admin のすべての投稿

米欧回覧実記輪読会:9月部会報告

9月5日(水)
13.10-14.50
第10巻「コロンビヤ」県の総説  pp.193~203
ナヴィゲーター:冨田兼任氏

華盛頓(ワシントンDC:コロンビヤ県)は北緯38度53分39秒、西経77度2分48秒に地に位置し、山形県酒田市とほぼ同じ緯度である。連邦政府の首都としてメリーランド州とバージニア州に跨る地に北を頂点とする10マイル四方のダイアモンド形として形成され、その後1847年にポトマック河西岸部はバージニア州に返還された。面積上は使節団訪問時に現在のワシントンDCが形成されていたことになる。

使節団は、キャピタル(国会議事堂)、大統領館(ホワイトハウス)、財務省、陸軍省、国務省、中央郵便局、パテントオフィス、農務省、スミソニアン協会、コロンビヤ学校、海軍省、ジョージタウンの天文台、ワシントンモニュメント、アーリントン墓地、マウントバーノン(ワシントン大統領旧宅)等を訪問、見学する。「実記」図版、最新地図と見較べると、位置が変わっていると推測されるものもあるが、多くのものが使節団訪問時に現存の建造物が存在していたことが分かる。見学の詳細は後続11-13巻で説明される。(冨田兼任記)

輪読会報告終了後、富田氏は先祖で岩倉使節団に参加した租税権大属富田命保の随行日記原本を披露した。
会計担当だった富田命保の日記は、和紙に毛筆で丹念に記録された立派なもので、ぜひ米欧回覧実記の記述と比較検討して行こう云うことになった。実記輪読会が予想外の展開となり、今後が大変楽しみになった。

(岩崎洋三記)

英書輪読会(ハリス):9月部会報告

9月5日(水)
15.00-17.00
日比谷図書文化館4階セミナールーム

・テキスト:The Complete Journal of Townsend Harris

・範囲:pp.423-447(Friday,November27,1857~Monday,November30,1857)

・ナヴィゲーター:水谷剛氏

《概要》:

ハリス一行は大名行列並みに下田を出発して待ちに待った江戸への旅を続ける。
伊豆から東海道に出て小田原~大磯~馬入川~藤沢へと進んだ。
小田原から藤沢までは家の軒波が続き連続した一つの家並みである。 途中の馬入川渡る時に左小指を「水蛭」に吸いつかれて出血したので治療を「随行医師」にさせた。
藤沢から更に海岸沿いに行き神奈川~川崎に到着し、有名な「萬年屋」旅館に宿泊した。ここはペリー提督に随行したビッチンガー牧師が単独で勝手に抜けだし、多摩川から品川に行く寸前に停止させられて帰営した場所である。

品川から高輪経由で宿所の九段下「蕃書調所」に到着した。井上下田奉行から江戸城で将軍謁見するときの諸注意事項や江戸城入場は「威厳」を以て駕籠で向かうことなどを諸注意された。

(水谷剛記)

『芳賀先生・保阪先生受賞祝賀会』開催報告

当会特別顧問としてシンポジウムはじめ当会の活動を永らくご指導・ご支援いただいている芳賀徹先生が『2017年芸術院賞・恩賜賞』を、保阪正康先生が『第30回和辻哲郎文化賞』をご受賞されたことを会としてお祝いする会が、8月3日(金)夕刻日比谷松本楼で開催されました。 続きを読む 『芳賀先生・保阪先生受賞祝賀会』開催報告

米欧回覧実記輪読会:4月部会報告

2018年4月11日(水)
時間:13時10分~14時50分
場所:日比谷図書文化館4階セミナールーム

範囲:第6巻ネヴァダ州、及び「ユタ」部鉄道の記pp.134~145
第7巻ロッキー山鉄道の記pp.146~164

ナヴィゲーター:岩崎洋三氏

輪番で音読しながら、和やかに議論した、参加者はナヴィゲーター以外は全員女性で女子大セミナーの雰囲気でした。
(岩崎記)

米欧回覧実記輪読会:12月部会報告『第三巻 サンフランシスコの記 上』

2017年12月20日
場所:日比谷図書文化館
参加者9名

1871年12月6日サンフランシスコに到着。金門から湾内を望む風景描写に23日ぶりの山水の眺望とあって喜びが滲む。使節到着が祝砲で迎えられる。ブルックス日本領事手配の宿舎グランド・ホテルの豪華さに驚嘆するのは、10年前の新見遣米使
節団や咸臨丸と同じだが久米は、幕府使節には一切触れない。 続きを読む 米欧回覧実記輪読会:12月部会報告『第三巻 サンフランシスコの記 上』

