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GJ部会:7月部会報告「アフリカ開発とエボラ緊急支援の最前線」

日時:令和元年7月20日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館、401号室
演題:「国際協力最前線―感染症との戦い」
講師:芳野あき氏
プロフィール:コロンビア大学 メールマン公衆衛生大学院
公衆衛生修士、コロンビア大学 国際関係公共政策大学院 行政管理修士(経済政治開発)、学習院大学文学部哲学科学
士(美学美術史)大学卒業後、JTBにて企画営業、ジョンソンエ
ンドジョンソンでプロダクトマネージャーとして医療マーケーテイング業務に関わる。30代を区切りに国際協力開発業界にキャリアチェンジを図り、NYコロンビア大学にて公衆衛生学と行政                 管理学の修士号を取得。以降10年間、サブサハラアフリカ(シエラレオネ、ウガンダ、ナイジェリア、ソマリア、コンゴ               民主共和国)、ボリビア、南アジア(パキスタン、ネパール)の国連機関やJICAにて、公衆衛生専門家(主に感染症対策)                 として緊急支援や開発プログラム管理、調査評価業務に関わる。
2013年~2015年パキスタンにて世界ポリオ撲滅への日本政府援助に関わり、ビルメリンダゲイツ財団、世界銀行との協調               のもと、65億円の借款案件を担当。

2016年~2019年1月 コンゴ民主共和国の国連移住機関(IOM)の保険衛生事業を立ち上げ、プログラムの統括を務め、               三度に亘るエボラ出血熱の緊急対応をリードした。

「アフリカ開発とエボラ緊急支援の最前線」

イントロ
 世界の秩序は大きく変化しつつある。多くの途上国が経済発展を遂げる中で、過去20年間で世界全体における極度の貧困率は半減、貧困削減に向けた世界的な取り組みは大きな前進を遂げた。近年は、テクノロジーの発展により、途上国と呼ばれてきた国が、かつて先進国がたどった軌跡や過程を飛び超え、従来とは違う発展のパターンを辿る事例や、イノベーションを生み出すソーシャルビジネス等、これまでの枠組みを超えた新しい動きが生まれてきている。今や、サブサハラアフリカでは、ほぼ全員の成人が携帯電話をもつようになり、銀行口座を持たずとも、Mpesaのような携帯電話を介して簡単に送金できるシステムが普及するようになった。他方で、世界的に拡大する経済格差や、格差を生む社会構造に対して人々が感じる不安感は、扇動的な思想や社会運動を勢いづかせる要因にもなっており、新たな課題も生まれている。このように世界全体の秩序が大きく変化する今、我々に求められる活動や支援とは何なのか?どうしたら住民や地域の自立と主体性、発展を促し、より効果的な支援を行うことができるのか?

本日は、8月に横浜で行われるアフリカ開発会議も予定されていますので、直近に関わったコンゴ民主共和国(以下、コンゴ民)のエボラ出血熱の封じ込めの取り組みなどを例にあげながら、皆さんと一緒に、アフリカの開発を考えて行きたいと思います。

私の履歴
 私は日本生まれの日本育ちで、幼少の頃に海外と接点があったのは、商社勤務の叔父が、オーストラリアや米国に赴任するのを見てきてきたくらいです。海外と言われても欧米諸国ぐらいしか想像ができなかった中学生のある時、家の本棚にあった「人間の大地」(太田道子著)をふと手にして読んだことがその後、途上国に関わるきっかけになりました。エチオピアの飢饉、アフガニスタン難民、本の中に書かれていた国々は、聞いたこともないような国ばかりであった上に、自分の知らない世界の反対側ではどうも大変なことがおこっているらしいという何か大切なことを知ってしまったという瞬間でした。そんなことから、欧米以外の世界を見て見たいと思い始め、高校では交換留学でメキシコに行く機会を得て、そこで初めて自分がマイノリティーになる経験をしました。留学した年は確かコロンブスがアメリカ大陸を発見して500年目の年でしたが、メキシコの人々はその年を「発見ではなく侵略の始まり」と捉えていたことも非常に興味深く、日本で教えられた世界の歴史は欧米的な視点に偏るということを初めて実感しました。また先住民の人は社会的にも経済的にも優位ではないことを目の当たりにし、メキシコ留学を通じて、格差が生まれる構造ということに漠然と関心を持ち始めました。帰国後は日本の大学に進学し、ジェンダーと表象文化を学ぶ中で、表象されているものの大半がその時の権力者などに都合の良いように描かれ、それを何百年たった今でも「見せさせられている」ということに気がつかないと、ついつい見ているだけなのに、自分たちもその時の権力者の視点に立ってしまうというトリックがあることも大変勉強になりました。この視点は、その後、植民地などの歴史に翻弄された途上国に関わるようになってからも「支援の方法は、強者の目線だけのアプローチではないか。これによって徳をするのは誰か?」と立ち止まり、自分がやっていることは本当に支援をすべき人の目線も見えているかと問い直すのに役に立ちました。社会人になってからは、民間企業で10年勤務し、30歳を手前にして、10代で興味を持った途上国の世界に関わって見たいと思い、米国ニューヨークの大学院留学(公衆衛生、行政管理学)をきっかけに、大きなキャリアチェンジをすることになりました。その後10年間は、シエラレオネ、パキスタン、ナイジェリア、ソマリア、コンゴ民などの内戦や紛争を経験した国々を渡り歩くことになりました。

植民地化の影響とアフリカの開発
 これらの国々に赴任してまず実感したことは、植民地化の影響は、アフリカや南アジアの発展に大きく影響したという過去の事実としてではなく、未だにそれが色濃く影響を及ぼしている進行形の事実であるということです。現在の西洋的な基準で見ると、アフリカには多くの失敗国家や貧困国が存在しますが、その背景には19世紀後半から20世紀に起こった「アフリカ分断」に始まる植民地化が大きく影響していることが浮かび上がってきます。リベリアとエチオピアを除くアフリカ全土がたった7つのヨーロッパ列強により分割され、多様な民族言語グループが存在していたにも関わらず、欧州列強の政治や経済政策に沿った形で勝手に境界線を引かれた。民主言語グループに関係なく同じ地域に組み込まれ、他者との差別化につながる「人種」の概念が入った結果、アフリカ人同士の争いがはじまったわけです。コンゴ民、スーダン、ルワンダなどの大量虐殺の悲劇は記憶に新しい。また、アフリカの天然資源の略奪は、欧米諸国のアフリカ植民地化の大きな理由でしたが、それは外交やビジネスという形に変えて、欧州にとって条件が良い交渉が未だに継続されていることも事実です。また、アフリカ諸国が自立的な経済発展の離陸が起こり始めていたところに、欧米による強制的な発展が持ち込まれたため、アフリカ独自の発展の道筋が変えられてしまったことも今の発展に影響を与えています。また、植民地化は、搾取により欧米列強が富の増幅をしたわけですが、現地に残された社会経済システムが、現在も続くアフリカの貧困の大きな原因であることも周知の事実である。その中でも私がアフリカを理解する上で、腑に落ちたことが一つあります。アフリカ諸国に限ったことでもありませんが、60年代にようやく独立したばかりの国々なのに、なぜ国民が政府に対する不信感がこんなに強いのか?常々これは一体どこから来たものなのかと考えていましたが、その理由の一つとして、植民地化の影響によるアフリカ人同士の間で起きている土地所有の格差が影響しているのではないかと考えるわけです。植民地化の強制移住により、人々は従来の土地を喪失したわけですが、欧州諸国は奪った土地をその後アフリカに売りつけ、アフリカ諸国は欧州諸国から借金をし、ようやく土地を取り戻しましたが、未だに旧宗主国に負債を抱えています。その取り返した土地のほとんどが政府の所有となり、その後も土地が公平に分配されることはなかったことがポイントです。これにより、アフリカ人同士の間で土地所有の格差が生まれてしまい、土地を独り占めした政府関係者たちは、その後も国民の信頼を勝ち得ることはなく、その利権を持ち続けるために新たな内紛や、援助の効率化を阻害するような状態が生まれてしまっているわけです。私が赴任した、シエラレオネ、ソマリア、コンゴ民なども例外ではなく、天然資源をめぐる内戦と欧米諸国の関与を経験し、政治腐敗、蔓延する汚職、脆弱なガバナンス、脆弱な経済社会基盤、高い失業率、緩やかな経済発展と貧困が共通した課題です。そのような中でも、これまでのやり方では残された課題は打破できないとして、近年ではアフリカ諸国からも経済発展の支援を求められていることもあり、これまでの既存のドナーの資金や援助機関の取り組みだけでなく、ゲイツ財団などの民間の巨額の資金が入って来て、援助のあり方も徐々に変わりつつあることを実感しています。今のグローバルの一つの主な課題は「格差是正」です。平均的な指標の数値を良くするだけではなく、国の発展の恩恵を受けられず取り残される人たちを優先して支援をし、格差が拡大しないようなシステムを構築するということです。グローバルヘルスにおいても、2013年ごろから「Universal Health Coverage(全ての人が、生涯を通じて必要な時に、基礎的な保健サービスを負担可能な費用で受けられること)」の推進が進められ、医療保健の分野のみならず、保健サービスや制度を可能にするような、法律、政策、行政等への取組みも求められています。

