admin のすべての投稿

実記輪読会:11月度部会報告「第23巻 倫敦府の記 上」

日時:令和元年11月20日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム
内容:第23巻倫敦府の記 上 p64-p79 7月15日~7月30日 

7月16日 晴 午後1時 外務宰相ロートグランウェル宅訪問。ヴィクトリア女王はスコットランドの離宮に滞在中のため使節団は待つことに決定宰相宅のディナー待ちの間、ケンシントンの博物館を見学。

7月17日晴 駐日公使ハリー・パークスの誘いでブライトン(サセックス州の避暑地)へ。

7月17日晴 ロンドン市長が来訪。

7月23日晴 パークス、アレクサンダーの接待で汽車でグランドフォードへ。北白川宮、伏見宮が同行

7月24日晴 ブランドフォードで大演習見学後、ポーツマス市(英国海軍本拠地)へ

7月25日晴 マウンディ提督の官邸を訪問。昼食の接待を受ける。その後、デュークオブウェリントン号(海軍練習船)に乗船し人造石材製作現場(奴隷が従事)や造船所のドック建設を見学。ドッグ内で新発明の甲鉄艦(回転砲台を備えた砲艦)が砲撃実験で全くの無傷であったことからイギリスの海軍力に感服。その後ホテルへ。

7月26日晴 午後 ①港内係留の「記念艦ヴィクトリー号」(トラファルガー海戦の旗艦船)見学。提督ネルソンの遺品を見物しネルソンの鋭気を感じる。②ランチで「ミノトール号」(1868年完成の装甲船)見物 ③「ハーキュリーズ号」(1870年完成の甲装艦)見物 ④ノートン(港口の砲台)見物。その後宿舎へ。

7月27日晴 朝、陸軍の調練があった。司令官宅で昼食。その後兵営を一巡。夕方ロンドンへ。

7月28日 午後2時からリーゼントパークの西北にある動物園へ。園内の設備、飼育環境、飼育されている生き物の生態、生育地を細かく記述。野獣の購入費用の準備や飼育技術の必要性、動物の生育環境の整備を記載。この園の人気は欧州一で、その飼育技術の優秀さや種類の多さはオランダの動物園と並ぶが、猿類の豊富さと園内の森や泉の完備の点で勝るという。

(文責:遠藤藍子)

歴史部会:「岩倉使節団の群像」今後の予定

歴史部会では3年後の岩倉使節団派遣150周年記念企画として団員全て及び留学生、随員を含んだデータベースの構築を開始しました。毎回4~5名の団員、随員、留学生達を取り上げて「岩倉使節団の群像」として合計107名の人物論を数年かけて展開する予定で居ります。
既報の通り12月13日に最初の部会を開催いたしました。
1月の発表者は決定して居りますが2月以降は担当者が未だ決まって居りませんので、この人間を担当しても良いと思われる方は是非名乗りを上げて下さるようお願い申し上げます。

今後の年間予定は下記の通りです。()内は発表者
1月27日 (月)久米 邦武(小野)、安場保和(芳野)、中山 信彬
(吉原)、野村 靖(栗明)、内海 忠勝(小野)
2月25日 (火)大蔵省:田中 光顕(小野寺)、五辻安仲、
阿部 潜、沖 探三、池田 政懋、
3月30日(月)随行、大蔵省総括
4月 宮内庁:東久世 通禧、村田 新八、山田 顕義、原田 一道、
安藤太郎
5月 文部省:田中 不二麿、長与 専斎 、中島 永元、
内村公平
6月 文部省総括+森有礼、近藤慎三
7月 工部省:肥田 為良 、大島 高任  、瓜生 震 、川路 寛堂、
長野 桂次郎
8月 司法省:佐々木 高行: 岡内 重俊、中野 健明、平賀 義質  、
長野 文炳
9月 工部省、司法省総括
10月 後発参加:由利 公正、岩見 鑑造、長岡義之、河野 敏鎌、
鶴田 皓
11月 後発参加:岸良兼養、 井上 毅、益田 克徳、沼間 守一、
川路 利良
12月 高崎 豊麿、安川 繁成、西岡 逾明、小室 信夫、鈴木 貫一

