたルールに基づき、客観的に判断されるべきであり、適当な国際ルールが存在しない場合には、まずルールの定立を期し、国際ルールなしに公正・不公正を論ずべきでないという「ルール志向」が、本報告書が提示し続けてきた「公正性」であり、我々の依拠すべき原理原則(principle)である。」

(文責:畠山朔男)

 

♪ i-Café♪≪お話と映像と音楽でたどる『岩倉使節団の米欧回覧』

台風接近のため、9月30日(日)に予定していたi-Caféを、急遽10月7日(日)に変更しました。 これに伴い、ミニ・コンサートは、ソプラノ森美智子さんと武藤弘子さんの『アメリカの映画音楽から』に変更しました。ソプラノ中澤孝子さんの『ブロードウェイ・ミュージカルから』は、11月18日(日)の i-Caféでご披露いただく予定です。

1)日 時:2018年10月7日(日)14.00-17.00
2)場 所:西荻窪・スタジオ&ギャラリー『響』
住所:杉並区西荻北 3-15 -2(JR 中央線西荻窪駅北口3分) 中央線西荻窪駅北口3分)
電話: 03 -3395-2192
3)会 費:3000円(会員2500円)軽食・ワイン付

第一部 映像とお話 大好評だった今年の新年会で、『フランスはなぜ「ブランド」になるのか?』を語っていただいた芳野まいさんに再登場いただきます。
① 映 像:DVD「岩倉使節団の米欧回覧」第2章『新しい国アメリカ』
② お 話:芳野まい氏 『政治とファッション~たとえばジャッキー・ケネディ』 歴史上もっとも若いアメリカ大統領の夫人として絶大な人気を誇った彼女は、どのようにそのスタイルを「作り」「伝え」、政権の価値を高めていったか?豊富な図版や映像で視覚的にイメージをつかみ、当時の国内・国際政治状況、またハリウッド映画産業との関わりについてもたどりながら、考えていきます。

(芳野まい:東京大学教養学部卒、同大学院総合文化研究科博士課程満期退学、ソルボンヌ大学フランス文学科DEA取得、東京成徳大学准教授、NHKフランス語講座「ファッションをひもとき、時を読む」講師他、プルーストを中心に小説・映画の中の音楽、ダンス、ファッション、ヘアメイクの流行についての研究。教科書「日本について、職業について、フランス語で学び、伝える」(弘学社刊)

第二部 ♪ミニ・コンサート♪~アメリカの映画音楽から他~ 『ウェストサイド・ストー リー』より
♪ Tonight
♪ Somewhere
♪One Hand Heart
『 オズの魔 法使い 』より
♪Over the Rainbow (虹の彼方 に)
『ティファニーで朝食を』より
♪ Moon River ( ムーンリ ヴァ― )
『ピノキオ 』より
♪ When You Wish Upon a Star (星に願いを)
ポピュラー /カントリー
♪ Tennessee Waltz(テネシ テネシ ーワルツ )
アメリカ民謡
♪ Home on the Range(峠のわが家  )
♪ My Old Kentucky Home, Good Night (なつかしきケンタッキーのわが家)他

☆ ソプラノ:  森美智子 (東京藝術大学卒業・同大学院修了、共立女子高校講師、二期会会員)

☆ソプラノ:武藤弘子 (武蔵野音楽大学卒業、 ワシント大学院修了、鎌倉女子大講師、二期会員)

☆ ピアノ: 植木園子 (東京藝術大学別科ピアノ専攻修 了、武蔵野音楽大学ピアノ科卒業・同大学院音楽研究科修 了)

☆ 合 唱: i-Café Singers (会員 、畠山朔男Tr、岩崎洋三Tr、吉原重和Br、相楽敏夫Bs)

第三部 交流会 ワインと軽食をいただきながら余韻楽しみまょう。 ワインと軽食をいただきながら余韻楽しみまょう。 ワインと軽食をいただきながら余韻楽しみまょう。

米欧亜回覧の会
お申込み
sono.ueki@gmail.com  植木
iwasakiyz1116@gmail.com  岩崎

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歴史部会:9月部会報告「憲法・3大噺」

2018.9.25 13:30~17:00
国際文化会館 401号室

安倍政権が今年中にも憲法改訂案を国会に上程すると伝えられる機会をとらえて、一人ひとりが憲法問題を考えるに当って歴史的事実を押さえて置こうというのが今回の部会開催の狙いです。参加者21名。まず、明治の「大日本帝国憲法」の成立過程の歴史的背景を泉三郎氏から説明された。維新創業にあたっての「五箇条の御誓文」があり、岩倉使節団帰国直後の大久保利通、木戸孝允二人の夫々の憲法制定を急ぐべしとの建白書。
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米欧回覧実記輪読会:9月部会報告

9月5日(水)
13.10-14.50
第10巻「コロンビヤ」県の総説  pp.193~203
ナヴィゲーター:冨田兼任氏

華盛頓(ワシントンDC:コロンビヤ県)は北緯38度53分39秒、西経77度2分48秒に地に位置し、山形県酒田市とほぼ同じ緯度である。連邦政府の首都としてメリーランド州とバージニア州に跨る地に北を頂点とする10マイル四方のダイアモンド形として形成され、その後1847年にポトマック河西岸部はバージニア州に返還された。面積上は使節団訪問時に現在のワシントンDCが形成されていたことになる。

使節団は、キャピタル(国会議事堂)、大統領館(ホワイトハウス)、財務省、陸軍省、国務省、中央郵便局、パテントオフィス、農務省、スミソニアン協会、コロンビヤ学校、海軍省、ジョージタウンの天文台、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、マウントバーノン(ワシントン大統領旧宅)等を訪問、見学する。「実記」図版、最新地図と見較べると、位置が変わっていると推測されるものもあるが、多くのものが使節団訪問時に現存の建造物が存在していたことが分かる。見学の詳細は後続11-13巻で説明される。(冨田兼任記)

輪読会報告終了後、富田氏は先祖で岩倉使節団に参加した租税権大属富田命保の随行日記原本を披露した。
会計担当だった富田命保の日記は、和紙に毛筆で丹念に記録された立派なもので、ぜひ米欧回覧実記の記述と比較検討して行こう云うことになった。実記輪読会が予想外の展開となり、今後が大変楽しみになった。

(岩崎洋三記)

英書輪読会(ハリス):9月部会報告

9月5日(水)
15.00-17.00
日比谷図書文化館4階セミナールーム

・テキスト:The Complete Journal of Townsend Harris

・範囲:pp.423-447(Friday,November27,1857~Monday,November30,1857)

・ナヴィゲーター:水谷剛氏

《概要》:

ハリス一行は大名行列並みに下田を出発して待ちに待った江戸への旅を続ける。
伊豆から東海道に出て小田原~大磯~馬入川~藤沢へと進んだ。
小田原から藤沢までは家の軒波が続き連続した一つの家並みである。 途中の馬入川渡る時に左小指を「水蛭」に吸いつかれて出血したので治療を「随行医師」にさせた。
藤沢から更に海岸沿いに行き神奈川~川崎に到着し、有名な「萬年屋」旅館に宿泊した。ここはペリー提督に随行したビッチンガー牧師が単独で勝手に抜けだし、多摩川から品川に行く寸前に停止させられて帰営した場所である。

品川から高輪経由で宿所の九段下「蕃書調所」に到着した。井上下田奉行から江戸城で将軍謁見するときの諸注意事項や江戸城入場は「威厳」を以て駕籠で向かうことなどを諸注意された。

(水谷剛記)