エボラ出血熱流行の緊急援助
 アフリカ開発の課題とその取り組みなどを駆け足でお話しして来ましたが、後半は、私の専門分野の感染症や公衆衛生の経験を取り上げ、特に直近で関わったコンゴ民のエボラ出血熱の緊急援助などの場合には、歴史的背景や根底にある開発課題がどのように影響するのかということをお話ししたいと思います。私は2年半のコンゴ民の滞在のうち、3回もエボラ流行を経験しましたが、2018年8月からは始まったコンゴ民主共和国の東部北キブ州におけるエボラ出血熱のアウトブレークは、現在までに1600人以上の死者が報告され、2014年の西アフリカのアウトブレークに続く、史上2番目に大規模な流行となっています。1年が経過した今でも決定的な打開策が見出せておらず、封じこめが難しい状況が続いています。

エボラのような感染力の強いウィルスの場合は、大都市に広がらないように小さな地域で早期に封じ込めることが感染症対策の第一戦略ですが、マバラコという小さな村で死亡例が出始めた去年の5月ごろは、給料未払いに抗議して地方保健省のスタッフが出勤していなかったため、その報告が遅れ、ようやく症例が確定され、正式なアウトブレークが発表されたのは8月1日のことでした。この報告の遅延も、コンゴ民の脆弱な保健システムが如実に現れた一例と言えます。さらに、流行の中心地となる北キブ州は人口700万人の密集地で、その3分の1が地下資源の採掘地となっています。資源をめぐる25年続いた内戦後も、東部では未だに100以上の武装勢力が活動しており、治安が悪いためなかなか援助開発者の立ち入りも難しく、支援が届かない地域でもあります。しかし、地形や治安が悪いながらも、隣国のウガンダ、ルワンダ、ブルンジなどとの国境を超えた人や物の移動も活発に行われ、今回のアウトブレークにおいても、流行の広がりが南の大都市に南下していき。商業の中垂都市であるブテンボ、100万人の国際都市ゴマにも流行が広がって、隣国ウガンダでも数件ですがエボラが報告されています。

通常、エボラの最初の症例が確定されると、保健大臣が緊急事態を報告し、直ちに国家、地方の両レベルで緊急対応技術委員会が設置されます。緊急宣言が出されると、ドナーや援助関係者、保健省などの関係者が、サーベイランス、コニュニケーション、調達などの7つの専門分野に分かれてチームを組み、組織を超えて一緒に仕事をしていきます。ミーティングも毎日何度も行われ、成果を確認しつつ、感染の状況に応じて優先順位や戦略の改定をしていきます。わたしは移民を専門とした国連組織に所属していたので、サーベイランスの委員会の中でも国境管理や検疫強化のサブ委員会の調整をリードしていました。

アウトブレークが起こると、国境だけでなく、流行地からほかの主要な都市へ感染が拡大しないように、ルートを遮断するようなポイントに臨時で検疫所を設置します。日本の成田空港で想像するようなサーモカメラで通るだけで自動的に体温を測るような効率の良い検疫ではなく、ワンタッチの体温計を使用し検温、体調の問診、行き先などの確認を行います。コンゴ民は、9つの国と国境を接し、陸路、水路、空路で国境が通じているほか、正式な国境ポイント以外からの抜け道も多く、多くの人は非正式ルートを使うため、移動を把握することは容易ではありません。また、こちらの写真をご覧になっていただけるように、国境ではものすごい数の人がいろんなものを頭や背中に背負って国境を越えるため、検疫の動線を作るのも一苦労です。それでも定量的、定性的データの収集を行い、人口移動の経路とボリュームを把握し感染経路と拡大の予測を立て、ハイリスクな場所には、臨時の検疫所を設置し、24時間の検疫に切り替えるなどをして検疫強化をするわけです。また、国境管理のもう一つの重要な役割として、隣国とのコーディネーション会議をもち、ハイレベル、技術レベルにおける情報共有と共同した対策の強化をしていくわけです。また、エボラは感染力が強く拡大も早いことから、緊急活動の体制をいかに素早く組め、感染が移り変わるごとに体制も柔軟に変更していけるかが鍵となります。私がリードした22名のエボラ緊急対応チームも、医師、疫学、水・衛生、調達、コミュニケーション、アドミニストレーションなどで構成されるチームを編成し、保健大臣やドナーとの調整をする首都のキンシャサのチームと流行地で現場の対応を行うチームを分けて活動を管理していました。しかし緊急対応開始後から現場では度重なる襲撃と阻害を受け、設置した検疫所が夜のうちに壊されたり、国境なき医師団が運営する治療センターなどは火災の襲撃で焼き払われるなどの襲撃も続きました。この地域はもともと武装勢力が多く活動し、治安が悪いことに加え、長年の紛争により政府や国連に対する住民の不信感が強く、政府や外国人が多く関与するエボラ緊急支援もその例外ではありません。治安の悪い場所でようやく援助活動ができるような体制を整えても、周りの住民からの襲撃が止まないわけことも多々あるわけです。「エボラは外国人が持ち込んだ疫病」「治療センターに行くと体をバラバラにされる」などの信じこみが未だに根強く残るため、脱走したり、家族が取り返しにきたりと、我々が想像もしないことがドラマのように次から次へと起こるわけです(笑)。先に触れた、脆弱な保健システムや、人の移動に加えて、このような社会習慣、コミュニティの不信感などが加わり、未だに決定的な対策が見出せておらず、封じ込めが難しい状況が続いています。

ジレンマとやりがい
 我々が仕事で扱う貧困や途上国の問題のスケールは気が遠くなるほど大きいと感じることがよくあります。国際援助が国の成長を抑制してしまう危険性もある上に、先のエボラアウトブレークの例にも見るように、決定的な解決策が見出せなかず、成果が思うように出ないことも多く、支援が常に喜ばれるとも限らないわけです。また、このような仕事は、多数の組織との調整が必要となり、組織を超えたチームワークと高い外交的なスキルも要します。さらに緊急支援対応は、先が予測しにくい状況が続き、スタッフの継続雇用や、安全確保、メンタル、体力の持続も難しいことも多く。それでも、国際協力の仕事の面白さは、目の前のイシューだけでなく、根底にある社会問題、背景も考えながら取り組むことにあると思っています。一度知ってしまったらほっとけないことがますます増えてきました。多国籍の人々との関わりや一体感、世界の変化を現場で体験できることもこの仕事ならではだと感じています。また、途上国では、歴史や社会に翻弄されながらもたくましく生きる人々との出会いが多く、圧倒的に恵まれた自分の育った日本の環境をありがたく感じるとともに、だから自分も頑張らねばと勇気付けられることが多々あります。

アフリカを経験して
 アフリカを経験して、欧米諸国による植民地の歴史やアフリカ関与の背景を実感として理解することができるようになり、米国偏重の日本人が“欧州的視点”を持つ機会にもなりました。また、植民地であった国を経験して、支配された側の視点も見えてくるようになりました。

凄まじい中国のアフリカ進出
 私がアフリカに関わるようになり10年以上が経ちますが、どの国に行っても中国の大規模な進出が見受けられました。中国は景気減速などの苦しい立場にありながらも、アフリカ諸国との関係強化を優先し、向こう3年間で6.6兆円のアフリカ支援を表明しています。アフリカ諸国にとっては、債務返済能力が追いつかず、負債が増大するリスクも承知で、中国支援によるインフラ投資の資金確保を図りたい。他方、中国側は、アフリカの地下資源の獲得、新興国としての需要の取り込み、さらにトランプ政権以降の米国の孤立化は、中国にとってはドル基準の影響を受けない経済圏拡大を目指すなど、経済圏展開のチャンスであると捉えていることが明確です。私が赴任していたコンゴ民においても、前大統領ジョセフカビラ氏は中国人民解放軍国防大学へ留学の経歴があり、国連コンゴ民主共和国ミッションへ中国人民解放軍の平和維持部隊を派兵し、さらに中国企業モンブデンは世界最大の銅コバルト鉱山を買収するなど積極的な経済投資も進めています。

TICAD7に向けて
 アフリカ開発会議は日本が主導で立ち上げて1993年から現在まで3年ごとに開催されており、前半(1993-2008年)は、貧困削減、人間の安全保障、国家開発などがメインに議論されましたが、2008年以降は、アフリカの高度成長に伴い、経済成長と民間投資の促進が関心の的となってきました。今年も8月末に横浜で7回目のTICADが開催されることを機会に、今後のアフリカ開発における日本の役割は何かを見直すきっかけになるでしょう。積極的なアフリカ進出を進める中国とは戦略的な棲み分けを模索し、長期の視点にたってアフリカ開発に資する支援に注力すること。また、日本はアフリカとは歴史的な直接のつながりは薄いとはいえ、グローバルの戦略に沿いながらも、アフリカ諸国との独自のつながりを持ち、支援の戦略を打ち立てていける時期に来たのではないでしょうか。ご静聴いただきありがとうございました。

芳野 あき(よしのあき) 国際協力/公衆衛生専門家

 

GJ研究会:6月部会報告「Flawed Giant-Lyndon Johnson”欠陥のある巨人“リンドン大統領」

日時:令和元年6月15日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館 401号室
演題:「Flawed Giant-Lyndon Johnson”欠陥のある巨人“リンドン大統領」
講師:大井孝氏(東京学芸大学名誉教授)

大井氏が6月度定例会のテーマに“リンドン・ジョンソン大統領”を選ばれた理由は氏がフルブライト留学生としてコロンビア大学で政治学を学ばれていた時期とジョンソン大統領の任期中と重なって、リアルタイムでジョンソン大統領の“成功と失敗”を身近に見聞きしていて、記憶にも未だ鮮明に残っている事にもよるとのこと。