以上

実記輪読会:12月度部会報告「第二十四巻「ロンドン市」ノ記 中」

日時:令和元年12月18日 13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム

明治5年8月1日(1872年9月3日)バッキンガム宮殿見学。ヴィクトリア女王はスコットランド避暑で不在、結果、使節団は12月まで滞在することになった。
2日パーラメント(国会議事堂)見学。英国国会は議院内閣2院制で上院(貴族院)は世襲貴族等で構成、非公選の終身任期制。下院は650名定員の小選挙区公選制、5年に一回の総選挙または解散による選挙で選出。下院議長は発言許可、秩序混乱時の議事中断、退場命令等絶対的権限を有し、時に「order(秩序を守りなさい)」と大きな声を発し議場を制する。
5日ウィンザー城、8日テームズ川を13km下流のウリッジの兵器工場、9日王室厩舎、10日ロンドンの西130kmのベーコンヒルに赴き大観兵式を見学した。

番外編【実記には記述なし】;「条約は結び損ない金取られ世間に対し何といわくら」と狂歌に謳われた大金紛失事件に触れる。アメリカから使節団と同船した高杉晋作の従兄弟でアメリカン・ジョイント・ナショナル銀行ロンドン支店長南貞助に当銀行への預金を唆され、使節団のメンバー(木戸孝允も)の中にも金を預ける者も出た、しかし銀行は破産、お金は帰って来なかった。使節団の資金を預かる大蔵省理事官田中光顕も預金を勧められたが、断ったので難を逃れた。この南貞助という人物、渡英後すぐにイギリス人妻と結婚し、1873年国際結婚が合法化された時には最初に外務省に国際結婚登録申請をした人物でもある。

(冨田兼任記)

実記輪読会:夏休み特集「教育現場における岩倉使節団の採り上げ状況」続編

「杉原氏校区研究授業(令和元年10月7日)を参観した教師の感想(まとめ)」

本年8月、実記輪読会夏休み特集「教育現場における岩倉使節団の採り上げ状況」で報告した広島県福山市駅家(エキヤ)東小学校教務主任杉原進氏より、10月7日に同氏が行った校区研究授業「岩倉使節団」を参観された教師の方々の感想文が当会に届けられたので、ここに紹介する。

〇児童の思考・疑問を引き出す資料構成、発問の仕方等教師の役割を再認識させられた
〇「驚き」「ギモン」等児童を没頭させる授業の流れ、テンポが素晴らしい
〇教材の深さ、情報量の多さを効果的に使い巧みにタイムスリップさせていた
〇考え、予測、まとめ、意見交換と児童が主体的にPDCAを実践していた

8月に同氏が当会にお越しになり行った模擬授業で当方も感じた、児童を如何に授業に引き込むかと考えている熱意、豊富な情報量と視覚に訴えるスライド、熱血漢あふれる授業姿勢が、そのまま感想文に寄せられていた。
このような授業が日本国中の小学校で行われれば、若い世代への「岩倉使節団」の啓蒙に資すると強く感じた次第である。

(冨田兼任記)

歴史部会:12月度部会報告「人物論1」

日時:令和元年12月13日 13:30~17:00
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム
内容:3年後の岩倉使節団派遣150周年記念企画の初回として大蔵省関係者4名を取り上げた。
1.富田命保(発表者:三須)
1865年 横須賀製鉄所建設計画を進めるべく渡仏・英
1871年 岩倉使節団に参加渋沢栄一の推挙で田中光顕理事随行として参加。
1875年 紅茶の輸出を図るべく南保と渡英。
1928年 77歳で死去、墓地は染井霊園。
富田日記については富田兼任さんが発表し、ワシントンでの行動や、大久保、伊藤の帰国に吉原と小松が同行との記載あり。
2.吉雄辰太郎(発表者:吉原)
長崎のオランダ通詞の家柄に生まれ、田中光顕の随員として参加。給料の支給を行った。富田日記には吉雄辰太郎(永昌)氏は紙幣製造管理という役目を命ぜられニューヨークに滞在することとなり田中理事官随行の役を解かれたとある。紙幣印刷監督としてNYのアメリカン・バンクノート・カンパニーに駐在した。帰国後は大蔵省紙幣寮に出仕し1875年にフィラデルフィア博覧会視察のために渡米。1894年に死去。
3.若山儀一 (発表者:栗明)天保11(1840)年、江戸の旗本・医師・西川宗庵の子として生まれる。フルベッキに就いて経済学を学び田中光顕理事官の随行として渡米、翌5(1872)年5月国租事務取調方として、大蔵代理事官心得を以て欧米諸国における研究を命ぜられ、10月更に、米国ニューヨークにおける紙幣並びに国債刊楊事務監督を命ぜられた。結局、明治7年に帰国するまでの3年間、欧米で税務・財政の研究にあたる。彼は国際結婚をした。明治24年死去。52歳。
4.今村和郎 (発表者:小野)
土佐藩高岡村の豪商の長男として誕生。
田中不二磨理事官随行として使節団に参加、役職は理事官随行・文部省中教授。
条約改正交渉を始めた本隊から離れて、1872年2月パリに入り、ジュネーヴ、ベルリン、サンクトペテルスブルグを回覧し帰国後ボアソナードと民法制定に尽力。
明治24年死去
(文責:吉原重和)