実記を読む会:4月部会報告

2017年4月28日
場所:国際文化会館
英国編 第28巻 漫識特府(マンチェスター)の巻上・下

今回は参加者全員で、久米実記原文を交互に輪読する。

1872年9月2日、1830年に英国で最初に敷かれた鉄道線で、リバプール市を発ち、英国第三の都市マンチェスター市に向かい、ランカシャ―のセントヘレン村にあるガラス製造工場を見学する。

久米はここで、7頁にわたり延々と、ガラス製造工程や、原材料、触媒、そして自分の所見を含めて詳細を極めた描写を展開する。日本の陶器に対し、英国ではガラスを多用し、陶器はむしろ貴重品であると述べる。久米の故郷は有田焼の産地で、その製造過程に通じている故、似たような工程のガラスに興味津々。見学を終え、再び汽車で、マンチェスターへ。駅で市長らの出迎えを受けて、クインズホテルに投宿。夜、芝居に招待される。3日は、主産業の紡績工場を見学する。綿紡績でマンチェスターは大都市に成長したが、8,9年前のアメリカ南北戦争時には、綿花がアメリカから入らず、工場閉鎖と、失業に見舞われたと米国の奴隷廃止の影響がここにまで及んでいた。綿花の代替地がインドであった。次に、フィットウオール社の製鉄場を見学。1837年より、鋼、鉄、大砲、砲弾,砲車、輪台、各種機械、鋳物を生産する。各製造工程をここでも精述する。部品の規格化が産業革命にとって重要と知る。裁判所、牢獄を見学。会員の遠藤さんのご先祖が、海外留学後、日本の監獄整備に携わったと知る。4日、日曜日で、店舗も閉まり、休日を公園や近郊散策に費やす。

5日、禁酒禁煙のテンペレント協会の方が来る。ここで久米は、東洋の男子、酒豪を競い、淫欲を風流とし、女子の煙で媚悦する風を戒めている。次の更紗工場では、触媒に牛羊の糞汁を用いるのに感心する。再び、紡績工場を見学して、精密なる工程描写に費やす。久米の得意技である。この日、幹事:小坂田氏より、英国BREXITに関する資料を提供される。(文責:小野)

実記を読む会:5月部会報告「第30・31章」

<参加者6名。第30・31章を対象に数個所の音読を交え内容のまとめと解説を行った>

一行は9月7日マンチェスターから鉄路でグラスゴー市(以下G市)へ。経由地カーライル市以北がスコットランドであることから、スコットランドとイングランドの歴史的抗争の遺産、ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城及びスコットランド独立の英雄戦士W.ウォレスの生涯を描いた映画「ブレイブハート」の紹介を加えた。 続きを読む 実記を読む会:5月部会報告「第30・31章」

実記を読む会:6月部会報告

第215回 「実記を読む会」

1. 精力的に見聞の旅を続けてきた一行は、パークスの勧めでハ
イランドで浩然の気を養うことになった。と言っても岩倉、久
米ら4人と随行3人のみ。当時の欧州にあっては山紫水明の名
勝は、スイス、イタリア、スコットランドということだった。
続きを読む 実記を読む会:6月部会報告

実記を読む会:3月部会報告

2017年3月24日
第26巻及び27巻 リヴァプール府(市)の記

はじめに英国回覧の日程を通覧。使節団は明治5年7月13日リヴァプールからロンドン入り後、11月15日ロンドンを発つまで実に122日間、英国に滞在する。主要な12都市を巡り、政治社会制度を含め、産業、工業を中心に英国の国力の基盤を具に視察し記述する。 続きを読む 実記を読む会:3月部会報告

『米欧回覧実記輪読会』@日比谷スタートのお知らせ

これまで毎週金曜日に国際文化会館で開催してきた『米欧回覧実記を読む会』は、9月以降開催場所を日比谷図書文化館に移し、『米欧回覧実記輪読会』として、下記の通り継続して行くことになりましたのでお知らせします。

第1巻から輪番で音読しながら丹念に読んで行こうというという主旨の下、新しく会員になられた方々はもちろん、改めて読み返してみようという方々にも加わっていただき、新旧交流の場にもなれば幸いです。

参加ご希望の方は、メールで下記アドレス宛お知らせください。

1.開催日時

原則毎月第三水曜日13.00-14.40
(初回は9月13日(水)~第2水曜)

2.開催場所

日比谷図書文化館4Fセミナールーム

同日は20分休憩後、15.00-17.00に『英書輪読会』が開催されますので、案内表示は「米欧亜回覧の会輪読会」としておきます。

3.輪読会の進め方

第一巻から輪番で音読、通読し、当番(チューター役)を中心に報告・議論する。ゲストの招聘も検討する。

4.会費

800円(会員600円)
実記・英書の双方受講者は、併せて1000円

5.開催予定

9月(初回)