ジョンソンと言えば翌年に控えた大統領選挙の為ケネデイ大統領の再選をサポートすべく遊説のため訪れた1963年11月22日テキサス州ダラスで暗殺されたケネデイ大統領の後任として副大統領から横滑り大統領となったことで有名である。他方でジョンソンは、アメリカ人にとり悪夢ともいうべきあのヴエトナム戦争を拡大した大統領との悪印象が私達日本人には強く残っている。今回の講演はそのリンドン・ジョンソンがどのようにしてアメリカ合衆国の副大統領の地位に上り詰めて行ったかを、彼の生い立ちについて語ることから始められた。

ジョンソンは1908年。テキサス州のストーンウオールで生まれる。彼の両親は貧しい地域で農場を経営していて一時期父親は州議会議員をしていたが事業にも失敗、多額の借金を抱えてリンドン少年は幼少時代から貧困生活を強いられる。この経験が後に彼に、黒人やメキシコ人貧困者救済を志向させる。彼の生家には水道も電気も無く、彼の通った小学校は全校で一教室、教員一名のみ。高校通学にはロバに乘って片道三マイル。1924年高校卒業後は大学入学は落第で一時道路建設作業員などに従事。飲酒と喧嘩で逮捕歴もあり、相当な悪であった。19歳で改心し南西テキサス州立教員養成大学に入学。在学中に最貧困地区児童の小学校代用教員を経験。その後州議会で5期務めた父親の縁故を借りて1931年テキサス州出身の連邦下院議員の部下となり、ワシントンに移住。1933年3月4日FDRの政権発足。ニューデイール政策の柱の一つのNational Youth Administrationのテキサス州担当部長となる。

この頃からジョンソンは政治家の道に進む。1934年地元出身の富裕家庭の娘Landy Birdと結婚、妻の支援を受けながら1937年、28歳で連邦下院議員に当選,地元の貧困地域に電力供給やその他の 改善策を実施し、徐々に知名度が上がってゆく。1941年上院議員選挙に出馬希望するが民主党内の対立で失敗。下院議員を続ける。日米開戦後FDRが彼を下院議員のまま海軍予備役将校に任命、太平洋地域の戦況視察委員となる。幸運にも恵まれ生き残り、結果銀星章を授与される。

戦後、1948年テキサス州選出の連邦上院議員に選出され、二年後には民主党の院内副総務になり、1955年には上院の民主党院内総務floor leaderとなる。1957年アイゼンハワー政権下で“民権法”の成立に尽力。1960年の大統領選挙戦ではカトリックのケネデイは共和党候補者の現副大統領ニクソンと大接戦。ケネデイはプロテスタントのジョンソンを副大統領候補とすることで、南部諸州の支持を期待した。当時から大統領選挙では南部諸州が鍵を握って居り、結果として南部出身で、南部での知名度の高いジョンソンを副大統領として味方に引き入れたケネデイがニクソンに僅差で勝利しケネデイ政権が発足。

ジョンソンはケネデイ兄弟には田舎者と軽蔑され政権中枢には入れられなかったが、ジョンソンの方も上院時代のケネデイをさしたる実績もなく軽視していた。ケネデイの下でジョンソン副大統領は黒人青年の就職機会の拡大のために設置されたCEEO(Committee on Equal Employment Opportunity)の責任者となる。ケネデイ兄弟は1964年の大統領選挙ではジョンソンを副大統領候補として指名しない気配であった。

そしてケネデイ大統領は1963年11月22日テキサス州ダラスであの“悲劇”に遭遇し、ジョンソンは予期せぬ“大統領への昇格”となり、ジョンソン政権が誕生する。

ジョンソン大統領が先ず手掛けた政策はケネデイが暗殺前の10月に公共施設、公立学校、雇用での人種差別を禁止する法律案を下院の法務委員会で通過させるところまで進めていた、それらの人種差別撤廃と貧困対策の一連の立法に取り組む。

ジョンソン大統領が手掛けた政策は以下の通り。

“1964年公民権法案”に署名、“Great Society”を目指すべきことを宣言、”War on Poverty”対策と黒人たちの失業対策の一環として“Economic Opportunity Act”を議会に提案

その他、自然環境保護、消費者保護、新移民法、Medicaid , Medicare,など。

1964年11月ジョンソンは大統領選挙で当選。議会の議席確保でも民主党にとってはFDR時代の1936年以来の大勝利であった。ジョンソンはこの選挙結果に自信を抱いて更にGreat Societyの施策を拡大しようと望み、“教育・医療保険・天然資源保護・農業対策”の四項目の政策、中でも教育政策を最優先、貧困児童の教育を重視した。その後の二年間にジョンソンは200個の重要法案を議会に提出し、その内181を成立させた。その他、“新投票権法”も画期的な法案であったことを忘れてはならない。当時は米国経済が好調で五年連続でGDPが上昇し、1964年には減税も可能であった。

この様な輝かし実績の反面、ジョンソンはそのベトナム戦争対策の泥沼に陥った。1954年7月のジュネーヴ協定により、ベトナムからフランスは撤退した後でも米国はこの協定に反対し、南ベトナムの傀儡政権を支持し続けた。

アイゼンハワー、ケネデイの下では軍事顧問団の員数が増大し、引き継いだジョンソンも1964年に起きた「トンキン湾事件」を契機に本格介入の道を選び、米国の戦闘部隊も段階的に総計55万名以上になり、戦費も増大、1968年には第二次大戦以来最高額となる219億ドルの支出であった。連邦予算の75%近くが戦費または戦争関連の支出となり、教育・健康・福祉関連予算は12.2%となった。

上述の一連のジョンソンによる画期的な国内政策の実現の背景には内政面での進歩的な政策の実現との交換条件によるベトナム戦争の拡大があった。また米ソ冷戦下での「ドミノ理論」がジョンソン政権の「ベスト&ブライテスト」の思考を捉えていた事も事実である。

ベトナム戦争による戦死者も1968年には12,000人に達し、全米に反戦運動が巻き起こりジョンソン政権に対してはベトナム戦争への対応のまずさから、国民からの信頼感も失われて行った。結局、悪化したベトナム戦争の難問を抱えて、1968年3月31日にジョンソンは同年の大統領選に出馬しないことを宣言した。民主党の大統領候補者はロバート・ケネデイが有力視されていたが、ロバートが6月6日に暗殺され、結果副大統領のハンフリーが民主党の大統領候補となるが11月の選挙では僅差で共和党の元副大統領ニクソンに敗れた。

大井氏はジョンソンに対する二人の著名人の言葉を紹介することでこの講演を締めくくられた。その一部をご紹介します。

*ジョンソンの伝記作家Robert Dallek (1998年)

「・・・・あのジョンソンは少なくても一つの異論の余地のない勝利を内政上で挙げた。彼は南部諸州を国の経済・政治の主流の中に組み込むことに大きな役割を果たした。・・・・・南部の人種差別の撤廃は南部が米国の全国社会に再編入される事を意味していた。1960年以来、あの地域が享受してきた繁栄と過去六代の大統領の内、ジミーカーター、ジョージ・ブッシュ、ビル・クリントンの三名が南部出身であることがその点を示している。・・・・・・

ベトナムは大きな失敗であった。それは米国の歴史の中で最悪の外交政策であった。彼の大統領職は偉大な業績とすさまじい失敗、永続的な利得と忘れがたい損失、の物語であった。

・・・・1960年代の激情が鎮静化するとき、ジョンソンはおそらく、当時の米国の偉大さと限界とを忠実に反映した一人の大統領として想起されるだろう・・・・彼の成功と失敗と彼の勝利と悲劇の故に、注目すべき人物として。」

*米国ヴァンダービルト大学 歴史学教授 ジェファーソン・コウイは

「・・・・・1964年5月の演説でジョンソンは“我々のすべての人々に一つの豊かさの制度を作る為にあの一世紀にわたる努力が成功した”と宣言した。・・・・それは一つの豊かな時代に向かう一つのヴイジョンであったが、それはFDRの行った、基本的・物質的安定の保障の協調とは異なるものであった。しかしジョンソンの政策は国民の全般的な生活向上を目的とする様々な社会的・文化的改善の雪崩現象を実際に引き起こした」

(文責:畠山朔男)

 

GJ研究会:4月度部会報告 「バチカンが世界に果たす役割」

日時 2019.4.20
場所 国際文化会館 401号室
演題 「バチカンが世界に果たす役割」
講師 上野 景文氏(文明論考家 元駐バチカン大使)
1970年東京大学教養学部卒、外務省入省、1973年ケンブリッジ大学経済学部卒業(後年修士)、1999年在メルボルン総領事、2001年駐グアテマラ大使、2006-10年駐バチカン大使、2011-17年杏林大学客員教授、 主要著書「バチカンの聖と俗」(かまくら春秋社)、「現代日本文明論 / 神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)

①イントロダクション
外交官の仕事を通じ、長年にわたり、「文明とは何か」、「日本とは?」につき想を巡らして来た。今は「文明論考家」として発言している。キリスト教は、西欧文明の根っこを形成するが、バチカンそのものがひとつの「文明」をなしている。日本ではアニミズムが強く、ものごとの本質は、黒か白ではなく、その中間の灰色のところにあると考える人が多い。無理に黒白をつけるのは「不自然」と考える。アニミズムは「超多神教」と言えるが、このアニミズムを語る自分としては、対極にある「一神教」の総本山であるバチカンに乗り込んで「文明対話」を行いたいと考え、赴任させて貰った。バチカンでは、「Buddhistic Shintoist」 と称して「対話」したが、バチカンは、優秀な頭脳が多く、思った以上に「知的刺激」に富む。