英書輪読会:10月度部会報告「Verbeck of Japan」

日時:令和元年10月8日 15:00~17:00
場所:日比谷図書文化館 4Fセミナールーム
内容:
Ch.Ⅵ Political Appheaval (政治の激動)pp.100-114を読んだ。

フルベッキが長崎に着任したのは、ハリスとの日米修好通商条約調印1年後の185911月だったが、条約の無勅許調印に端を発して日本の政治は激動していた。調印4カ月後には井伊大老が桜田門外で暗殺され、その後もハリスの通訳ヒュースケンの暗殺、英国公使館襲撃(第二次東禅寺事件)、生麦事件、薩英戦争と混乱が続いた。

長崎には遅まきながら居留地が整備されていたが、フルベッキは居留地外に住み続けていたため、懇意にしていた長崎港警備担当の佐賀藩家老村田若狭守から避難を勧告され、まずは居留地へ、その後上海へと避難した。

同地に4カ月滞在の間、フルベッキは米国長老教会印刷所美華書館のガンブルから活版印刷を学んだ。これが後に長崎で本木昌造がガンブルから活字鋳造や組版の講習を受け、日本における西洋活版術の始まりとなった。フルベッキは美華書館の出版する漢訳西洋書物の輸入頒布の役も担っていた。

なお、村田若狭守は聖書に大変興味を持ち、義弟綾部幸熙と家来本木昌造にフルベッキに差し向け聖書を学ばせた。村田と綾部は18665月にフルベッキから洗礼を受けたが、前年に横浜でバラから洗礼を受け日本最初の受洗者になった矢野隆山に次ぐものだった。(岩崎洋三記)

 

 

実記輪読会:10月度部会報告「第二十二巻「ロンドン市」総説」

日時:令和元年10月8日(火)13:10~14:50
場所:日比谷図書文化館4Fセミナールーム

明治5年7月13日(1872年8月16日)アイルランド・クイーンズタウン港着、少時停泊後出発、翌14日リバプールにて上陸後汽車にてロンドンに向かい、夜11時過ぎユーストン駅着、馬車にて宿舎の「バッキンガムパレスホテル」に向かった。

ロンドンは2000年前ローマ軍占領時代の「ロンデニウム(沼地、荒れた土地)」が発祥。今も金融の中心である「シティ・オブ・ロンドン」の辺りにその足跡を残す。西から東にテームズ川が流れ、最下流(東端)の「ロンドン橋」から「バッテラシ―橋」まで9つの橋が架かっていた。「ロンドン橋」の下流に当たる「タワーブリッジ」は1894年完成なので使節団訪問時はまだ無かった。ウエストミンスター寺院、セントポール寺院、バッキンガム宮殿、ハイドパーク、リージェントパーク等市内の名所を紹介、産業、人口、建物、交通(鉄道・乗合馬車)等を説明している。なお、当時地下鉄は既に運行していたが(1863年開業)、蒸気機関車牽引なので乗客は煤だらけになった、という。

(冨田兼任記)

 

GJ部会:11月度部会報告「株式会社にルネッサンス(人間復興)を求めて 」

日時: 20191116()13:30~16:30
場所:国際文化会館1F セミナーE室
演題: 株式会社にルネッサンス(人間復興)を求めて -最終講義-
講師: 上村 達男 早稲田大学名誉教授