日時:9月13日(水)~第二水曜日~13.00-14.40
場所:日比谷図書文化館4階セミナールームA

範囲:久米邦武編著『特命全権大使米欧回覧実記(一)』の最初から

10月(第2回)

日時:10月18日(水)~第三水曜日~13.00-14.40
場所:日比谷図書文化館4階セミナールームA

『米欧亜回覧実記輪読会』

世話人 岩崎洋三

iwasakiyz1116@gmail.com

i-Café 7月部会報告:大仏次郎『天皇の世紀』を見る会 第1回

2018年7月22日(日)
時間:14.00-17.00
場所:シェア奥沢

☆第一部:お話と映像
☆ 前奏:♪『宮さん宮さん』(戊辰戦争官軍軍歌)
お話:『大仏次郎と天皇の世紀』半澤健市氏(会員)
第一話 『黒船渡来』~太平の眠りを覚ます4隻の黒船(48分)
~Tea Break~
第二話 『野火』~変革の種を蒔いた吉田松陰(48分)

☆第二部:交流会
ワインとシェア奥沢キッチンマスター手作りのお料理を頂きながら歓談した。

♪『四季はめぐる』(仲津真治氏(会員)作詞・作曲)のご紹介 ピアノ: 植木園子 植木園子 植木園子 植木園子 、合 唱: i-Café Singers (畠山朔男Tr、岩崎洋三Tr、吉原重和Br、西川武彦Bs.  )

☆大仏次郎『天皇の季節』
嘉永5年(1852)の祐宮(後の明治天皇)誕生、翌年のペリー艦隊来航から戊辰戦争に至る激動の幕末維新の時代を膨大な歴史資料を駆使して描いた歴史小説。朝日新聞が明治100年に因んで企画し、1967年 1月1日から1973年4月25日まで朝刊に連載されたが、4月30日がんのため病没、未完となった。
1971年には、13話の連続1時間ものテレビ映画として朝日放送で放映された。

世田谷シニアスクール講演会報告

2018年6月26日(火)
泉三郎さんが世田谷シニアスクールで講演を行ったので報告致します。6月26日(火)10.00成城ホールで開催された世田谷シニアスクールの講演会に泉三郎代表が招かれ、約300人の大聴衆を前に『近代
化のパイオニア岩倉使節団』を語った。泉さんはDVDの第一章『岩倉使節団の出発』を映しながら、使節団の概要、視察の状況、明治国家建設への貢献を紹介した後、今の日本・混迷の日本を考えるには、近代化の原点に還える必要があると熱っぽく訴えた。講演後、泉本を求める方も少なくなく、多くの会員に興味を持っていただけたようだ。

なお、世田谷シニアスクールは世田谷区生涯大学修了者の会で会員は500名ほどいる由。各界の先生を招き毎年30回開催している講演会には、毎回300~400人が参加する由で、勉強好きでアクティヴな高齢者がいかに多いかを実感させられる。(岩崎記)

歴史部会:7月部会報告「海舟と薩摩藩の情報収集」そして「ワシントンでの岩倉使節団続編」

平成30年7月16日 14:00~17:00
場所:国際文化会館404号室
プレゼンター:吉原重和(会員)

海舟と薩摩藩の情報収集」
薩英戦争後に江戸に派遣された薩摩藩遊学生達が海舟の塾生だった事が海舟日記に記載されていた事が新たに判明した。
加えて彼らが薩摩藩の情報収集の一端を担っていた事、そして彼らの密航直前の長崎における行動についての報告を行った。薩摩藩邸では 南部弥八郎、柴山良介、肥後七左衛門の3名が探索方として活動していた。南部は探索方報告書にまとめて薩摩飛脚で藩庁へ送っていた。

情報の収集は奉行所付属の通訳出穂屋(清水)卯三郎、文書翻訳方木村宗三、立石得十郎、通詞立石斧次郎、外国方翻訳福澤諭吉、北村元四郎、アレキサンダー・シーボルト、そして薩英戦争後に江戸に派遣された遊学生達を横浜に送り行っていた。