②国家としてのバチカン
バチカンは2つの国名――HS(Holly See:法王聖座)、VCS(バチカン市国)――を有する。HSは、2000年の歴史性(継続性)と世界性を有する。カトリック世界の司令塔であり、法王がその権威と権力を掌握。他方、VCS。イタリア国王が伊統一に際し法王領を取上げたこと(1871)から、法王はその後60年に亘り伊国王との関係を断った(ローマ問題)。結局、1929年のラテラノ条約により「講和」が実現。VCSは、この時出来た国であり、HSを安置する「受け皿」のようなものであるが、90年の歴史を持つに過ぎず、HSのような世界性もない。なお、外交を手掛けるのはHSであり、VCSではない。HSは、宗教機関でありながら、国家でもあると言う意味で、「二重性」を有する(以下、本日は、HSと言うべき場合も、便宜的にバチカンと呼ぶ)。

③宗教機関としてのバチカン
宗教機関は、総じて、分裂する傾向が強い。その中で、世界性と歴史性を維持しているバチカンは、「特異」な存在。この点を理解するカギは、法王の「絶対」性。法王は「神と人間の中間的存在」。この法王の権威の下に、カトリック世界は「統一」、「一体性」を維持して来た。

④法王の悩み、バチカンの問題点
バチカンの直面する最大の問題は西欧などの「世俗化」、「教会離れ」。特に西欧圏はその傾向が強い。たとえば、フランスでは、この60年間に、司祭の数が1/10に激減。カトリック教会の将来は、中国、インドなど、非西洋圏がカギを握る。ところが、バチカンでは、依然として、「バチカン中心主義」、「欧州中心主義」が強く、保守性が強い。この保守性を改めるべく、第二バチカン公会議(1962-65)で大改革を断行した(例えば、典礼はそれまでラテン語で行われていたが、各国語で行なってよいと言うことになった)。加えて、ブラジル、グアテマラなどで、カトリックのシェアがプロテスタントに食われていると言う問題もある。

⑤フランシスコ法王の登場
現フランシスコ法王は異例づくめの人。初の南米出身者であり、初のイエズス会出身者。その意味で、カトリック世界の「周辺」を体現する人物。法王は、文明的レベルで、4つの挑戦を志向―――(i)「聖職者中心主義から「信者中心主義」への転換、(ii)「排除の論理」から「包摂の論理」への転換、(iii)「北」から「南」へのシフト、(iv)「現代文明」批判(米国流グローバリズム批判、環境問題を巡る「北」批判など)――している。イエズス会士的DNAが、そうさせている面もある。

⑥法王の国際的「存在感」
法王の国際的な存在感の根っこには、4つの力がある―――(i)メッセージ力(=平和の宣教師、モラル・オーソリティ)、(ii)権威の力(バチカンは 西欧の「奥の院」)、(iii)数の力=13億人の信徒、(4)外交の老舗であること 。因みに、ブッシュは7回、プーチンは4回(当時)「法王詣で」。ブレアは、法王のメッセージ力の活用に腐心。西洋以外でも、イランも法王の利用に腐心。中国のバチカンとの「暫定合意」(2018年)も、法王の権威を利用しようとの計算によるもの。

⑦宗教間対話
法王は、宗教対話にも熱心。「キリスト教対イスラム教」の対立と言う構図を持ち出す人がいるが、本来問題なのは、「反宗教勢力」と「伝統的宗教人」との対立。イスラムもキリスト教も等しく「反宗教勢力」の被害者。

⑧法王訪日
38年ぶりの法王来日。貧困、過剰消費、環境、移民などの問題につき、強いメッセージが発せられよう

⑨日本人から見たカトリック
バチカンで、ある長官と遠藤周作の話をした。遠藤の小説「深い河」の主人公(神学生)がフランスに留学した際、(日本人は自然を大切にするのに対し)西欧人は自然にきつく当たる、とこぼしたところ、かれらから「君の信仰は汎神論であり、キリスト教ではない」と批判された―――と言うストーリーを紹介した。すると、長官は、「それはフランスのカトリックだ。イタリアでは違う。アッシジの聖フランチェスコは、鳥、花はもとより、風にまで語りかけたではないか!!」とのコメントをくれた。

⑩西洋では、民主主義・人権は「宗教」
日本は西欧と理念、価値観を共有するというが、無邪気にそう言うのは問題。日本人は、外国で(人権蹂躙などの)不正義が行われても、不愉快にならない。西欧人の場合、不正義の報を聞くと、宗教的パッションに火がつき、「怒る」人が多い。つまるところ、日本は(西洋から)理念こそ輸入したが、宗教的パッションは輸入しなかった。

質疑応答も含め、大変含蓄に富んだお話をしていただき、その後の懇親会でもさらに興味深い話を伺った。(文責 塚本 弘)

GJ研究会:2月部会報告「Open Government, Open Data. Open Governance」

日時:2019.2.9  13:30~16:30
場所:国際文化会館 401号室
演題:「Open Government, Open Data. Open Governance」
講師:奥村裕一氏 (東大公共政策大学院教授、元通商産業省官僚)

1)オープンガバメント
近年世界各国でインターネットの双方向性を活用することで積極的な政府・地方自治体の情報公開(オープンデータ)や行政への市民参加を促進する「政府のオープン化(オープンガバメント)」が急速に進展している。講演はオープンガバメントの歴史から始まった。 インターネットの普及を背景に米国のオバマ政権(2009年)の初署名がオープンガバメントのきっかけを作り、その実施について3原則が策定された。

①行政の透明性 ②国民が行政に参加 ③行政と国民が協働

この制度で強調されたことは米国の民主主義の強化と政府の効率性や有効性の向上であり、 このトレンドはこれからの政府と行政のあるべき姿として世界的に受け入れられた。
特にEUや日本でも「オープンガバメント」を積極的に推進している。

2)オープンデータ
行政が持つデータを民間へ積極的に公開する流れが急速に高まっている。 行政が持つデータは個人情報など情報公開法で不開示となっている情報を除き、全て市民と共有する。
これがオープンデータの原則である。 2013年G8サミットで「オープン・データ憲章」が合意された。 オープンデータは世界の潮流になっている。

オープンデータの基本形は
①オープンデータを政府・自治体の標準とする
②データの量と質を改善 ③全ての者に利用可能とする

その目的は、データを公開することは民主主義プロセスの強化であり、民間のデータ活用はイノベーションにつながり、産業育成になる。
日本政府は平成28年度に「官民データ活用推進基本法」を定め、政府及び地方自治は「オープンデータ」に取り組むことが義務づけられた。 この取組により、国民参加官民共同の推進を通じて諸課題の解決、経済の活性化、行政の高度化、効率化などが期待されている。近々、次期国会に向けて「デジタル・ファースト法案」が検討されており、今後デジタル化が急速に進展することが予想される。

3)ポリシーラボのアプローチ
「オープンガバメント」を実現するための新しい政策形成の手法である「ポリシーラボ」が潮流になっている。 英国、デンマーク、米国でこの手法が普及しており、日本も導入を考えている。 行政の政策形成の新しいアプローチで「デザイン思考」と言う新しい手法で課題解決を考える。「デザイン思考」とは人間中心デザインのプロセスを行政サービスの経営に取り入れ、 行政サービスをより人にとって共感を得られるサービスにデザインすることである。ポリシーラボの考え方は日本の地方自治体にも影響を与え、滋賀県は行政運営の政策形成にデザイン思考を活用している。県知事が率先して「県民の本音を起点にした共感に基づく政策形成」を小冊子で発表している。

4)オープンガバナンス
奥村先生が自ら実践している地方自治体がオープンデータを活用し、地域課題を解決するコンテスト「チャレンジオープンガバナンス(COG)」が2016年から毎年開催されている。 全国の地方自治体から市民/学生に解決してほしい地域課題を募集し、デザイン思考やデータ分析を活用して課題を掘り下げ、自分達で解決策に取組むことを基本としている。 2018年度は38自治体から応募があり、今年の3月に最終公開審査と表彰が行われる予定。
過去のコンテストで入賞した色々な解決アイデアが披露され、中でも川崎市の地域全体で子育てを応援する街作り「ファミリーサポートから里親へ」の感動的な課題解決の話は印象に残った。今年も素晴らしい課題解決のアイデアが出ると期待している。
(文責: 小泉勝海)

 

GJ研究会:11月部会報告「多角的貿易体制の直面する問題点」

日時:2018年11月17日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401号室
演題:「多角的貿易体制の直面する問題点」
講師:小田部陽一氏(元在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部
特命全権大使)