 自分は、岩倉使節団のメンバーであった田邊 太一の長女花圃の夫である三宅雪嶺の子孫であり、本米欧亜回覧の会には、大変親しみを感じており、お招きいただき、ありがたい。今年、3月に早稲田大学を退任したが、1月に最終講義を行ったので、そのレジメを使いながら、お話したい。明治の先達は、海外の制度を日本に紹介する際、翻訳に苦労をした。フランス語で、会社は、ソシエテといわれ、そのメンバーはアソシエと呼ばれる。そこには、人間が集まって組織を作るという概念がある。英語のカンパニーも非営利が前提になっていた。

ところが、ここ30年ぐらいで、こうした会社の考え方が崩れてきた。株式会社は、ヒトが運営し、ヒトのために役立つものでなければならないのに、今は、資本というモノが支配する世の中になってしまった。高橋亀吉は1930年に「株式会社亡国論」で、特にその場主義の大株主の横暴と貪婪(どんらん)なる高配当欲が、その事業を著しく衰退させていると批判している。株式会社制度において、株式という仕組みによって、均一同質な単位となる資本市場の形成が可能となったが、これにより、株主という人格ではなく、株式という財産権によって、意思決定がなされることになってしまった。しかも、超高速取引株主は、ある瞬間だけ株主だが、そのような人に基準日では株主だったとみなすことは妥当か、匿名株主の権利を認めるべきか、(英国では、実質株主(real owner)情報開示請求制度がある。)など、人間疎外拡大諸要素も現れている。

こうした状況を放置すると、資本による人間に対する歯止めのない支配の横行を許すことになってしまう。フランスのジャック アタリ氏は、2030年には、国民の99%が激怒する社会がやってく ると述べている。欧州は資本の自由な活動にかなり慎重だが、アメリカはこれを放置し、日本もそれに従う懸念がある。

株式会社における人間復活の論理をいかに構築するかが重要である。その場合、議決権と配当請求権を分けて、前者は、人格権とし、後者は、財産権と考える発想がありうると考える。

近時の海外の動向はどれも人間を志向している。日本は、明治以来、各国の法制度を研究し、日本の実情に適合した法律を作った、いわば、比較法大国だ。今後、日本は経験「知」の不足を理論「知」で克服し、欧米が忘れている論理を新しい発想で掘り起こし、途上国の期待にもっと応えるモデルを構築すべきだ。

その後、質疑応答も大変活発に行われた。

(文責 塚本 弘)

 

GJ部会:9月度部会報告「イノベーション大国イスラエルとどう付き合うか」

日時: 2019年9月21日(土) 13時30分から16時30分まで
場所: 国際文化会館401号室
講師: 塚本 弘 日本イスラエル商工会議所会頭
米欧亜回覧の会副理事長
演題: イノベーション大国イスラエルとどう付き合うか

近年、イスラエルへの日本企業の進出が著しい。アメリカ企業は既に、著名な大企業がほとんどイスラエルに研究開発拠点を設置しており、イスラエルは、第2のシリコンバレーと呼ばれるほどだ。
なぜ、イスラエルはイノベーション大国になれたのか。5つの要因が挙げられる。

(1) 物怖じしない態度 粘り腰 (ヘブライ語で、フッパ−と呼ばれる)(2) 階層のない社会 どの人にもニックネーム
(3) 軍隊経験 男性36ヶ月 女性21ヶ月 予備役あり 最優秀な人間を
登用する8200部隊
(4) 失敗がマイナスにならない
(5) イスラエル イノベーション Authorityによるスタート アップ
企業支援

イスラエルのイノベーションの秘密を分析した本が「アップル、グーグル、マイクロソフトは、なぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?」(ダン・セノール、シャウル・シンゲル著)(訳者 宮本 喜一)だ。いくつかの興味深い事例が紹介されている。

ベター プレイス: 電池交換型電気自動車 ペレス元イスラエル大統領が猛烈にバックアップ。

フロード サイエンス: 金融詐欺のチェックシステム 軍のテロリスト探索技術を応用 ペイパル社への売り込み

ベンチャーキャピタリスト ジョン・メドヴェド our crowd

23才で中隊長 最前線での生死を賭けた決断を迫られる   物怖じせずに上官の批判も可能

次に日本イスラエル商工会議所のイスラエル訪問(2019年6月)について、パワーポイントに基づき、報告。各分野で失敗を恐れず、自信たっぷりなイスラエル企業の紹介。

これからの課題は、日本のイノベーションをどう進めるかだ。元東芝副社長の川西 剛氏の「イスラエルの頭脳」を紹介したい。日本企業の弱点は、アイデアを潰す上司の存在だ。 閃きの重要性。農耕社会DNAのため協調性重視の日本 では、「天の時、地の利、人の和」。イスラエル では、砂漠に囲まれ天の時も地の利も存在しない 個人が工夫するだけ。

