「歴史部会」カテゴリーアーカイブ

歴史部会:7月部会予定「海舟と薩摩藩の情報収集」そして「ワシントンでの岩倉使節団続編」その他

日時:平成30年7月16日(月)休日 14:00~17:00
場所:国際文化会館 404号室
演題:「海舟と薩摩藩の情報収集」そして「ワシントンでの岩倉使節団続編」その他
講師:吉原重和(会員)

・海舟と薩摩藩の情報収集
アーネスト・サトウの旧友だった薩摩藩探索方の南部弥八郎は江戸、横浜で得た情報を藩に送っていた。勝海舟の塾に入塾した米国留学予定の薩摩藩遊学生達は横浜で情報収集を行っていた。西郷の配下の藩士達のその後、そして江戸から長崎に至る密航直前の米国留学生達の動きについて述べる。

・ワシントンでの岩倉使節団続編
昨年11月26日に開催された当会のiCafé Music においてMartin Collcutt先生(プリンストン大学名誉教授)から、ワシントンのMasonic Templeで開催された米国国務省主催の岩倉使節団歓迎の公式晩餐会について、回覧実記に久米邦武は「晴」とだけ書いて何も触れていないのは何故だろうかという問題提起が成された。
その答えを探るべく当時の新聞記事及びネット検索を行い、新たに判明した事実について述べる。日本へとんぼ帰り中の大久保、吉原の行動についても述べる。

・普仏戦争観戦武官団そして鉄道建設契約破棄とゲルマン紙幣印刷について、もし時間が許せば触れたい。

以上

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歴史部会:5月部会報告「西郷どんを奔らせた薩摩藩の名君:島津斉彬」

歴史部会:5月部会報告「西郷どんを奔らせた薩摩藩の名君:島津斉彬」

日時:平成30年5月7日(月) 14時~17時
場所:国際文化会館
プレゼンター:小野博正(会員)
参加者:18名

鹿児島の照国神社に祀られている島津斉彬は、名君に恥じない。薩摩藩が明治維新の実現に最も貢献したことは異論の余地がないが、その薩摩藩の国父・島津久光や藩士・小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通らを幕政改革から、やがて倒幕へと走らせたのは“斉彬の御深意”(先君の遺志)である「御一新」「日本一致一体論」「殖産興業、富国強兵」「開国と貿易」「夷を以て夷を制する文明開化」を誠実に追求することにあった。

島津家の高祖・忠久は源頼朝の落とし子とも言われ、筆頭公家・近衛家の島津荘の守護職を務めた。近世では将軍・11代家斉、13代家定に代々の藩主の娘を正室に送り込み、斉彬の正室・英姫は一橋家・徳川斉敦の娘であり、公家と将軍家とに華麗な閨閥を築いていた。

斉彬は曽祖父で蘭癖大名と言われた重豪に似て、蘭書を読み漁り、西洋知識の森羅万象に興味を示し、それを嫌った父・斉興に嫌われて、藩主になったのは43歳の時である。治世は1851―58年のわずか7年間であったが、その間にまさに回天の基礎を敷いた。老中・阿部正弘から幕臣、岩瀬忠震、川路聖膜、江川英龍、勝海舟、大久保忠寛や藤田東湖、佐久間象山らと交わり大船建造、海防・軍備等幕政を建言し、水戸の斉昭、松平春嶽、徳川慶勝、伊達宗城、山内容堂らと幕政論をリードした。蘭学者・杉田成卿、坪井芳洲、戸塚静海、高野長英、渡辺崋山や川本幸民、松木弘安らに蘭書の調査・翻訳を依頼し、富国の材料となる化学物質(硫酸、塩酸、硝酸等)、洋酒と甘藷アルコール、陶磁器や釉薬、氷砂糖、白砂糖、櫨蝋、樟脳、晒し法、塩田・石炭探索、水力利用、養蚕、ガラス、皮革鞣し法、製紙、農具製法など民生的産業、反射炉、製鉄、鋼精錬で大砲、ゲーベル銃、雷管機銃など防備、写真術、電信、電気、地雷、鉱山爆発法から、軍艦、蒸気船製造まで、自ら企画・開発・実験を指導した。これらは集成館事業として結実し、領地を巡幸して農業こそ国の基本と農業改革を進め、一癖ある人こそ有為に役立つと人材登用・開発に努めた。琉球経由外国留学生派遣指示したのも斉彬であった。幕末・明治維新の諸政策は、まさに先君の遺志の実現であった。
(文責:小野)

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歴史部会:4月部会報告「大倉喜八郎の旺盛な企業家精神」

歴史部会:4月部会報告「大倉喜八郎の旺盛な企業家精神」

日時:4月16日
場所:国際文化会館404号室

4月歴史部会は、東京経済大学名誉教授、大倉文化財団理事長の村上敏彦氏をお招きして『大倉喜八郎の旺盛な企業家精神』のお話を伺った。参加者:22名。

城山三郎に「野生の人びと」と松永安左衛門と並び称された大倉喜八郎は、越後・新発田の商人の子に生まれ、丹羽伯弘に知行合一の陽明学を学び、18歳で単身江戸に出て、丁稚奉公から始め、幕末に鉄砲商として起業する。民間人初の欧米視察で岩倉使節団と現地で交流し帰国後、日本国内での「居貿易」から「出貿易」の時代と見て、いち早くロンドン支店を設置し、薩長土肥関係商人に対抗して自立する。

渋沢栄一を生涯の盟友として東京商法会議所設立に参画、商法の近代化に努める一方で、貿易協会や大倉商業学校を設立。中国・朝鮮・ペルシャ・トルコ・インド貿易の先駆者となる。東京電燈、東京電力、銀座にアーク灯点灯、サッポロビール、帝国ホテル、ホテル・オークラ、帝国劇場、土木建設(大成建設、鉄道、地下鉄、鹿鳴館、歌舞伎座)、製材(秋田木材)・製紙(特種東海製紙)、製靴(リーガル)、製革(ニッピ)、日清オイリオ、浅草パノラマ館や数々の国内外鉄道事業で大倉財閥の基礎を築く。特に中国では製鉄所など、日本初の対中投資に踏み切り、中国同盟会結成大会に大倉邸を提供、辛亥革命に関わり孫文らと交わる。

自助、努力、誠意がモットー。株、相場、銀行はやらぬ主義が災いして、財閥解体後の戦後の財閥復活がならなかった。90歳で山登り、14歳からの狂歌、一中節、本阿弥光悦流の書、大倉集古館など、仕事は西洋近代風、趣味は江戸情緒的、前近代・アジア風で陽気で洒脱な人柄。振る舞いは派手で陽徳。石門心学の商人道で資本の論理と倫理・道徳のバランスを保つ。責任と信用。「言葉の命を重んじる」「信用なきは首なき人と同様なり」は、今の政治家、企業家、役人に聞かせたい言葉。やはり、近代の巨人であった。(文責:小野博正)

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歴史部会:9月部会報告『巴里籠城日誌』

9月18日 参加者20名で、『巴里籠城日誌』を、原作者・渡正元氏の、曾孫である渡洋二郎氏に、現在語訳に携わった真野文子氏と石川優美子氏(二人とも、やはり曾孫)のご参加を得て講演をいただいた。

つづきは会員サイト(要パスワード)でどうぞ。

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