要旨: 日本では、日EU EPATPP11、についての明るいニュースがあるが、国際的には、トランプ政権によるアメリカファースト政策により、貿易戦争とも呼ぶべき状況に陥り、WTO(世界貿易機関)も危機に直面している。こうした状況もあり、世界経済見通しも下方修正となっている。
 「強固で持続可能かつ均衡ある成長」実現のため、貿易の役割が大きいことは言うまでもない。戦後、世界貿易については、GATT8回に及ぶラウンド交渉を経て、1995年にはWTOが発足するなど、着実に進展し、加盟国も当初の23から165になった。しかし、先日のAPECの会合に見られる通り、「多角的貿易体制」という言葉を入れることに米国が反対して宣言がまとまらないという異例の事態が生じている。米国の通商拡大法232条による鉄鋼、アルミ製品への追加関税賦課決定、自動車、同部品への追加関税検討、さらには、通商法301条に基づく対中追加関税など、いわば、無法状態ともいうべき状況は大変憂慮される。同時に、中国についても、知財権の取り扱い、国営企業への補助金など、問題が多い。
 WTOについては、その三本柱の各々が挑戦を受けており、改革が必要。まず、貿易自由化については、WTO発足後限られた成果しか無く、また、ドーハラウンド交渉は頓挫。その理由の一つとして、加盟国が多すぎて、コンセンサスが得られない点があり、この解決のため、案件によっては、一部の国の賛成でも合意可能とすること等が議論されている。また、中国等の新興国の負うべき義務という大きな問題がある。第2に、協定履行の監視について、通報制度がきちんと実施されていない点がある。最後に、紛争処理メカニズム である。これが一番深刻である。現在、上級委の7名の委員のうち、在籍は、3名。これは、米国がこれまでの裁決で、同国の関心案件で敗訴することがあったため、委員の再任をブロックしていることによる。来年2人が、改選の時期に当たるため、これが拒否されると、残るのは、委員ただ1人となり、機能不全となる。。
 また、WTOでの交渉が進まない中で多くのFTAができたが(日本も、既に、17件のEPAを締結)している。各々の関係が複雑になり、しばしばスパゲッティ ボールと呼ばれるが、自分は、TPP,EU EPAは、将来の貿易体制の階層となる、いわば、ラザニアとなることを期待している。

かってアンチグローバライゼーションの動きあったが、今は、グローバルサプライチェーンの時代。多角的貿易体制こそ、今後の世界にとっても、日本にとっても、重要。先日、来日のアゼベドWTO事務局長と食事の際、「自由貿易は、空気や水のようなもの、なくなったときに、その貴重さが分かる」と話したところ、その後パリで開かれた第一次世界大戦終結100年記念平和フォーラムのパネル会議で、この言葉を紹介したとのことであった。

その後、米中問題、中国の行方、カショギ氏の殺害、日露関係など幅広い問題につき、活発な質疑応答を行った。
(文責 塚本 弘)

 

GJ研究会:9月部会報告「日本の通商政策とアセアン」

日時:2018915日(土) 13:30~14:30
場所:国際文化会館
演題:「日本の通商政策とアセアン」
講師:岩田 泰 氏(経済産業省通商政策局総務課長) 

米国のトランプ大統領か世界に向かってグローバル化を拒絶し、持論の保護貿易など「米国第一主義」を主張し続けている現在、我が国にとり今ほど近隣友好国のアセアンとの関係強化が国策としても重要になって来たことはない。経済産業省の組織の中の中枢とも云える通商政策局の総務課長として、また広く培われたキャリアからの視点でお話を頂いた。 

<最近の通商情勢>に付いて’80代貿易問題が世界的に吹き荒れていた時、グローバルに問題を解決する為にGATTがあり、次に来るメカニズムとしてGATTウルグアイラウンドが’86に始まり延々と続いたが‘95WTO設立につながった歴史を振り返ることから講演の口火を切られた。

ウルグアイラウンドがなかなか収束しなかった時期に、それを補完する意味で地域ごとに纏まって貿易の自由化をやろうとNAFTAEUが誕生した。アジアに目を向ければAFTAASEAN自由貿易地域)が’92に合意に達した。当時、米国のスーパー301条がよく議論になっていたが、現在は再び米中間の紛争が政治問題化している。

WTOが設立されてからは通商問題が政治問題化しないようになってきていたが、その間、日本のアセアン各国に対する通商政策は、主に*経済協力と*既に進出していた多くの日本企業に対する事業環境整備である。アセアン各国同士の経済格差のみならずアセアン各国の国内でも格差があり、国によっては国内産業保護を主張する声と自由貿易推進を主張する声との対立が見られたが、アセアン各国のリーダーは、強い意志で繋がって協力し合い共同体を創って行かなければ生きていけないという問題意識の下、強い政治的リーダーシップで共同体設立に導いた。ASEAN(Association of South East Asian Nations)は、「Association」という名の通り、緩い協力関係の構築を目指すものであった。アセアンが設立された’67当時の東南アジア地域では、ヴェトナム戦争が続いており、中国での文化大革命の影響も広がりを見せていた。アセアンは、当初インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの5カ国で設立されたが、互いに仲が良かったわけではなかった。ボルネオ島のサバ・サラワクの領土を巡ってインドネシア、フィリピン、マレイシアが争奪戦を繰り広げており、またシンガポールは’65にマレーシアから独立したが当時の首相リー・クワンユーとマレーシアの首相マハテイールとは反目しあっていた。自分達も喧嘩ばかりしないで外敵(共産主義国・中国)に対して立ち向かおうではないか(当時ASEANは反共の団体と言われていた)、当時は特別に経済の為でもなく、崇高な目標を掲げていたわけでもなく、兎に角仲間内の喧嘩は止めて一つになろうとしたのが’67にできたASEANであった。アセアンが纏まることによって大国に対するバーゲニング・パワーが持てるし自分達が中心となって世の中を泳いで行こうというのがアセアンの基本的な考えであり、最近耳にするようになってきたASEAN Centrality の考え方にもつながっている。

ASEANは、一朝一夕で今日のような共同体になったのではなく、輸入代替工業化の動きー>輸出志向工業化―>FTA->共同体へと紆余曲折しながら発展して行くのである。

アセアンの経済発展の流れに相俟って日本の関わり方も変わって行く。アジアが貧しかった頃は経済協力が主体であった。’90代にGreen Aid Planという、環境に着目したした経済協力があった。また進出した日本企業の原材料の現地調達の必要性に対してはサプライヤーを育てる目的でサポーティング・インダストリー協力を行った。アセアンの経済が徐々に発展してきた2000年代には、次の段階である“経済連携”へと進んでいった。2002年にシンガポールとEPAを結び、順次、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、ヴェトナムとも結び、ASEAN全体ともEPAを結んでいる。ある程度EPAが進んでくると、お互いの市場を解放し合い、自由貿易を享受し合い、伸び行くアセアンの活力を民間ベースで日本の中に取り込んで行く段階に入ったと言える。次が産業協力の段階である。

日本がアセアンとの間で最近進めているスタートアップ協力の一環として、Start Upを使って日本のヴェンチャーがアセアンで活躍できるように支援し、また起ちあがった企業のスケールアップを図る様に地元の財閥や有力企業と手を組む事など仕掛けてバックアップを行っている。また、日本が既に直面している課題でアセアンが今課題となってきているAging Society,環境問題など、先んじて直面した日本の経験、知恵やknow howを活用できる面があるのではないか、と政府間交渉に留まらずビジネスと一体となった協力にも力を入れて取り組んでいる。

講演の最後に岩田氏が10年前に3年間総務部長を務めたERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)について紹介された。ERIA20086月に東アジア経済統合推進のため、政策研究・提言を行う国際機関(「東アジア版OECD」)として日本が主導して設立した。
参加国はアセアン10カ国プラス日本・韓国・中国・インド・豪州・NZの6カ国(RCEPと同じメンバー)で、本部をジャカルタに置いた事が重要な意味を持つことになる。

この機関の運営は日本人が主体に行っているが、ジャカルタにいてアセアン外交の事を考えている人達がアセアンと共に考える、経済統合や貿易自由化を進める為の知恵袋として“一緒に考えよう”として創った組織である。通商交渉というとどうしても国対国の交渉で勝った、負けたのイメージが強いが、今やアセアンとの関係を考えるとき勝った、負けたではなく、皆がこの地域で勝つ為にどうしたら良いか、こういうことを考える際に、ERIAのような組織の意味があり、日本にとって通商政策の一つのツールとしてERIAという組織を設立したことには大きな意味がある。

今年の7月1日RCEPの閣僚会議が日本で初めて行われた。RCEPの閣僚会合がアセアン以外の国で会議が行われたのは初めてで、歴史的な事である。会議の冒頭安倍首相が岡倉天心の言葉を引いて、「Asia is One」とアセアン閣僚の前で話された。

今や時空を超えて「人、物、金」がコミュニケートする時代であり、新しい時代の通商政策が益々難しくなって来ている。昔の様にただ単に経済協力するだけでなく、政府間の交渉をするだけでなく、ERIAの様な国際機関を創って、産業協力をしながら皆でこの地域でWinWinの関係になる様に地域の為に何が出来るか、通商政策の進歩がアセアンという場で問われている。

岩田氏が講演の中で話された重要な点が今年の1月出された「不公正貿易報告書」の巻頭言に掲載されているので、ご参考まで参照させて頂きます。

「特定国との貿易に関して自国に不利な結果が生じている事のみを理由にして、相手国の貿易政策・措置を不公正と評価する「結果志向」は、客観性が欠如し、管理貿易に転化しかねず、反競争的効果をもたらしかねない。各国の貿易政策・措置の「公正性」は、結果ではなく国際的に合意されたルールに基づき、客観的に判断されるべきであり、適当な国際ルールが存在しない場合には、まずルールの定立を期し、国際ルールなしに公正・不公正を論ずべきでないという「ルール志向」が、本報告書が提示し続けてきた「公正性」であり、我々の依拠すべき原理原則(principle)である。」

(文責:畠山朔男)

 