ただ、極端な個人主義を諌めるためユダヤ教の613の戒律がある。
日本人とユダヤ人の最大の違いは 誰もやらないことをやるかどうか。
敗者復活戦を認めない日本社会を変えて行くことが大事。
(文責 塚本 弘)

 

 

i-Café:11月度部会報告(初回地方公演)

日時:令和元年11月13日(水)
場所:ゲルト・クナッパー ギャラリー(茨城県久慈郡大子町)

第52回i-Caféは、11月13日(水)茨城県久慈郡大子町のゲルト・クナッパー ギャラリーで開催されました。『i-Caféの絵』を描いてくれた会員のイラストレーターゆうきよしなり氏が同所で個展を開催する機会に、i-Café初の地方公演を実現しようと企画しました。直前に台風19号で町を流れる久慈川が氾濫し、水郡線の鉄橋が二つ落ちるなどの大災害に見舞われ、復興中に火災も発生して、一時は開催が危ぶまれましたが、『こんな時こそ、ゆうきよしなりさんのほっとする絵や、i-Café-musicで町の人たちに元気になってもらいたい』との二代目館長ウテ・クネッパーさんの決断でi-Caféは決行されました。東京から東北新幹線で那須塩原駅まで1時間、そして車でさらに1時間の遠隔地でしたが、泉代表以下12名の会員が駆けつけ、地元参加者共々40人以上の賑やかな会になりました。

①会場は江戸末期の古民家
会場は、1975年に大子に移り住んだドイツ人陶芸家故ゲルト・クネッパーさんが、廃屋になっていた江戸時代末期の長屋門付き藁ぶき屋根古民家修復し、長屋門にギャラリーを設けたもので、i-Caféは広い庭をの奥にある母屋で行われました。陶芸作品に囲まれ、部屋の中央には大きな鉄瓶の架かった囲炉裏がある趣のある会場でした。ウテさんはゲルトさんの長女で、5年前の当会新年会に来てくれたお馴染みでした。

②レクチャーは畠山朔男会員の『岩倉使節団に同行した5人の女子留学生』

プログラムは何時ものように第一部「映像とお話」、第二部「ミニ・コンサート」、第三部「交流会」の三部構成で、第一部では、DVD 『岩倉使節団の米欧回覧』 の第1章 「使節団の出発」を映した後、会員の畠山朔男氏が『岩倉使節団に同行した5人の女子留学生』と題して、津田梅子、大山捨松、永井繁子を中心に、留学生派遣経緯、現地での勉学状況、帰国後の活躍ぶりを、パワーポイントを駆使して丹念に話してくれました。大山捨松が那須塩原駅近辺に住んでいたこともあり、大変興味深く聞いていただけました。

③ミニコンサートは、永井繁子日本初演の『舞踏への勧誘』や『トミー・ポルカ』など

第二部ミニコンサートでは、帰国後音楽取調掛の洋琴教授となり西洋音楽導入に努めた永井繁子が明治22年6月華族会館の「音楽同好会」で日本初演したウェーバー『舞踏への勧誘』と、16歳で通訳見習いとして岩倉使節団に加わり、全米の人気者となり「♪小柄でかわいいトミー、人妻も娘も夢中、日本から来たサムライ・トミー♪」と歌われた立石斧次郎の『トミー・ポルカ』を植木さんがピアノで演じた後、i-Café Singersの畠山、岩崎の二人が、ジョン万次郎が日本に伝えたフォスターの『おおスザンナ』と『ケンタッキーの我が家』を披露しました。

③地元の方々と交流
第三部交流会では、ウテさん手作りのホットワインで体を温め、囲炉裏に手足をかざしながら、地元の方々と話が弾みました。シカゴの村井さんの紹介で水戸から駆けつけて下さった鈴木祐志さんには、前田利嗣の随員として岩倉使節団に加わった関澤明清が日本で初めて鱒の人工孵化を成功させたこと、その試験地が大子に近い那須や水戸だったことを語っていただきました。最後にみんなで『里の秋』を歌って、名残を惜しみました。
(文責:岩崎洋三)