これまで薩英戦争後に大山巌、吉原重俊、木藤市助などの寺田屋騒動に加わった攘夷派の志士達が藩から遊学生として江戸に送られていた事は判っていたが、彼らが江戸で何を行っていたのかは不明だった。
今回、勝海舟が開いた氷解塾に薩摩藩士で後に米国へ密航留学する種子島啓輔、吉原重俊、湯地定基、桐野英之丞の4名が入塾していた事実が東北学院大学の高橋先生の論文から判った。
海舟が書き残した海舟日記が明治40年に日記抄として刊行された時は薩摩藩士達の記述は無かったが40年後に勁草書房版(昭和47年~48年)、講談社版(昭和51年)が出版された時に原本にあった薩摩藩塾生の件が追加された。
そこには4名の薩摩藩遊学生が元治2年2月13日に入塾し、慶応2年1月21日の薩長同盟成立に時をあわせて退塾し国元へ向かったと書かれていた。氷解塾遊学生に加えて大山弥助達10名の薩摩藩遊学生が居た江川塾からも木藤市助、谷元兵右衛門が米国留学生と成った。

氷解塾に居た吉原達4名の薩摩藩士が江戸から国元へ向かっていた頃、京都では維新史には必ず登場する事件が起きていた。
小松帯刀のお花茶屋の邸宅で1月21日の薩長同盟の成立直後に京都伏見の寺田屋で坂本龍馬と三好慎蔵が伏見奉行の捕りかたに襲撃された寺田屋事件が起きた。

そして、
3月4日   小松帯刀、西郷隆盛、桂久武、吉井孝輔、坂本龍馬、
お龍、三吉慎蔵達が藩船三邦丸に乗り翌5日大阪を出港3月7日   夜 馬関(下関)寄港 三吉は下船3月8日   長崎寄港
その後彼らは鹿児島に向かい、龍馬とお龍さんは塩浸
温泉に新婚旅行に行ったと言われています。

留学生のリーダー格だった仁礼景範が米国までの様子を記した仁礼景範航米日記に依ればグラバーが帰ったと同じ28日に薩摩藩第二次米国留学生は長崎よりポルトガル船にて出港しました。種子島、吉原、湯地の3名の氷解塾グループに加え谷元、木藤の江川塾グループそして仁礼、江夏の7名の薩摩藩士達は英国経由で米国に渡りマサチューセッツ州のモンソンアカデミーに留学しました。 

話題を変えて南部弥八郎報告書の内容の一例として1866年12月に横浜から約3年間に渡る欧米公演に旅立った高野広八が率いた帝国日本芸人一座と称する17名の曲芸師一座について述べると、彼らは幕府が発行した「御印章」パスポートを取得した民間人一号だった。彼らが北町奉行所に提出した旅券の申請書に記載された内容がほぼその通り、南部の報告書に記載されていた。

彼等はサンフランシスコ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルチモアで公演を行い、ワシントンでは第17代アンドリュー・ジョンソン大統領からホワイトハウスに招かれて謁見をうけた。他にサツマ一座も欧米で公演を行い、ニューヨークの5番街で岩倉使節団と遭遇し、石畳に土下座したという逸話が残っているそうだ。 

2.ワシントンでの岩倉使節団続編
先ごろMartin Collcutt先生(プリンストン大学名誉教授)から、ワシントンのMasonic Templeで開催された米国国務省主催の岩倉使節団歓迎の公式晩餐会について、回覧実記に久米邦武は「晴」とだけ書いて何も触れていないのは何故だろうかという問題提起が成されましたのでその後の研究成果を発表致した。

使節団一行がワシントンのアーリントンホテルに到着したのは1872年2月29日でだった。
3月1日には早速造幣寮の視察を行った。
3月4日にはホワイトハウスでグラント大統領に謁見した。
3月5日の午後9時に市内のMasonic Templeに於いて国務省主催の公式晩餐会が開催され、1000名以上の参加者が集まった一大イベントだった。

晩餐会の開催についての新聞記事を読むと確かに多くの参加者を招いて国務省主催の晩さん会が開催されていた事が判る。
副大統領のColfax、国務長官のFish等が参加しましたが何故かグラント大統領は不参加だった。そもそも大日本外交文書付属書(略日記)に26日の記載自体がなく晩餐会などは無かった事に成っていた。こうして見ると久米が実記に晩餐会を書かなかった理由は単純で日本側は晩餐会の事実を公表していなかったからと言える。伊藤博文伝にも晩餐会の記述は無かった。

実は宗教問題が使節団の前に横たわっていてワシントン到着前から新聞紙面をにぎわしていたので岩倉は宗教問題には敏感だった。グラント大統領は謁見式の日に早速宗教問題に触れていた。この宗教問題が発端でグラントが晩餐会を欠席したというのが事実であれば、日米間の宗教問題の対立を表面化させたくなかったという推論も成り立つ。
今後の研究が望まれる。

以上(吉原記)

レジメは会員ページ(要パスワード)で