GJ研究会:4月部会報告「21世紀からの日本への問いかけ」

2018年4月14日(土曜日)
時間:14:00~17:00
場所:国際文化会館

講師:石渡慧一氏(経済産業省 貿易経済協力局通商金融課、
貿易振興課(併任)政策審議室課長補佐)
プロフィール:国際基督教大学(ICU)卒、東京大学大学院卒  2013年 経済産業省入省、経済産業政策局企業行動課配属  2015年 通商政策局アジア大洋州課
2016年 貿易経済協力局資金協力課
2017年 現職 続きを読む GJ研究会:4月部会報告「21世紀からの日本への問いかけ」

GJ研究会:2月部会報告「不安な個人、立ちすくむ国家」

*日時:平成30年2月17日(土)13:30~16:30
*場所:国際文化会館セミナーE室
*演題「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」
*講師:菊池沙織氏(経済産業省 経済産業政策局 知的財産政策室 室長補佐)
<プロフィール>
*平成25年4月 東京大学法科大学院終了後 経済産業省入省、
資源エネルギー庁資源・燃料部政策課
*平成26年7月 経済産業政策局産業資金課・新規産業 室・企業
会計室総括係長
*平成28年7月 大臣官房総務課 総括係長
*平成29年7月~現職 経済産業政策局 知的財産政策室
室長補佐

平成28年に「次官若手プロジェクト」に同年五月に同プロジェクが発表した報告書「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生きるか~」作成メンバーの一人でもある

<議事要旨>
経済産業省若手が、昨年5月に発表した報告書「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生きるか~」について、入省5年目の菊池 沙織さんから、講演していただいた。日本は、世界一の健康寿命を誇る国になったが、高齢者の多くは働く意欲があるのもかかわらず、働く機会がなく、テレビを見て過ごす人が多い。終末医療についても、自宅で最後を迎えたいと多くの人が希望しているが、実際は、病院で亡くなる人が多い。

アメリカやフランスでは、近年、終末医療の看護体制を整備し、自宅で最後を迎えられるようにしている。また、フランスでは、胃ろう などの延命治療を行わず、患者が望む自然な死に方を是認する文化が定着している。母子家庭の貧困率は、世界でも突出して高い。非正規雇用の年収は低く、貧困が連鎖、固定化する構造になっている。若者に活躍の場が少ない。一言でいうと、わが国の社会システムは、個人の選択を歪めている状況にある。こうした社会の仕組みを抜本的に組み替える時期に来ているのではないか。例えば、一律に「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ、子どもや教育への投資を財政における最優先課題に、「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力のある個人が担い手になるなど、を進めてはどうか。これにより、個人の帰属、つながりを回復し、不確実でも明るい未来を実現すべきではないか。2025年には、団塊の世代の大半が75歳を越えている。それまでに高齢者が支えられる側から、支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。そこから逆算すると、この数年が勝負。二度目の見逃し三振は もう許されない。

以上のような、菊池さんからの明快な提言を受けて、活発な議論を行なった。
終末医療については、患者が生きていることにより、妻が給付を受けるなどの事情もあり、そういったここの事情も配慮すべきという意見があったが、これに対し、制度設計においては、個人の選択を尊重しつつも、医療費の過重負担は、削減すべきとの議論もあった。子供を育てやすい環境をどう作るか。AIで、失業が増えるのではないか。ベーシックインカムの仕組みも検討すべきではないか。財政再建をどうするか。いずれの問題も、難しい問題であり、「公」に依存することなく、「民」の側からも、未来をどう築いていくか、一人一人の覚悟が必要ということで、議論を終えた。次回は、「21世紀からの日本への問いかけ」というタイトルで、同じく経済産業省若手の石渡 慧一さんから、世界と日本がどう関わるかという視点も含め、講演していただくことになった。(文責  塚本  弘)

<次回予告>
*日時:平成30年4月14日(土)13:30~16:30
*場所:国際文化会館、セミナーE室
*会費:@1,000円
*演題:「21世紀からの日本への問いかけ」
*講師:石渡 慧一

米欧亜回覧の会URL:http://www.iwakura-mission.gr.jp/
GJ研究会事務局:畠山朔男 hatakeyama@joy.hi-ho.ne.jp

GJ研究会:12月部会報告「IT大国フィンランドとシンガポールの同質性・異質性

*日時:平成29年12月16日(土)13:30~16:30
*場所:国際文化会館402号室
*演題:「IT大国フィンランドとシンガポールの同質性・異質性
―低成長下の幸福社社会か、高成長下の窒息社会か」
プロフィール:
1968年東京大学工学部都市工学卒、1968年通商産業省入省(塚本弘氏と同期入省                     1993年工業技術院技術審議官               1994年国際応用システム分析研究所(ILASA在ウイーン)同技術顧問(2009年まで)                    1995年東京工業大学院社会理工学研究科教授(経営システム・インステイチューショナル・イノヴェーション)          2009年同・名誉教授
2009~2016年シンガポール国立大学客員教授、                         2009~2016年フィンランドユヴァヌキュラ大学客員教授
2016年~同大学 研究教授

<講演要旨>
渡辺千仭氏のキャリアの中で2009年~2016年の8年間をシンガポール国立大学とフィンランドのユヴァニュキュラ大学の客員教授として過ごされ、今尚、ユヴァニュキュラ大学の研究教授としてご活躍されている氏が肌身で実感した両国の同質性と異質性に就いてICTの発達度(ITC世界ランク)と実質GDP成長率、幸福度・格差・出生率等との相関関係を示しながらIMF、World Economic Forum(WEF),The Earth Institute, ILO, WHO 等からのデータを駆使され、実体を浮き彫りにされた事は大変興味深かった。今回のテーマとなっているフィンランド、シンガポールがICT世界ランキングは1位と2位のデジタル先進国であるが、2006~2013年間の平均実質GDP成長率を見るとフィンランドが0.57%に対してシンガポールは5.85%と、説明された12か国中最も高いが、福祉・幸福度からは最低水準に位置し、反対にフィンランドは最高水準に位置する。スエーデン・ノルウエイ・デンマーク等北欧諸国はデジタル先進国に位置して居り、高福祉・幸福を謳歌するも何故かおしなべて経済は低成長である。これ等のデジタル先進国の、「低成長・高福祉」と「高成長・低福祉」の好対照は、デジタル経済化の「(GDPベース)成長の概念の変容」や「国民選好のシフト」に起因するのではないかと氏は指摘する。この点を氏は更に深堀して2013年と2016年のデータ数値の変化を示しながら両国の同質性の中でフィンランド、シンガポール共に初等教育、高等教育の質の向上に力を注ぎ、世界ランクのトップクラスに入っているのは両国ともに建国以来の政治的・経済的背景が起因していると氏の両国の“リーダーの足跡”の説明の中で触れている。ここでは詳細は省略するが気になる事は“人的資源”において2013年と2016年の比較ではフィンランドが2位―>1位に対してシンガポールは3位―>13位と落ちている。そして“国際競争力”においてはシンガポールが2位―>2位堅持しているのに対してフィンランドのそれは3位―>10位と低下させている。両国ともに初等教育・高等教育の質に於いて世界のトップクラスに位置しながら何故低下したのか?という疑問が湧く。氏はこの疑問に対して1)デジタル経済化の成長・競争力の概念が変わり、物差しを替えなければならないのではないか。2)ICTの高度デジタル化対応にシステムの齟齬があるのではないか。3)教育システムが高度デジタル化社会に対応していないのではないか。と答える。

別な観点から両国を比較すると、人口は両国ともに(2015年)5.5百万人と同じ、面積はフィンランドがシンガポールの約48倍、人口密度は(2013年)シンガポールの7,713(人/Km2)に対してフィンランドは18(人/Km2)であるが、フィンランドは生存を維持するためにコミュニケーション能力の発達の必要性から情報通信技術が発達したとも云えると氏は指摘。また、エネルギー自給率はフィンランドが50%(2011年)で原発及び世界初の核燃料リサイクル施設を保有しLNGや再生エネルギーに力を注いでいるのに対してシンガポールは1%(2010年)と化石燃料など殆ど輸入に依存している。大学進学率(含む短大)ではフィンランドが93%(2012年)に対してシンガポールは32%(2014年)と低いのには新たな驚きである。これ等の両国の差に就いて、氏は両国の“生涯教育システム”の違いにその解を見出す事ができると。即ちシンガポールでは幼児教育(生後2か月~6歳)から小学校に入る段階でテストがあり、ここの選定が生涯における進学の鍵となる。12歳で更に初等学校卒業試験を受けその結果で4年コースか5年コースに峻別され、16歳で普通教育認定試験に合格してジュニアカレッジに進学して上級試験を目指す17歳時に徴兵検査を経て2年間軍隊訓練に参加するが、進学者は延期も可能、いずれにしてもテスト、テストで、各段階で峻別され大学進学まで漕ぎつけるのは容易な事ではない。一方、フィンランドは0歳児~5歳児までの幼児教育含め、就学前教育、小・中学一貫教育(7歳~16歳)が全生徒に施され、17歳からの2年間、男子のみ兵役が義務付けられている。この2年間では礼儀作法やコミュニケーション能力が鍛えられ、それ以降の人間形成にも大いに役立つ。17歳からその後高校卒業資格試験として全国統一テストが行われ、その上に大学、大学院、博士課程と平等に道が開かれている。勿論授業料はただであり、給食費や図書費用なども奨学金でカヴァーされる。従って結果として大学進学率が高く、小学校の教師でも修士号を保有している事は普通の事である。氏の結論は、フィンランドの教育システムの狙いは①平等性②に生涯教育③分権化(自治体などに自由度を認めるなど信頼度が高い)に対してシンガポールの教育システムが歴史的に①生存のための教育であった事(1959~1978年)②効率的な教育に走った事(1979~1996年)③能力主義・上昇志向である事(1997年~)と指摘している。