 

歴史部会:10月度部会報告「幕末維新期米国日本人留学生研究の5W1Hと研究の最前線(?)」

日時:令和元年10月23日(水)13:30~17:00
場所:国際文化会館404
演題:「幕末維新期米国日本人留学生研究の5W1Hと研究の最前線(?)」
講師:塩崎 智先生
拓殖大学外国語学部教授(2006年~)学科長
武蔵大学人文学部非常勤講師(2004年~)
上智大学文学部史学科西洋古代史専攻卒業、国際基督教大学大学院比較文化研究科修士課程修了
主著
・『アメリカ知日派の起源―明治の留学生交流譚』
平凡社選 書、2001年
・『日露戦争もう一つの戦いーアメリカ世論を動かした5人の英語
名人』祥伝社新書、2006年
主要論文:「1870年に実施された米国国勢調査(Census)―日本人留学生情報の分析」『人文・自然・人間科学研究』41号、2019年3月

研究テーマ:幕末維新期米国日本人留学生史料収集と分析

大学時代はギリシャのテサロニケに遊学し大学院時代は地中海考古学専攻、キプロス島青銅器時代の研究。ICUキャンパス内の遺跡発掘作業に従事。読売新聞現地紙にパートタイムの記者として雇われボストン在住のアメリカ人から送られてきた100枚ほどの写真の調査を行った。日米の史料を活用してまとめた情報を、帰国後平凡社選書『アメリカ知日派の起源』として発表。
この写真の調査中、プリンストン大学のシンポジウムで泉三郎氏にお会いし、その後も研究上、もろもろ御世話になった。幕末から1876年までに欧米に派遣された文部省貸費留学生までが研究対象。
「誰が、いつ、どこで、何を学んでいたのか。」を検証する為にウイキペデイア情報を見ると誤りが散見される。岩倉具定と吉原重俊の例を挙げられたので吉原がYale大での状況を説明。
各学校のSchool Catalogueが入手できれば、その学校で使用していたテキストが分かるのでそのテキストを入手し、彼等の学びを追体験したい。
今後注目したい点は、留学生とキリスト教との関係である。留学先の市立アカデミー及びホームステイ先から受けたキリスト教の影響を調べたい。
彼らが帰国後、日本に与えた影響として、キリスト教が間接的に与えたものは何かを考えたい。また、その宗教的影響と彼らが与えた実学的影響も考えてみたいが、まずは、各留学生の留学中の事実の確認である。渡米日、帰国日(陽暦で統一)、留学先と5W1H、地元米国人との交流などについて史料を収集し、先学には及ばないが、「幕末維新期米国日本人留学生史料集成」をまとめることをライフワークにしている。

今後、回覧の会の協力も得たい。

文責:吉原重和

全体例会延期のお知らせ

会員各位

10月26日(土)に田町のアリス・アクア・ガーデンにて
開催を予定しておりました「全体例会」は諸事情により延期
させていただくことになりました。 10月26日には会合は
ございません。2020年の早い時期に改めて開催すべく
別途ご案内申し上げる所存です。急な変更のお詫びと共に
お知らせ申し上げます。

米欧亜回覧の会
理事長    三郎
info@iwakura-mission.gr.jp

 

歴史部会:9月度部会報告『日本の国境はどう画定して来たのか』

日時:令和元年9月30日 13:30~17:00
場所:国際文化会館 404
演題:『日本の国境はどう画定して来たのか』
プレゼンター:小野博正
参加者:17名

日本の領土は世界60位の広さだが、排他的経済水域(EEZ)で見れば、世界第6位で熱帯から亜寒帯までの地域を包括する世界でも珍しい自然環境に恵まれた国である。

現在の日本は、北方領土、尖閣列島、竹島など近隣諸国との国境問題を抱えているが、一体日本の国境は、何時、いかようにして確定されたのか。江戸時代の初期には、蝦夷(北海道)も琉球(沖縄)も、更には小笠原諸島(無人島)も日本地図にはなかった。