前述したようにデジタル先進国の生産性低下について詳細説明へと話は進む。

デジタルサーヴィスから得られる「豊かさ」を「消費者余剰」ともいう。生産者余剰はGDPに織り込まれるが消費者余剰は織り込まれない。これを「非計測GDP(Un-captured GDP)」というが、この数値が年々増大傾向にあり、注目されている。

この理論を世界的に広めた3人を紹介。“The Great Stagnation(2011)の著述家Tyler

Cowen(George Mason Univ.),”The Second Machine Age(2014)の著述家Eric Brynjolfsson、MIT、Annie Lowrey(New York Times)彼女は“The Internet promotes a free culture, the consumption of which provides utility and happiness to   people but cannot be captured through GDP data that measures revenue.と述べている。

氏は計測不能=超機能(経済的機能を超えた)には「社会的・文化的・憧憬的・帰属的・感情的機能」があり、具体的には省エネ・Small is beautiful・エコ・クール・感性・PB・奉仕・詫寂など説明は進む。更にフィンランド、シンガポール両国がインターネット・非計測GDP・超機能が共進しながら、経済価値を超えた超機能を増大させ国民選好が変容して行き、またGDPの増大から非計測GDPの増大へとパラダイム変化を起こしている、と。ICTの総合レベル世界ランキングでは2013年以来フィンランドとシンガポールは1位と2位を分け合っている。主体別ICT利活用世界ランキングを見てみると個人使用では2016年はフィンランド6位、シンガポールが12位、ビジネス使用を見るとフィンランドが8位、シンガポールが10位、政府使用ではフィンランド21位、シンガポールは3位である。このことから見えてくることは、フィンランドはビジネス・個人主導であり、シンガポールは政府主導あること。また、ICTによる学習支援に関してはフィンランドが“生涯学習評議会(教育機関・労働組合・産業界・官公庁代表)主導で行っておりcustomer friendlyに対してシンガポールは”うるさい、いやならやめろ”式の教育省(MOF)が主導である点も興味深い指摘である。

氏は結論として次の5点を掲げ、本講演を締め括れられた。

  1. グローバルデジタルイノベーションは①デジタル化の進展、②パラダイム変化③国民選好の変容の3つのメガトレンドの共進サイクルの高度化シフトに符合
  2. フィンランドの低成長下の高福祉は、国民選好の超経済価値シフトに呼応する非計測GDP依存へのシフトに依拠。シンガポールの高成長下の低福祉は在来的なGDP依存共進サイクルへの固執に依拠。
  3. 世界的に消費選好が、超経済価値にシフトするなかで、フィンランドは低成長ながら海外からの収益を増大。逆にシンガポールは、高成長ながら国内収益を国外に流出。
  4. 政府主導の、多国籍企業依存イノベーションからの転換、官製国家形成軌道からの脱皮がシンガポールの次の発展の課題。
  5. フィンランドの全員参加型国家形成軌道は貴重な示唆。フィンランド自身も、世界の共進サイクルの高度化シフトを見据えた諸体系の再構築が緊要。                      以上(文責:畠山朔男)

 

GJ研究会:10月部会報告「グローバル時代をどう生き抜くかー最前線での経験を踏まえて」

 * 日時:平成29年10月21日(土)13:30~16:30

 * 場所:国際文化会館404号室
 * 演題:グローバル時代をどう生き抜くかー最前線での経験を踏まえて」
 * 講師:野口宣也氏
 * プロフィール:経済産業省には当会・副代表理事塚本弘氏と同期入省、
1996年退官
迄の28年間では重工業局、貿易局、生活産業局、工業技術院な
どで仕事され、
最後の五年間はアメリカ勤務を経験(1991年から3年間はサ
ンフランシスコで1994
年から2年間はニューヨークでそれぞれジェトロ所
長)最初の海外勤務は1977年か
ら3年2か月はパキスタン(イスラマバード)日本大使館勤務、1996年退官後日本IBMに入社、2005年までの9年間役員として勤務、退任。2005年から4年間は日本商品清算機構専務、2009年~2013年財団法人 日本車両検査協会理事長、退任

「グローバル時代をどう生き抜くか   最前線での経験を踏まえて」

学生時代、先輩から優を取るには、先生の説に逆らってはダメと言われていたのに、 丁寧に先生の説に反論した答案を出した。自信を持っていたのに、結果は良で、 ショック。通産省のとき、韓国の役人に輸出入取引法を教示。韓国は日本から実に多 くのことを学んだのに、今は平然と逆の証言をする。パキスタンに赴任前、外務研修 所で「政治と宗教の話をしてはいけない」「NOと言ってはいけない」と教えられた が、実際は全く違っていた。

OECD諸国書記官会議で米国のマハラック氏(その後駐日公使、駐ベトナム大使)と知り合い、親しく付き合った。(日経新聞 交遊抄)。特に、イスラマバードの米大使館焼き打ち事件の際は、外出できない彼を車の後ろに隠して支援した。アメリカのパキスタン政策は、原爆開発に関し援助を止めたり再開したり無定見inconsistentだった。出稼ぎ労働者の本国送金に頼らざるを得ないパキスタンの貧しさ、イスラム教学の高い評価を得ているパキスタンの誇り高さ。北朝鮮の外交官がエアコンを外交官特権で横流しする事件も当時すでにあった。日本の新聞記者のレベルの低さにも驚いた。園田特使の随行記者団に、パキスタンの記者との面談を設定しようとしたら、そんなことより麻雀卓を頼むと言われ唖然。また、パキスタンに出張してきた日本人新聞記者を自宅に招いて、パキスタン記者との議論の場を設けたところ、日本の平和憲法に関し、パキスタンの記者から、それで本当に自国の安全が 保てると信じているのかと追及され、しどろもどろになって説得できなくなった。 (出席者からのコメント。スイスに赴任した際、アパートを案内され、一番最初に連 れて行かれたのが、地下のシェルター。備蓄された食品を見せて、同じように準備し なさい、絶対に他人のものを当てにしてはいけないと言われた。自分たちで自国の安 全を守るのは当然なのに、日本は平和主義を口で唱えていれば大丈夫という幻想があ る)。

ビン・ラディンが射殺されたアッボタバードは、イスラマバードから50分ぐら いのところで、カラコルムハイウエーに向かう途中にある町で、何度も行った。パキ スタン軍は、決して親米的ではない。ジェトロ時代、赤澤璋一理事長からは「友と交 わるには須く三分の侠気を帯ぶべし。人となるには、一点の素心存するを要す」(洪 自誠の菜根譚)と教えられた。ジェトロサンフランシスコ所長のとき、相当米国通の 先輩が、米国の女性ジャーナリストから、ユー・ガイズ(you guys)と言われて逆上し たのに驚いた。カリフォルニアではごく普通の表現。トーク番組の面白さを知り自分 も出たいと思った。ニューヨーク所長のとき、日米自動車摩擦が勃発し、おかげで トーク番組にたくさん出演した。なかでもフィル・ドナヒュー・ショーで、思い切り しゃべった。アメリカ人はすべて白か黒かをはっきりさせたがるが、アメフトでも、 51対49と100対0では、勝ち負けの意味が全然違う。そんなことを日米自動車貿易摩擦 に絡ませてしゃべった。終わってから、ドナヒュー氏から、you did a good job と ハグされた。今に至るまで、日本の対外情報発信の絶望的不足には、がっかりしてい る。

日本IBMでは、アジアの代表としての意識を持って、頑張った。役所との関係に ついて、経済産業省との関係のために来てもらったわけではないとはっきり言われ、 利益相反の忌避が明確であることに感心した。現在価値を常に確認する人事評価、ス ピンアウトの奨励も印象的。日本国憲法については、第9条2項を削除し、国防軍を明 記すべし。高坂正堯著作集で高坂先生は「戦後50年だから、先の戦争への反省を述べ よと求められたが、そんなことは人倫の道に反する。いかなる戦争をしても、終わっ た後は、賠償と平和条約でピリオド。ノーサイド。」と述べておられる。高坂氏のよ うな現実的かつ柔軟な発想こそ現代に必要。米軍占領下で行われた厳しくかつ巧妙な 検閲について、明白な憲法21条違反だったが宮澤俊義氏は著書で一切触れず。(江藤 淳「閉ざされた言語空間」甲斐弦「GHQ検閲官」山本武利「GHQの検閲・諜報・宣伝工 作」では、GHQの検閲について辛辣な批判がある。)対中国では、「謝罪と反省が第 一」という伝統的な考え方は間違っているのみならず、日中関係の今後を考えるとき 非常に有害。日中間には「ゆがんだ鏡」が多すぎる。グローバル時代の現代は、同時 に複数の「正義」が併存する時代。それぞれの正義は対等で優劣つけがたい。だとす れば大切なのは、(1)自分の正義を明確に保持し主張すること(2)それでも自分と異な る正義を尊重すること(3)そのうえで両立できない異なる正義の間で折り合いをつけ る工夫をすることであろう。日本は(1)が決定的に不足しているのが大問題、これを 何とかしなければならない。(出席者から、日本の議論は、エッジがないことが多 い。バランス良くと考えているから、主張がはっきりしない。)日本のトーク番組は 中秋の名月を見上げて感想を述べ合う構造だ。そこには共感はあるが主張や対立がな い。(文責   塚本  弘)

GJ研究会:6月度部会報告「私の知っている孫正義+ロボットペッパー(Pepper)」

2018年6月16日(土)14:00~17:00
場所:国際文化会館 404号室
演題:「私の知っている孫正義+ロボットペッパー
(Pepper)」
講師:井上篤夫氏 & 布和賀什格氏(You Teacher CEO)

今年、アメリカのタイム誌は「世界で最も影響力のある100人」に孫正義を選んだ。ソフトバンクは最近、銀河系宇宙論をビジネスの世界に展開する「群戦略」を発表、世界一の企業群を目指している。孫正義は平成の渋沢栄一か? 岩崎弥太郎か?

「孫正義は一体どんな人物か。」当会員、作家で30年以上孫氏を追いかけ続けている井上篤夫氏に語っていただいた。なお、井上氏の講演の後、ソフトバンクの重要な戦略プロダクトの感情認識ヒューマノイドロボット:ペッパー(Pepper)についてモンゴル出身の起業家布和賀什格氏にAI時代のロボットアプリを熱く語って頂いた。

「講演要旨」
井上氏が最初に孫氏にインタビューしたのは30年前の1987年。その時の孫氏に衝撃的なオーラを感じた。 マイクロソフトの創業者ビルゲイツをインタビューした時に同じ様な強烈な印象を持った。孫氏は当時、既に自分達がナンバー1を狙うべき分野や業種、その将来性などについて理路整然と熱っぽく語っていた。孫氏は常に父親を尊敬しており、「親父から集中力、負けじ魂そして愚直さを学んだ。

親父は子供を心の底から徹底的に誉めちぎり、お前は天才だ! 世界一になれる。と言い続け子供のやる気を育てた。」と語っている。孫氏はアメリカが大好きで「アメリカに来るとワクワクして元気になれる」と常に言っていた。カリフォルニアのバークレー校に留学して猛勉強し、教授陣からリーダーになる素質があると高く評価された。孫氏は「僕を作ってくれたのはバークレー校だ。 ほとんど全ての事をバークレーで学んだと言っても良いかもしれない。」と語っていました。孫氏は、当時画期的アイデアである「電子辞書」の特許を取得したのはバークレー校在学中であった。この特許を売却した資金がその後のビジネス展開の源泉になった。最近、ソフトバンクはアメリカの携帯大手スプリント社を買収、サウジアラビア等と設立した10兆円規模の「ソフトバンクビジョンファンド」、「原発200基分。ソフトバンクとサウジアラビアが21兆円の太陽光発電計画」、英国の世界的半導体メーカー「アーム社」の買収、人型ロボットペッパーなどあらゆる物がインターネットに繋がる「IOT」にビジネスを展開。今や日本を代表する事業家と言っても良い。

しかし、孫正義はさらに大きい夢を持っている。「30年後にはグループ会社5000社、時価総額200兆円を目指す。300年先を見据えた経営をする。 世界一に向けて頑張ります。」と公言する。

「感情認識ロボットペッパー(Pepper)の活躍分野について」講師:CEO布和賀什格氏

人材育成について、ソフトバンク育英財団やソフトバンクアカデミアを展開。「高い志」「異能」をもつ若者の自らの才能を開花できる環境を提供して人類の未来に貢献する。 モンゴル出身の事業家布和賀什格氏はソフトバンクアカデミア出身の第1期生で孫正義氏と面談して選抜された。同氏はロボットペッパーのアプリ開発ベンチャー「You Teacher社」を立ち上げた。彼はこれからはAI時代で、感情認識ロボットペッパーの社会的活躍は多岐にわたり、介護、医療、教育、産業等あらゆる分野で活躍できると熱く語った。(文責:小泉勝海)

 

GJ研究会:9月部会報告「-私見―米中のはざまで期待が高まる日本の賢慮」

平成29年度9月グローバル・ジャパン研究会 定例会

  • 日時:平成29年9月16日(土)13:30~14:30
  • 場所:国際文化会館401号室
  • 演題:「-私見―米中のはざまで期待が高まる日本の賢慮」
  • 講師:栗原 潤 氏(国際政治経済研究者)

続きは会員サイト(要パスワード)にて

 

 

 

GJ研究会:7月部会報告「平成時代をふりかえる~天皇退位問題を中心に~」

7月度部会報告

  • 日時:平成29年7月15日(土)13:30~16:30
  • 場所:国際文化会館401号室
  • 演題:「平成時代をふりかえる~天皇退位問題を中心に~」
  • 講師:片山杜秀氏
    プロフィール:
    思想史研究者、音楽評論家
    2013
    年慶応大学法学部政治学科教授
    著書:「近代天皇論」(島薗進氏との対談、2017年集英社新書)
    「近代右翼思想」(2007年講談社選書メチエ)
    「未完のファッシズム”持たざる国”日本運命”」(2012年新潮社、2011年司馬遼太郎賞)
    「クラッシック迷宮図書館~片山杜秀の本3」(2010年アルテスパブリッシング)
    「見果てぬ日本~司馬遼太郎・小津安二郎・小松右京の挑戦」(2015年新潮社)
    他多数

     

    慶応大学教授片山杜秀教授から、以下のような講演、質疑応答があった

    平成元年は、1989年で、ベルリンの壁が崩壊した年。あれから、四半世紀が経った。

    ソ連型社会主義は行き詰まり、先進国の資本主義も格差拡大で、成長モデルを見失っている。そうした中で、中間団体と中間層が弱体化し、良識、常識、教養が崩壊しつつある。
    情報の多元化、劣化、発信源の無際限な拡大が促進され、価値観の局限化が進んでいる。

    日本では、自民党、民主党、都民ファーストなどが、圧勝しては、前との大胆な「切断」を作り出す。「切断」には、価値の問題だけでなく、人の問題もからむ。こうした経過の中で、国民という土壌が崩壊し、国民国家としてのまとまりが危うくなってくる。まとまり維持の最後の仕掛けが、宗教団体であり、国民の束ねの象徴としての天皇と言えよう。

    天皇像に関し、日本会議は、天皇の存在そのものが神聖としているが、今上天皇は、象徴として国民に承認されるためには不断の行為を通じ国民の理解を得ることが不可欠ということを平成28年夏のお言葉で明らかにされた。
    この「お言葉」ほど、戦後民主主義と象徴天皇との関係について、突き詰めて語られたものを他に知らない。
    民主主義の純粋型では、構成員のすべてが対等な民衆の一員であることが求められる。

     

    そこに「神」や「神」の片鱗を有する者がいてはならない。それでも民主主義世界に天皇がいるとすれば、その天皇は、人としてほかの国民から敬愛され信頼される特別な人であると不断に認証され続けなければならない。
    「お言葉」では、国民とふれあう行為を不断に続けることでただひたすら一個の人間として国民に認め続けてもらい皇位を保ちうる存在が象徴天皇であると述べられたと理解している。尊皇思想の中心であった水戸学の会沢正志斎は「新論」の中で、日本は、尊皇攘夷を目指すべきであるが、当時の国力では、欧米列強を追い払って、攘夷をやり遂げることは不可能なので、取りあえず
    文明開化をして、チャンスがあれば、攘夷をすればいいと提言している。

    そして、正に尊王攘夷の考え方で、太平洋戦争まで、突き進んで行った。その後、発展してきた今日の日本の中に、「神権的国家」「尊皇国家」の復活を唱える動きがあり、その方向で進むと、会沢正志斎の予言が二度当たるという
    ことになりかねない。これに、抵抗しているのが、戦後民主主義的象徴天皇像を突き詰めてこられた今上天皇その人であるように見えるところに、日本近代の壮大な悲喜劇があるのではないか。五箇条の御誓文の本質は、神がかった神国思想の否定だと思う。
    明治天皇の膨大な和歌も民と共感共苦をともにするお考えの表れであろう。

    「近代天皇論-「神聖」か「象徴」か」(集英社新書)の結語において、「象徴天皇制の虚妄に賭ける」というタイトルにしたのは、丸山真男氏が「戦後民主主義の虚妄に賭ける」と言ったことを踏まえ、ハードルは高くても、これに挑戦していくべきと思って、
    このタイトルにした。
    民主主義と天皇制は、究極的相性は、よくないだろう。
    しかし、近代民主主義国家として今のところもっとも長続きしているのは、極端に傾かず王室と民主主義政体を両立させてきたイギリスであるという歴史的事実もある。

    (文責 塚本 弘)

グローバル研究会:5月部会報告「国際社会から見た日本と今後の進路」

グローバル研究会:5月部会報告
日時:平成29年5月20日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401号
演題:「国際社会から見た日本と今後の進路」

講師:佐野利男氏 続きを読む グローバル研究会:5月部会報告「国際社会から見た日本と今後の進路」

グローバルジャパン研究会:3月部会報告「ガンデイーと近代~コンヴィヴィアリテイを軸として」

日時:3月18日(土)13:30~16:30
場所:国際文化会館401
講師:石井一也氏(香川大学法学部教授)

「近代」における人類による経済発展は、未曽有の物質的豊かさを実現したが、同時に資源の枯渇と環境破壊を伴い、幾多の生物種を絶滅に追いやるプロセスであった。本報告では、こうした時代におけるガンディー思想の意義をイヴァン・イリイチのいう「コンヴィヴィアリティ」(自立共生)の概念を軸に検討したい。 続きを読む グローバルジャパン研究会:3月部会報告「ガンデイーと近代~コンヴィヴィアリテイを軸として」