日本の領土に対する目覚めは、1792年ロシアのエカテリーナ2世の書状を携えて、使節のラクスマンが根室に来航したのに始まる。1789年のフランス革命は、世界中に国民国家の意識を目覚めさせ、どの国家も国境画定の必要性が生じていた。一方で、日本近海は格好の捕鯨海域で、操業する欧米船から薪水食糧供与を求めて、幕末には開国交易を要求する使節の来航が頻発した。

蝦夷地は、アイヌ人の住む自由の土地で、1604年徳川家康は、松前慶広の求めに応じてアイヌとの独占交易権を与えたが、日本領土の意識は薄かった。しかし、度重なる欧米船来航に対処して、近藤重蔵、最上徳内の択捉島探査、伊能忠敬の測量、間宮林蔵の樺太調査、松浦武四郎の蝦夷地調査などの先人の努力があって、1875年に榎本武揚(全権公使)による樺太・千島交換条約に結実して、北海道(松浦命名)の日本領有と国境が画定する。(1945年の終戦直前の参戦で,四島がソ連により占拠・実効支配されて現在に至る)

琉球(沖縄)は、長い日清両属(清国と冊封関係で、一方薩摩藩に支配される)を経て、やはり欧米の干渉と交易要求があったが、幕府時代に実効支配を継続し、明治になって新政府は、琉球漁民の台湾生蕃による殺害事件を奇貨として台湾出兵を強行し、台湾が清国所属なら責任を取って賠償せよと迫り、暗に琉球は日本の領土と民と交渉を進めて、1879年の琉球処分を経て、日本領土化を確定する。(1945年敗戦で米国信託統治となり、1972年沖縄返還が実現するが、現在の沖縄基地問題は、戦後の日米安保条約と日米地位協定・秘密協定により日本は基地の自由と制空権が実質奪われて現在に至る)

小笠原諸島は欧米人の先住者がいたが、徳川時代に、幕府役人の巧妙な外交交渉により、1862年日本の領土を欧米に認めさせ、先住欧米人は日本に帰化している。

ハワイのカラカウラ大王が1881年来日し、明治天皇に日本ハワイ連邦化の提案をしたが、日本はこれを熟慮の上に断わる幻のハワイ連邦構想もあった。(文責:小野博正)

I-Café-music: 9月度部会報告「イタリア編」

日時:令和元年9月8日(日)14:00~15:00
場所:サロン・ガイヤール

『第33回i-Café-music~イタリア編』は、9月8日(日)四谷 『サロン・ガイヤール』 で開催されました。夜半には台風15号が上陸見込みとの予報もあり開催が危ぶまれましたが、意外にも超満員になり、魅力的なお話とミニコンサートに盛り上がって、天候悪化前にご帰宅いただけたのは幸運でした。

『第一部映像とお話』では、DVD『岩倉使節団の米欧回覧』の第8章「西洋文明の源流イタリア」を見た後、音楽評論家萩谷由喜子さんに『明治の洋楽発展に寄与した女性たち~幸田姉妹、三浦環、大山久子他』をお話いただきました。

女性の視点から描く音楽史に定評がある萩谷さんは、昨年出版した『蝶々夫人と日露戦争~大山久子の知られざる生涯』という本で、日本が舞台となったイタリアの名作オペラ・プッチーニの『蝶々夫人』の誕生を、同年に起きた日露戦争と絡めて描いています。萩谷さんによれば、『蝶々夫人』には「宮さん宮さん」、「お江戸日本橋」、「さくらさくら」等8曲の日本の歌が使われているが、それらは当時の駐伊公使大山綱介の夫人久子がプッチーニに紹介したそうです。それらがどの様にオペラに取り込まれたかを、萩谷さんはピアニストの植木さんに逐一弾いてもらいながら具体的に説明してくれました。第3幕の幕切れに当時の流行歌だった「推量節」のメロデイーが ドラマチックなオーケストラの曲になって奏されることをはじめ、日本の歌がオペラにごく自然に取り込まれていることを教えていただいた。

オペラ誕生と同時期に、イタリアの造船所がアルゼンチンの注文で建造した二隻の軍艦が注文取消しになったとの情報が大山公使にもたらされ、日本が一触即発のロシア戦に備えて購入し、<日進><春日>と命名したこと。購入代金153万ポンドの支払いはロンドンで行われ、これに関わったのが元岩倉使節団員で日英同盟締結に活躍した林董駐英公使だったこと。 日本が日露戦争に勝利したことでプッチーニの日本を見る目が変わり、初演で不評だった『蝶々夫人』から日本を蔑視するような場面を修正し、その結果『蝶々夫人』は世界のオペラハウスで上演される上位5に入るオペラになった等々のお話はとても興味深かく、オペラを見るのが一段と楽しみになりました。

『第二部ミニコンサート』では、メゾソプラノ伊達伸子、ソプラノ酒井えり子、同磯田直子のお三方が、『蝶々夫人』から『ある晴れた日に』や『花の二重唱』、そしてイタリア民謡『チリビリビン』などを熱唱していただき、満席の会場はオペラハウスと化しました。i-Café Singersは戊辰戦争で歌われた日本最初の軍歌『宮さん宮さん』を披露しましたが、この曲はオペラの第二幕で蝶々さんに求婚するヤマドリ公のテーマに使われている由です。因みに、『チリビリビン』は、お三方の師匠で往年の名プリマ大谷洌子さんが1955年のNHK紅白歌合戦で歌った歌だそうです。

『第三部懇親会』にはアメリカの大学院で、日本に派遣された宣教師について博士論文を書いているという若い女性も含めてほとんど全員が残り、『台風どこ吹く風』と盛り上がりましたが、電車の動いている内に帰ろうと5時前に散会しました。
(文責:岩崎洋三)

英書輪読会:9月度部会報告「Verbeck of Japan Chapter V. In Nagasaki: First Impresion 」

日時:令和元年9月6日 15:00~17:00
場所:日比谷図書文化館4F セミナールーム
ナヴィゲーター: 栗明 純生
内容:Verbeck of Japan Chapter V. In Nagasaki: First Impresion Page 80~99

V 章は、フルベッキの来日(1859.11.17)から当初の赴任地、長崎での生活の記録である。
-長崎への入港(1859.11.17)初日の夜の美しい光景の感動的な描写と、新天地での期待でこの章は始まる。

-すぐに2人の宣教師(ジョン・リギンスとMCウィリアムズ)が加わり、家捜しの苦労、新居の家づくり、大工・左官らの仕事ぶり、彼らが口にするブリキ、アンドン、ビードロなどの外来語を聞き留めて楽しんだことなどが語られる。

-12月29日には妻が来日して、新しい伝道の誕生を喜んでいる。

-日本人使用人へのかれの当初の低評価と当時の使用人の雇用事情とが記されているが、その後に、当時の日本人の道徳事情、特に自ら体験した、当時の女性を囲うことに対する寛容さへに対して強く憤慨、批判している。
-キリスト教の伝道によりこれらの弊害が除去され、日本での伝道が成功するであろうとの確信を述べている。
-日本の食糧事情―魚の種類の多さ、肉、野菜の豊富さやパン屋の焼くパンやケーキが美味しいことに触れている。
-長崎は大都市であり人の眼につきにいため伝道活動をしやすいだろうとの観測を記している。
-長崎に先住しているオランダ人の存在や影響力に関して、海外で思われているほど大きくなく、自分の伝道にたいして障害とはならないだろう。
-第1子(エマ・ジャポニカ)の誕生の歓喜と僅か2週間後の悲痛な死と、日本語習得の難しさ、日本語学習の様子の記述。
-長崎での当時のキリスト教の礼拝事情とフルベッキの知名度の向上。江戸におけるヒュースケン暗殺の報とそれによる外国使節の横浜移駐。
-日本の急速な西洋文明の吸収に対する賛辞と布教の難しさに関する悲鳴、丘の上の見晴らしのいい家への引越しと日本の治安(盗難)事情

-日本の投獄システムの急速な近代化-中国方式から西洋化(近代化)へ-かつての拷問に関するエピソード(個人的体験)とキリスト教徒の密告に関する高札の紹介。

-第2子(ウィリアム)の誕生と当時の日本の伝染病に関する歴史と当時の対策の悲惨な状況の説明と、西洋医学の漢方医に対して優勢となりつつある状況と、キリスト教の最終的優越への予想。

-彼が尊敬を集めた要因―「知識は力なり」と「真実は強く、勝利する」に関するーについての言及とー真実の探求者はフルベッキを発見し、彼の生徒となるのだーとの記述でこの章は終わる。
(栗明 純生)